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長生きしたい欲

周りの人に「長生きしたい?」って聞くと、8〜9割の人が「そんなに長生きしたくない」「そこそこでいい」と答える。じゃあ「そこそこってどのぐらい?」って聞くと「85歳ぐらいかなぁ」って。それって平均寿命だから「そこそこ」って表現するのはどうかと思うけど。

私はなんてったって、長生きしたい派。人間は頑張れば120歳まで生きられると聞いてるので、そのぐらいまで生きたい。もう充分生きたって思うのがきっと100歳超えてから。

なにかの番組で観たけど、100歳以上生きている人を研究している人たちがいて、そのアンケート調査によると、元気な100歳でも寝たきりで100歳でも、全員、押し並べて「人生で今が一番幸せ」と答えるそうだ。日本のみならず、どの国の人でも。身体が思い通り動いて青春真っ只中の10代より、お金に不自由がなかった50代や60代より、100歳過ぎた今が一番幸せ、と。それを聞いて、今まで以上に「長生きしたい」という欲に確信を持った。

一方で、長生きしたくない派の人たちの共通する意見としては、「元気で長生きならいいけど、ヨボヨボになって身体も自由がきかなくなって、人に世話してもらってまでも長生きしたくない」と。一見、謙虚な意見に聞こえるけど、逆に言えば、歳をとったら誰かに面倒をみてもらうはずという思考におこがましさを感じる。ならば今から健康でいられる食生活をし、自分の足でずっと歩けるように今から鍛えればいいのに、そういう人に限って何の努力もしていない。

とある人との話。50代後半で旦那様は一回りぐらい年上で子なし。まさに、長生きしたくない派。きょうだいはお兄ちゃんがいて、病気を患っているそうで、「両親ももう長くないし、面倒みてくれる子どももいないから、御兄と旦那が死んだら天涯孤独だわ。長生きしたくないし、ピンピンコロリでいきたい」という。そういう人も命に関わる病気になると「死にたくない」ともがくんだろうな。

大体、ピンピンコロリという表現もあまり好きではない。本人はいいかもしれないけど、家族は急に死なれて心の準備も出来ないし、しばらく辛い。実際亡くなった人にインタビューしたわけじゃないんだから、死ぬ瞬間を誰かに見られてないだけで、実際は一人でもがき苦しんでたかもしれないじゃない。眠るように亡くなった、ってのは長生きして老衰しかないんじゃない?

私がなぜ疑う余地なく長生きしたい派なのかは、私の祖母が最後まで元気で104歳まで生きたからというのも大きいかもしれない。そりゃ100歳超えたぐらいにはだいぶ歩きづらそうだったし、お風呂はデイサービスで人の手を借りて入れてもらってたけど、デイサービスに行くのを嫌がることもも文句を言うこともなかった。呆けることもなく、たまにしか会わない孫の顔と名前も忘れることなく立派な人だった。

私は自分の周りの人にも長生きしてほしい。

あとは私自身、今の人生に一片の後悔がないということ。この素晴らしい現世がずっと続けばいいという願いと、逆にいえば、「今死んでも悔いはない」。

元気なら長生きがしたい。綺麗な姿のまま死にたい。醜態は見せたくない。そう考えるのは日本人特有なのかもしれない。もしくは、いつか老いる、いつかやってくる死への心の準備で、そう言ってる人ほど死や老いに対して抗っているような気もする。

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