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移住コーディネーターからDMO(観光推進機構)への仕事を選んだワケ

している仕事について
私はいくつかの仕事をしています。そもそも飽きっぽい性格でいわゆる熱しやすく冷めやすい。しし座のO型なんていうと、必ず「太陽のような人、社交的で明るい、リーダー的な存在」などと書いてあるものが多いけれど。
実際のところ、飲み会は苦手だし、若い頃も合コンやインカレ(昔、流行ってた!)イベントなんて何か欠席の理由がないものかといつも考えていたほうです。
 人付き合いは得意じゃないし、職場で本当は人間関係に一番苦労して、逃げ出してしまうような性格です。トイレで、先輩や同僚なんか歯磨きしていたら別の階にいくほうです。誰も気にしちゃいないだろうけど。
 
だから学生時代のバイトも鳴かず飛ばず。

その後の仕事も結構、変わってきました。

大手のデベロッパーの新卒入社から始まり、証券会社の店頭公開事務、地方創成の第三セクター支援派遣事業、地方再生手法に資産流動化を導入する事業(いわゆる地域不動産ファンド)、40過ぎてロースクール入学・・

 幸い?たまたま?偶然なのか、次の仕事、次の仕事と、なんとなく求められるまま次の仕事が決まってきました。

所属が変わるたび、全然、欲しくはないけれど、仕事に必要なのかな?と思うと試験を受けて資格をとる、を繰り返してきました。経緯についてはまた今度で。
 そして今、私は3~4つ程度の仕事をしています。

ひとつ目は2つの法科大学院(ロースクール)の専任キャリアコンサルタントをしています。

2つめは、月に一度のペースで予約を入れてくれるキャリアコンサルのクライエントさんが数名。キャリア構築支援やプラン作成、相談内容は様々で、ファイナンシャルアドバイスをしたり、商品ブランディングのお手伝い、プレゼンの仕方なんていうのもあります。その関係でファイナンシャルプランナーとして、日々のお金の話をしたりします。
 
3つめはメンタルヘルスマネジメント企業向け講習などの研修。
 
そして今年2年目を迎える4つ目が、島根県にある観光推進機構のCMO(チーフマーケティングオフィサー)の仕事。門外漢の観光業界。

◆暮らすと旅するの間
 長い前置きを終了して。
最近よく聞く言葉に「暮らすように旅する」というのがあります。旅の形がかわった、旅の目的が変化したのはコロナ禍を経て、という人もいますが、少し前から、そんな潮流はきていたと思います。ホテルへの長期滞在やバケーションレンタル(一棟貸)が増えていたのがその例。

40代後半。それまでの地方再生や行政の町づくりコンテンツにかかわってきた経験に興味を持っていただき、数年前ある県の移住コーディネーターを引き受けました。
そこで感じたのはこれまでの行政の地域創成事業やUIJターン施策の計画でも感じた覚えのあるささやかな違和感。

「古家、畑つき、牛一頭もつけちゃう」
「〇〇万円進呈」
「新車、差し上げます!」

行政は知恵を絞って?(ほんと?)移住特典を考え、田舎暮らしフェアやイベントで発表します。(結果どこもそんなに変わらないものがでてくる)
 でも、それはお菓子のオマケみたいなもので一見、目を引く仕掛けも時間と共に価値は薄らいでしまう。

オマケにつられてきた人がいても、そうやって手にいれたオマケは、案外壊れやすく「暮らし」という現実の中では埋もれてしまい、結局、「移住」は少し長い旅?だった、ことになる・・・。
 いい経験だった、とはいえるけど、費用も精神も肉体も使い果たしている人も多く、そう簡単なことでもないのです。
 やっぱり「他のところで暮らす」って、ハードルが高いもの。

「いいな、そんな生活!」との思いは必ずしも「移住」の成功を導かない。何をかくそう私がその経験者だから言えることです。

でも、だからといっていくつか訪れるうちのひとつ。一度だけ行くイベント旅のひとつにしておけばよかった・・とも思わないのです。

◆「機が熟す」途中を味わう
 「暮らすように旅する」というのはまさに旅人の言葉。旅人のままそこでの暮らしを体感してみること。ホテルの長期滞在もバケーションレンタルを借りて地元スーパーで買物をして、ご飯をつくる、町の温泉に行くのもよし。
「暮らす」を実現するはじめの一歩は「旅すること」に他ならない。

行ってみてはじめて、そこにいる自分の姿のイメージがはじまります。
人によってそのイメージの膨らませ方、色の付け方異なっていていいのです。
・長くいることで「違った毎日を体感」し、旅人から少し暮らしの人に近くなる人
・短い滞在を何度も重ねながら、季節や空気、温度や湿度を感じることで場所との距離が近くなる人
・誰かと知り合い、親しくなることで、また会いたいを繰り返し、居心地の良さを育てていく人

旅が結局、暮らしの入口であること
機が熟す時間が、徐々に旅人をまちの人にする色とりどり、種々多様な旅のカタチを創出をすることで、その人の少し先にある「暮らし」の輪郭が見えてくるんじゃないかなと思ったのです。

そうして新しい業界に50歳を過ぎて挑んでみようと思いまもなく二年目の秋を迎えます

島根の街の屋根

◆今日のひと皿

ホタテのサラダ
山葵オイルが決めて!

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