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サードプレイスってなんだ?サードプレイスが必要なくなった時

団地に引っ越してきてから、カフェや地域に足を運ぶ機会が減った。
私はこれまでばかみたいに旅行をしてきた。コロナ禍以外は年20回ほどは泊りがけで全国各地に行っているから周囲には「全国各地の地域や旅先情報にくわしい」と思われているし、自分もある程度自信があった。コロナ禍においてはちょうど大学院在学時と重なり、研究対象地である神奈川県真鶴町にこれまた月1回は通っていた。修士論文が終わってからも、ことあるごとに訪れている。大好きな珈琲豆屋さんや時々無性に食べたくなるピザ屋さんがあって、そして何十回も通ったりインタビューした移住者さんなどたくさんの知り合いがいて、ただ町を歩いているだけで「〇〇さん(私の名前)」と声を掛けられる。つながりの薄い生活をしている中で、なんと心地よい場所なのか。
人と人のつながりがちょうどよく、自然も近い真鶴への愛はすごすぎて、私の真鶴話を聞いた人は真鶴を訪れることも多く、私の今の一番の夢は「真鶴に移住」することだ。
(真鶴の話をまとめるためにこのnoteを書き始めたのに全然触れられていない・・)

その真鶴のお隣の小田原も好きだ。湯河原に祖父母が住んでいたこともあり馴染みがある町で、また大尊敬するオーナーがいるお気に入りのカフェがあって、ことあるごとに都内からわざわざ通っている。

都内から交通費をかけて、1時間半~2時間かけて小田原や真鶴に休日にわざわざ行く理由は大きく3つ。
❶日常から離れてほっとしたい
❷自然と触れ合いエネルギーチャージ(小田原や真鶴には都内にはない【さんさんと降り注ぐ太陽の光】と【澄んだ空気】と【美しい海】がある)
➌肩肘張らずにたわいもない話ができる知人・友人がいる

そう、私にとっては真鶴や小田原は「地域のサードプレイス」である。サードプレイスとは自宅でも職場でもない、居心地の良いカフェ等の「第3の場所」のことで アメリカの社会学者レイ・オルデンバーグが提唱したことで知られている。

逆を言えば、自宅では解消できない仕事などの日常のストレスを、日常とは異なる場所に身をおくことでストレスを沈め、エネルギーをチャージするような場のことである。それは労働者が角打屋などで一杯お酒を飲み、家路につくのと似ている。私もそのようにお酒を飲んでいた時代もあるし、仕事の後にカフェに行くことを唯一の贅沢として自分に容認したし、いたって自分を大事にするための、健康的な行為である。
そして私の小田原や真鶴のような【サードプレイスとなりえる地域】すなわち【お気に入りの地域を見つけ方】のようなことを示唆したい!とずっと思っている。今もだ。

ところが最近、仕事帰りや休日のカフェ、【地域のサードプレイス】に足を運ぶ回数がめっきり減ってしまった。小田原も真鶴も行きたい!!と毎週のように思い、そして気になるカフェもたくさんあるのだけれど、「それよりもまず団地の部屋でほっとしたい」と思うのだ。以前は夕方に出先で仕事が終わったら、「その地域に根差した喫茶店」を探し、喫茶店の良さをあじわうとともに自らに褒美を与えていたのだが、今は「人込みでゆっくりするなら団地でゆっくり」と家路を急いでしまう。

これは上記
❶日常から離れてほっとしたい
❷自然と触れ合いエネルギーチャージ
が団地の部屋でできているからだと思う。
部屋が日常ではあり、まあ家にいると洗濯やら掃除やら色々気になることはあるのだけれど、、でも喫茶店にいるよりも窓の外の景色を見ているほうがよくなってしまっている。
➌の人との触れ合いも、団地でもできつつある(まだまだだけれど)

と考えると「サードプレイス」って「プレイス」ではなく、ひとそれぞれの「条件」で成立するのかもしれない。
すなわち自分にとって心底心地よいと思える条件を書きだし、その条件を満たす地域選び、住まいを見つけること。
それは、私が築古団地でも実現できたように、お金があるとかないとかではなく、ちょっとした条件(私の場合、川沿いに住みたい)を大事にすることなのかもしれません。

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