科学にはできないタイムトラベルを実現するのは「痛み」

 ハイデガーはひとをSubjectum= Sub(下に)、ject(投げ出された)被投された存在であるがゆえ平等を求め平準化しようと闘争を続けるという。主体の地位が上昇化すれば、社会が主体の地位を下に投げ出そうとする。より低い所に照準を合わせようとするのが主体性(Subject)の性質であるとハイデガーは分析する。(ハイデガー、存在と時間Ⅱ s.500-)

 従って、ひとはひとを下げ自分を上げる。何かを創造したり、信用を築き上げるのには何年、何十年とかかるが、損なうのは一瞬。したがって手っ取り早く自分を上げるには他者を潰せば一瞬だ。そのようなルサンチマン的「超人」と呼ばれるような人間は常に周囲に醜悪な人間に側にいてもらわねばならないことになる。そうでないときは醜悪な人間をでっちあげるか、良心的な者は自分を傷つけることを選ぶしかない。少なくとも売春や援助交際において傷つけるのは自己の身体すなわち自己の所有物である。

  しかしながら、自己を傷つけることを正当化しているわけではない。針で突かれたり、ナイフで切られたら通常、身体は通常「闘争(fight)」し「逃走(Flight)」する。タトゥーを入れるのはどれほどの痛みだろうか。麻酔なしの手術など、どれほど痛かったであろうか?想像するだけで失神しそうだ。しかしながら、ひとは痛すぎると痛みを感じなくなる。身体が痛みを受苦しつづけると脳は物語のなかに人間存在を丸ごとはめこむ」からだ。(内田樹 「死と身体」)

  K-1の武蔵は相手からパンチを受けた痛みに「時間をずらして」対処するという。自分が打たれた後に2発殴って相手が倒れている未来を思い浮かべ、未来を現在だと思い込むことで痛みを感じないようにするのだそうだ。「過去」(たとえ1秒前でも)を切り離すために「未来」への投企を行い「現在」を生きない時、痛みを感じないからだ。時代劇でも同じことが見てとれる。チャンチャンバラバラ斬り合った後、数秒の「空白」の間。そして日本刀を鞘に納める「チン」という音。斬る側は前未来に先に生きているが故に痛覚が麻痺しており、それゆえ強い。痛みを過去に置いてけぼりにするからだ。「チン」で前未来から現在に戻り感覚麻痺が解除され「音」を聴く。現実に戻った証拠であり、「痛てっ」なんて感じ始めるのもこの頃だ。外国語の前未来形 “will have …ed” で対処すれば痛みは回避できるのだ。(内田樹ibid.)

  どんなに過去が辛くとも未来から過去を見た時、自分の来歴があとから大規模に解釈しなおされ、たいしたことなかったと思えるのも同じことである。フッサールはこれを「逆立ちした記憶」=「未知」はいつでも同時に「既知」の一様態だと言う。

 「痛っ」(未来)→「血が出てる」(現在)→「切れてる…」(過去)

痛みを感じる時、時間の流れが逆になっていることにお気づきだろうか。最初に「痛い」(未来)と感じ、手を見ると血が出てる。(現在)そして切れてることに気付く。(過去) 物理的な事実はその反転で

「切れる」(過去)→血が出る(現在)→痛む(未来)

の順番だ。大やけどをしたり、犬に噛まれた瞬間から数秒後に痛みはやってくる。そこから時間はスタートし未来から過去に追いつこうとする。スティーブン・キング「ランゴリアーズ」によると感覚が時間を生成している。感覚がない間は時間は流れていない。過去にトラウマを負った人間、過去に後悔を抱き続ける鬱的人間は過去のその瞬間から前に進めない。ひとは痛みに前未来形で対処し未来で感じた別の過去として現在を生きようとするので痛みが軽減され、順序が反転する。k-1の武蔵が用いた時間のトリック。痛み(トラウマ)が時間旅行を可能にし、未来から過去へと放浪することで痛みを遮断するのだ。タイムトラベルとは決して「科学」が叶える夢ではなく、「痛み」が叶える夢なのだ。そして夢の間、つまり、時間を未来や過去にずらしている間には痛覚は遮断されている。「これ本当?」頬っぺをつねり現実かどうかを確かめるのもそういうことである。

