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キオクノート#4 留学

初めての留学、フランスでの全寮制の生活は半年しかなくて、その後はと言うと希望者にはフランス各地のレストランでのプラス半年の研修が待っている。

半年で培ったつたないフランス語と料理技術で単身外国人だらけの中に放り込まれることになります。

もちろんぼくは研修を希望しました、このためにフランスに来たのですから。

最初の半年が終わる頃、希望者にむけて受験発表のように研修先が発表されます。

ぼくの行き先はフランス南東部、地中海からほど近い香水の町「グラース」GRASSE。

この全寮制の学校からは電車を乗り継ぎ7時間もかかります。

そして研修先のレストランはオープンしてすぐにミシュランで2つ星をとったばかりの天才シェフ「ジャック・シボワ」Jacque Chibois氏が率いる「ラ・バスティード・サンタントワンヌ」La Bastide saint Antoine

でも当時のぼくはこのレストランのことは何一つ知らず、学校から知らされたのは「ウチの学校グループから生徒が研修に行くのは君が初めてだ」という事実だけ、その言葉を聞いてから出発まで結構不安におそわれましたね。

出発当日、同じ南方面へ派遣される数人と同じ列車にのって出発します、途中でだんだん下車していき、最後に降りる駅「カンヌ」まではとうとう2人だけ。

この一緒だった彼のことはここで書いて置くべきだと思います。

彼はカンヌで研修が決まっており、研修期間中は一緒にカンヌで遊んだりもしたが、実はもうこの世にいません。

周りの雰囲気に溶け込んだり、盛り上げたりするのが得意で、いつも笑っているような楽しいやつ、日本へ帰ってからも彼が就職した東京まで遊びに行った、なつかしい。

突然死だったと聞かされたのはそれから数年、会わず、連絡も取らなくなってしまってからだったのが本当に悔やまれる。

ぼくにとって会いたい人には会いたいときに、を肝に銘じることになる出来事のひとつになったのです。

コレを書いている今日、カンヌ国際映画祭で日本の是枝裕和監督の「万引き家族」がパルムドール、最高賞を獲得というニュースが流れました。

21年ぶりの日本人監督の受賞ですが、まさに21年前はぼくがいた頃、カンヌのまちには当時パルムドールの「うなぎ」と主演の役所広司さんのポスターやタペストリーがあふれていて、今はなき友人のエピソードを思い出すとき、その風景も明るい南仏の日差しとともに思い出します。

さて、カンヌで下車してその彼と別れたぼくは調べた通りグラース行のバスを待つのですが、この待ってる時間にだんだん不安が沸いてきます、本当にひとり。

バスに乗り、目的地のレストランの最寄りのバス停で下車、坂道をのぼり、門を抜けきれいに整備されたオリーブの木が並ぶ庭を通りレセプションへ向かいます。

ドアを開けると、美人の受付事務の女性が「ああ、聞いているわよ」と、軽く説明を受けてこの女性(このときは緊張で名前を聞けなかったが後にソフィアだと知る。)と一緒にレストラン全体を案内してもらいます。

全スタッフ数30人位だろうか、厨房には日本人かアジア人っぽい人も見受けられる、二階から上はまだ建設中の部分もあり、完成すれば宿泊型のオーベルジュとなる、と説明を受けます。

到着した当日は案内だけで終わり、ソフィアに明日の出勤時間と準備を聞きながら、車で宿舎まで送ってもらった。

宿舎と言っても民家で初老の夫婦のホストファミリーがいて、ホームステイに近いもの、大きな部屋に簡易のベッドが3っつ、なぜ3っつか聞いたらぼくの他に日本人がもう一人、フランス人がひとり、ステイしていると教えられました。

日本人がいる。

あこがれだけでやってきたフランスで、希望通りレストラン研修にきたが、一人になってさびしさを覚えていたところに、ここにも日本人がいるという少しの安心。

ぼくは部屋のテレビをつけ、よくわからないクイズ番組をみながら荷解きをし、この日からからはじまる新生活をいろいろ想像しながらルームメイトの帰りを待つのでした。

現実は想像のはるか上だとは知らないまま。

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