読書メモ 「考現学入門」

「考現学入門
 今和次郎
 
 藤森照信 
 ちくま文庫 1987年



今和次郎は、チャーミングである。
少しはにかんだような、気さくな笑みを湛える今のポートレートが、表紙を捲るとあらわれる。ファッションも独特だ。どこへ行くにも「ジャンパー」を着ていたそうだ。
しかし、この見た目が特異な研究をしているという偏見につながり、アカデミズムの世界でいまいち評価されていないという印象を受ける。イメージというのは恐ろしい。


本書を読みながら、私も途中までは「マイノリティとはなんぞや」あるいは「異端とはなんぞや」みたいなことを考えていた。よくアンケート結果で〈そう思う80%・どちらかといえばそう思う15%・そうは思わない5%〉みたいなのがあるが、私はその「5%の人」が気になってしまうたちなのだ。
たしかに雨樋の路傍採集だとか、大学の構内食堂におけるカケ茶碗のカケ具合の記録だとかには、いわば今のマイナー愛みたいなものを感じる。しかし、マイノリティや異端というものを、今がことさらに指向していたかというと、それは違う。


今は「考古学の方法を現代の物品にも適用し、我々の生活を科学的に分析してみようではないか」と提唱した「考現学」の創始者である。「一切しらべ」といわれる手法で、一見すると意味がないような少数のサンプルも切り捨てることなく、採取された時間や場所も大切に含めて記録した。しかし、必ずしもマイノリティにスポットライトを当てることが目的ではなかった。
1925年の初夏の各時間において、銀座を往きかう女の9割は和装である。それに対し洋装はたったの1割であるが「目につきやすいものは多数に感ぜられ」「われわれの印象というもので事象を判断するととんでもないまちがいが起こる」のだと今は言う。なんだかまるで、最近のネット情報に翻弄される自分を見ているようだ。
話を戻すと、そこには考現学を考古学に並ぶ学問として定着させようという意気込みがあり、アカデミックな姿勢がある。早稲田大学の教授として長年地道なフィールドワークを行いながら、周辺分野にもその手法を広げ、様々な団体の要職にもついている今の姿を忘れてはならない。


しかし、1927年に開催した『考現学展覧会』それに続く『モデルノロヂオ(考現学)』の出版は、世の中やジャーナリズムからは大いに迎えられた反面、アカデミズムの世界からは「学とはいえない」「このごろのどの学だって努めているところで独特な方法とは認められない」挙げ句の果てには「君たちはあまりに君たちの仕事をエンジョイしすぎはしないか」などと、ほとんど言いがかりかと思われる非難を浴びるのである。たしかに考現学の魅力の大部を、今の朴訥な味わいのスケッチが担っており、そこから醸し出される雰囲気は、なんだか「楽しげ」なのである。アカデミズムは「楽しげ」を嫌う。そして、アカデミズムの世界のやっかみは怖い。
ちなみに今和次郎全集はドメス出版という、あまり聞いたことのない出版社から刊行されている。


東京美術学校(現 東京芸大)の図案科を卒業したのち、早稲田大学に新設された建築学科に職を得た今は、民俗学の権威である柳田国男にそのスケッチの腕を買われ、農村調査の仕事に従事することになる。しかし、関東大震災後に勃興するバラックを目の当たりにし感動した今は、まさに変容しようとする「都市」の記録をとどめようと決意する。ここで「農村」に意義を見い出した柳田民俗学とは、当然に袂をわかつことになる。これに関し今は「柳田先生に破門された」と語っているが、これは今一流の照れ隠しで、柳田国男は「破門なんかしていない」と言っているそうである。実際どうだったのかは分からない。


「考現学」が考古学に並ぶ学問になったかというと、いまのところ答えは否だろう。しかしその独特な手法による、いわば「今和次郎スピリット」ともいうべきものは、着実に継承されていると言えるのではないだろうか。赤瀬川原平しかり、荒俣宏しかり…。「〇〇学」と呼んで有り難がるよりも「〇〇スピリット」と言った方が、持ち運びもしやすく、使い勝手が良いのではないか。実際、考現学の手法はあらゆる分野に応用されているではないか。
さらに、統計という名の下に、まことしやかに怪しいネット情報が溢れかえる現在、今の態度はもっと注目されてもいいはずだ、と声を大にして言いたい。

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