「ものごとをただ受け入れ、感覚を消すことを覚えなくてはならない。苦痛も怒りも、何も感じちゃいけない…逆らうんじゃないぞ。それが生き延びるためのただひとつの方法だ。」ゲイリーはこう言い、何人も人を殺し死刑となった。村上春樹訳のノンフィクション、ゲイリーの弟、マイケル・ギルモアによる「心臓を貫かれて」よりのゲイリーの言葉。痛みを持つ人間は殺される前に自分を殺す。

  弱肉強食の世界で生き物は「外的刺激」に対して「外界」を変えることができるだけの「力がないことが分かったとき」「小鳥が鷹の口にまっすぐ飛び込み呑まれてしまうように-呑み込まれてしまった方がもう苦しまない」もう闘うのをあきらめる瞬間、動物が引き裂かれ食べられるのに同じで、自分自身をあきらめ「自分自身を殺す」つまり「分裂においやる」ことで感覚を遮断する。(フェレンツィ)

  このように「闘争(fight)」も「逃走(Flight)」もできないとき、ひとを含む動物は殺されるより、自分で自分を殺したい。既に死んでいれば殺されても痛くないからだ。真実が痛く、怖いから自分を殺して生きるほうが楽なのだ。真実に近づき過ぎると真実は憤り、奴=亡霊(フラッシュバック)がやって来る。真実は「迂回」されねばならない。(ブランショ、ハイデガー、存在と時間Ⅱ 37節)ゲイリーの壮絶な過去が痛みを麻痺させ彼は受動的に感覚を遮断させて生きることを選んだ。しかし、感覚遮断をした者は自分を傷つけ、人を傷つけ殺しもする。

  しかしながら、真実は真実にだけは嘘をつけない。真実から離れても真実は憤る。自分は自分にだけは嘘を吐けないからだ。発覚していない犯罪内容がフラッシュバックとして回帰し続け、加害者は最後には自首を選ぶことが多いと言われる。昔はこれを亡霊に襲われ続け自首を選んだ等と言ったものだ。被害者においても同じだ。〇年〇月〇日朝〇時、首を絞めた加害者の手の跡が、出来事があったのと同じ月、日付、同じ時間帯、同じトリガーで身体に蘇る。これは生理的フラッシュバックという不思議な現象だ。

  人間の身体に無駄なものは何一つない。右脳と左脳、何故、脳にふたつの役割があるのか考えたことがあるだろうか?嘘は人間を殺す。「狸がびっくりすると仮死状態になるのと同じ」でトラウマ的な人というのは「言ってしまうと『狸』。」嘘を吐いて生き続ける。(内田樹)しかし、嘘も語り続けると人格がずれる。したがって「嘘を辞めなさい」と脳はアラートを出す。生存のために、危険なものを鑑別し自分を害するものは「臭う」。事実を最優先、正確無比で言語能力を持たず私情も挟まない右脳は、言語脳たる左脳が情動の辻褄を合わせ否認、合理化し、欲望に適合しないストーリーには作話するとき異常検知器=フラッシュバックを開始する。フラッシュバックとはつまり「嘘の介入」を意味する「嘘への警告」(アリス・ミラー)「危険への警報」。神戸大学元教授、中井久夫氏によるとフラッシュバックはあたかも未来から現在の自分に過去を伝えにやって来る自分。自分で自分を助けようとしているのだ。

 しかしながら、否定してしまいたい真実を指摘されたときにはひとは極度に激しく憤怒し「違う!」とヒステリー症状を引き起こし強く否定する。真実が夢=嘘であるとし、夢=嘘を真実とする。しかし、フロイトは言う。「真実を知っているから憤怒する」のだ。(フロイト ヒステリー病因論)そしてまた、ヒステリーは痛みを直視せず、未来へと時間をずらし先送りすることを可能にし、タイムトラベルを繰り返す度に人格は荒んでいく。「動きすぎてはいけない」のだ。(ドゥルーズ)ハインラインによるSF小説「輪廻の蛇」の映画化作品「プリデスティネーション」でもタイムトラベルを繰り返しボロボロになっていく主人公がいた。過去を変えすぎると自分が消える。「バック・トゥ・ザ・フューチャー」のように。SFとは ”Science to be"  先駆的過ぎて証明が未だ揃わない未来の科学だ。


























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