おれの人生

自分の人生を振り返ってみた【第1回】

サワディーカップ。タイのバンコクからごきげんよう。

突然ではあるが、自分の人生を振り返ってみたいと思う。備忘録的な感じで自分が思っていることを素直に書き記してみた。

まずは簡単に自己紹介から。

高橋智喜(たかはしともき)
・1994年千葉県生まれ。
・タイのバンコク在住。
・明治大学法学部を卒業後、新卒でフリーターに。
・フリーター期間中は東京都内のベンチャー企業で働く。
・その後「海外で暮らしたい」という想いを捨てきれず、日系のタイ法人への就職が決まりバンコクに移住。今に至る。

自分で書いていて思ったが、レールを大幅に外れた人生を送ってきた自信は少なからずある。


構成は全5回でざっくり以下のような形。

・第1回:幼少期〜小学生時代←今回の記事
・第2回:中学校〜高校時代まで
・第3回:大学生時代前半
・第4回:激動の留学時代
・第5回:留学後〜現在(25歳)まで

自分がその当時、どんなことをして何を感じていたのかについて、赤裸々にまとめてみた。


自分の人生を振り返ってみた【第1回】幼少期〜小学生時代まで

◇幼少期

1994年、千葉県千葉市で誕生。

幼少期のおれは、いたって真面目で物静かな子供だった。一言でまとめるなら、平和な幼少期時代を過ごしていた。

当時を振り返ってみたものの、記憶があるのは保育所時代から(だいたい4歳くらいだろうか)。世の中には「幼稚園」という場所があるのに、なぜ自分は「保育所」に毎日通うことになったのかという疑問を持っていたのもちょうどこの頃だ。

まあ、けっこう個性的なメンツと保育士さんたちに囲まれていたので、割と平和な毎日を過ごしていたのだと思う。

保育所時代は特に習いごともしておらず、決まった日課は家と保育所の往復だけ。平日の毎日決まった時間に送り迎えをされていたのを覚えている。

他の子供たちとのコミュニケーションに困った記憶もなければ、ちびっ子あるある的なちょっとした小競り合いとも特に縁はなかった。何事もない「平和な幼少期」を過ごしていた記憶しか残っていない。

あ、それと人生最大のモテ期も保育所時代だった。

当時、保育所という閉ざされたコミュニティの中では「高身長」「サラサラヘアー」「コミュ力の高さ」というモテる男の3要素を偶然にも兼ね備えていたためか女の子との付き合いには困らなかった。

いつからだろうか、女の子から見向きもされなくなったのは。

そもそも、保育所時代のモテ期はおれが作り上げた幻想だったのだろうか。

そうでないことを願いつつ、小学校低学年時代の記憶を遡ってみたいと思う。


◇小学校低学年時代

おれの小学校時代を一言でまとめると、「平和な日常が崩壊した時代」である。

平和な保育所時代から一転、個人的にかなりの「衝撃」「恐怖」を感じたのが小学校時代だった。自分ではコントロールできない外的な要因に自分の感情を揺さぶられ続けていたのがまさにこの時であった。

なにかにつけて、対人関係の問題に悩んでいた記憶しかない。キャピキャピした一般的な小学生像とは真逆のドロドロした人間模様について思いを巡らす、ひねくれ者のような子供だった。

まず、衝撃を受けたのが入学式。

「人が多過ぎ&怖過ぎ問題」

6歳くらいの年齢で、カッチリしたスーツを着た大量の大人たちに囲まれた時はある意味恐怖。ガチで。しかも、式が終わるとそれぞれのクラスに誘導されて、いきなり始まる自己紹介タイム。保育所時代に培った少人数間でのコミュニケーション能力がうそのように通用しない。そう、小学校では一線を画したプレゼン能力が必要な場所だったのだ。

幸先の悪いスタートを迎えたおれの感情とは裏腹に、無情にも小学校生活がスタート。小学校入学初日にして先が思いやられていたのはいうまでもない。

そんなこんなで始まった小学校生活だったが、勉強自体は嫌いじゃなかった上に、クソ真面目な性格が功を奏して成績は常に安定していた。

おれの内面的な感情とは対照的に、である。

もちろん、問題に悩まされていたのは入学式だけではない。小学校ならではの同級生との人間関係にも常に頭を悩まされていた。

「人付き合い激ムズ問題」

経験したことのある人も少なからずいるだろう。小学校くらいの年代ならではの「クラス同じだからお前も仲間に入れよ」的なノリ。この流れに飲み込まれていたのが、紛れもない当時のおれである。

そもそも、好みの違う人間どうしが集まること自体にかなりの無理がある。しかし、自分のクソ真面目な性格が打ち勝ってしまい「本当は参加したくねぇ!」という心の声を押し殺して過ごす日々。表面的な人間関係ほど何も生み出さないことを知ったのもちょうどこの頃だったと思う。

不思議なもので、人間自分の感情を押し殺していると性格や考え方が変わっていく。当時のおれも例外ではなかった。

自分の考えや主張を押し殺していった結果、常に周りの目を気にする様になっていったのもちょうどこの時。小学生ながら「こんなんで自分の人生大丈夫なのか?」と疑問を感じていたのも事実。漠然とした不安を抱えながら必死に生きていた気がする。


◇小学校高学年時代

小学校高学年になったおれは、正義感が人一倍強かった。ルールは必ず守る。困っている人がいたら必ず助ける。ある意味、素直な性格だったのかもしれない。卒業アルバムに書いた将来の夢は「警察官」だ。マジックペンで何度も下書きをしたのを覚えている。

そして25歳になった今、気づいたらタイのバンコクで生活している。

一体何が起こったんだ、おれの人生に。

町中の交番でカッチリとした制服を身につけてパトロールをしているはずが、バンコクの安アパートに住み、Tシャツ短パンで自宅警備をしながらこの記事を書いている。

一体何が起こったんだ、おれの人生に。

余談はこれくらいにして、本題に戻ろう。


小学校高学年にでもおれは問題に直面し続ける。

「いじられキャラとしてロックオンされる」

小学校の高学年にもなると体格差が出てきたり、派閥意識が生まれてきたりと色々気むずかしい時期に入っていくのは周知の事実。

そんなこんなで、小学校に何人かはいたであろうグループのリーダー的存在からロックオンされていた。

というのも小学生時代のおれは、栄光の保育所時代とは対照的に「ぽっちゃり体型」「スポーツ刈り」「ほどよくコミュ障」となっていた。いじる側としてみれば、格好のターゲットである。

ひとつ断っておくと、おれが小学校時代に経験したのは、いわゆるヘビーな「いじめ」ではなくライトな「いじり」である。「いじり」はライトであるがゆえに対処するのがとてつもなく面倒臭い。いじりをしている当事者はこちらのリアクションを求めてくるが、こちらは返すリアクションもない。

そんな無駄なやりとりを繰り返すうちに、自分の考え方がひねくれていったことは言うまでもない。

それと、小学生に入ってから、「水泳」「英会話」「通信教育」といった習い事も親に勧められて始めたが、全て中途半端に終わった。物事を完遂させることが苦手だと強く実感したのもちょうどこの頃であった。


まとめると、小学校時代に関しては、息苦しい人生を送ってきたなと振り返ってみて思う。全くもって子供らしく過ごした実感はなかったし、何なら考えていること自体は、25歳になった今とさほど変わりないと思う。それくらい無意識に物事を考えるクセがついていたのかもしれない。

というわけで、書いていて何だかネガティブな感じになってきたので第1回はここまで。


【第2回】中学校時代に続く。


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