母とわたし。過保護な親子。
大人になると、どこかのタイミングで親と子の立場が逆転する。
自分が子供の頃は何でも親にやってもらっていて、旅行に連れて行ってもらったり、新しいことを教えてもらったり、親というものは何でもできて、何でも知っているんだと思っていた。
でも、大人になって段々とそれが逆転しているのを感じる。
私が旅行の手配をしたり、知らないことを教えてあげたり。
一丁前に「大丈夫かな?」なんて親のことを心配してしまう。
いつからだろう。
私が母のことを心配する立場になったのは。
私が母のために何でもやってあげたいと思うようになったのは。
ふとそんなことを考えたのは、母がメキシコにふらっと遊びにきたからだ。
ーー
11月中旬、母親がはるばるメキシコまで遊びにきてくれた。私が住んでいるメキシコシティと成田間は直行便が飛んでいるけれど、北海道に住んでいる母親は国内乗継もあって、母の家から私の家までの移動時間は合計24時間を超える。
30年ぶりの海外旅行。
パスポートを取るところからのスタート。
一人で国内旅行すらしたことない母が、24時間以上かけてメキシコまできてくれた。
「空港に着いたらカウンターに行ってね。」
「カバンから目を離しちゃダメだよ。」
「液体は持ち込めないからね。」
と当たり前のことを細かく説明。
「入国審査で困ったら見せて」と、スペイン語で渡航目的や私の連絡先などを書いた文書まで作成した。
母が一人でメキシコまで来れるか不安だったけれど、彼女は無事到着して、メキシコ滞在をめいっぱい楽しんで帰って行った。
毎日「ちゃんと寝れた?」「具合悪くない?」「疲れた?」と体調を確認し、「何食べたい?」「どんなことしたい?」「○○はどう?」と要望を聞きだし、「カバンのチャックちゃんと閉めてる?」「寒いからこれ着たら?」と、気づいたら子供に接する親のような態度をとっていた。
そしてふと、
「何かこれ、母が昔私にしてくれてたこととソックリかも…」
なんて思った。
私の母は超がつくほどの過保護で、自分でもかなり甘やかされて育った自覚がある。
血は争えない。過保護に育てられた私は、大人になった今、「母に対して」過保護になっている。
「それくらい自分でできるだろうな」と思いつつも、「大丈夫かな?困らないかな?」と思って心配になるし、「これしたら喜ぶかな?」なんて考えて何でもやってあげたい気持ちでいっぱいだ。
今までやってもらう立場で、それがずっと当たり前だと思っていたけれど、ふと気づいたら自分が世話を焼くようになっていて、それに気づいた時にほんの少し、母の老いを感じた。
こんな風に感じるということは、私が大人になったということであると同時に、母が老いたということでもある。私には子供がいないけど、たしかに孫がいたっておかしくない年齢。
母が私の人生からいなくなるなんて考えられないし考えたくもないし、今ふと頭の隅っこによぎっただけで涙が出てきたけど、今とりあえず彼女が元気なうちにたくさん私の愛情を伝えたいなって思った。
「親孝行したいときには親はなし」なんて最悪すぎる。
とりあえず、母が旅の思い出の写真を飾れるように、さっきフォトフレームを注文した。喜んでもらえるといいな。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?