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逃げるのは簡単だけど、そろそろ

そのとき私はとても心が疲れていて、どうしよう、と思った末に、周りの人に「海外でも行ってくれば」と言ってもらって、「うんそうね」と思って航空券を予約した。

あまり多くの人に告げずに。最小限の人たちだけに、私は日本を少しだけ離れます、と伝えて。何をどう考えたのかはよく分からないのだけれど、一人旅だと言っているのに、ハワイのオアフ、ホノルルへ行くことを決めた、いつだったかの冬。

青い、海が見たくて。
白い、雲が見たくて。
風の気持ちよさや、木陰が時間の経過と一緒に移動する感じ。
日本で行列を作っているパンケーキを、さらりと朝ごはんとして食べるような、何か自由な感じ。

日本を出ると考えるだけで、少し心が軽くなる気がした。どうして私は、いつも長い距離の移動を含めないと、今両手に抱えている質量のあるものを、少しだけでも手放すことができないのだろう。

飛行機の旅で一番好きなのは、フライトの空間で得られる「時間軸が定まっていない」ような感覚。ここは、いつも通り呼吸ができる場所であるのに、日本時間でも、目的地の時間でもない。「フライト中」というどっちつかずのふわふわ浮いたその数時間は、私にとってどこか免罪符のようで、「今は移動だけしていればいいよ」と語りかけてくれているような気がして。

***

ハワイに来るのは2度目だった。どこかへ行こう、と思った時、知らない土地へ行くのはちょっとだけ気が引けた。旅が好きだと豪語する私でさえ、その時はありとあらゆることを調べるのが億劫だと感じて、行ったことのある場所を選ぼうと思うのだから、旅好きなんて不安定なものである。

今でも全部覚えている。ファーが付いたコートが必要だった日本を抜けて、サンダルとワンピースで十分な気候の、冬のホノルルの街を一人で歩く。キッチン付きのアパートメントに一人足を踏み入れて、高層階に上がった時に見えた海の青さ、夕焼けのオレンジ、パンケーキのホイップの厚み、エッグベネディクトのとろりとろける卵の食感や、缶ビールをぷしゅっ、といわせて片手で開けた、その瞬間に見ていた風景。それを実行する、嬉しさと寂しさ。

一番記憶鮮やかなのは、一人ローカルバスに乗って向かったノースショアの、波やそこで作られるアクセサリー。ワゴン車が運ぶガーリックシュリンプのちょっとチープで雑な盛り付けの、けれど海に似合う味。日に焼けた肌が並ぶかき氷屋さんに、その横にあるオリジナルバッグのかわいさ。

誰とも話さない。笑顔を時折交わすだけ。英語もいらない。日本語も通じる。買い物もしない。ただ、その街を歩くだけ。ヨガをするだけ。ごはんを食べるだけ。適切なタイミングに、十分な睡眠を、貪るだけ。たまにイルカと泳いだり。

少しずつ、少しずつ心がほどけていく。最初の数日は、ホノルルの風を浴びてもまだ泣きたくなるだけだった。山手線に乗っているだけで、涙がぽろりとこぼれてくるような、不安定なこころ。そんな自分が嫌で、ねぇ少しだけ仕事を離れてもいいかしらと、半ば逃げ出すように、いやただただ逃げ出してしまった、あの時。

振り返れば私はいつも周りの人を巻き込みながら困らせてばかりで、上手く進めなくて、進んではいるんだけど、急に方向を変えたり、「言ってることと違うじゃん!」ってなったり、「おいおい自分のこと棚上げかよ」となったり、「ねぇ助けて…」となったり。

忙しいなぁ、って、今も思う。勝手に、一人で。

また私はきっと、少しだけ環境を変える。旅には出るけれど、まだどこへ行くのかは分からない。

この3年、色々な感情を引き出しの奥に詰め込んでは取り出し、取り出しては引っ込めてを繰り返してきたけれど、その奥の奥、一番後ろに追いやったソレを、私はそろそろ見て見ぬふりしてはいけないんじゃないかと思う。何をしても、どこに居ても、変わらなかったその気持ち。叶わない恋心にさよならを言う時に似ていて、諦めに似たその感情は、まだでも、相手にぶつけていないんだから、しなきゃね、と思う。

私はまだ、きっとどこへでも行ける。だからこそ、どこへ行きたいのかを、そろそろはっきりとさせなくちゃ。


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