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足裏が地面に数センチ近づいたら、旅が始まる合図【日本・東京→モロッコ🇲🇦】

地面に数センチ近づくと、「旅が始まるのだな」と感じ始める。東京にいると、どうしてもヒールの靴を履いてしまう。それはきっと、まだ背伸びをしたいから。見栄を張って、強がって、それでも私はこの街で生きていくのだと、大勢の中に、混ざってどこか安心をしたいから。

「ヒールの高さだけ、違う世界が見える」みたいなことを、昔誰かから聞いた。数センチ高い距離から見るネオン、階段との距離感、あなたとの顔が近づく、その数秒の差。本当に小さな差でしかないのに、ヒールはどうしてあんなに、1日のカラダと心を時に疲弊させるんだろう?

気分にぴったり合った靴は、私たちをよい場所まで連れていってくれる。旅には、フラットな靴が似合う。

明日から、いえこのnoteを更新する今となっては「今日から」、私は再びのモロッコに行くらしい。先ほど、やっとパッキングらしきことは終えた。けれど今になって「スーツケースの大きさを、どうしようかな」とかって考えているから、もしかしたら明日の朝、成田に向かう前のその足で、新しいスーツケースを買うかもしれない。当然、そのあとは一度家に寄って、荷物を詰め直して、そしてまた、玄関へと向かう。

前回、世界2周目の旅に行ってくる、と言って旅立ったのは、5月の終わり頃。帰ってきたのは7月の末で、そこから私は日本を出ていない。国内をずっと、うろうろとしていた。

久しぶりといえば久しぶりなのだけれど、どうして今回は、こうも実感が湧かないのだろう? 一人ではないからなのか、はたまたルートがあらかじめ決まっているからなのか、帰りの日が決まっているからなのか。(そう、私はそもそも「決まっている」ということがどうもそんなに得意ではないらしい)。

明日になって、仕事をあらかた片付けて(それでも終わりそうにないのだけれど)、一応これも仕事の範囲内に入ることなので(めでたい)、いぇい、モロッコだ。と思いながらきっと渋谷駅から成田空港まで向かう。

そうしたら、もっと「モロッコだ」とか「カタール経由だ」とか、フライトの重みや長さを思い出したりするのかな?

そうそう。心は、いつもカラダに遅れて旅先にやってくる。

旅に出る前日の夜、心はまだ、出発しようとしていないらしい。

だけれども、大冒険。明日から、10人で、10日間。アフリカの端っこへ。世界遺産の街を渡り、砂漠で満月を見て、スークと呼ばれるマーケットで迷い道の買い物をして、そしてたくさんの写真と思い出と美味しかった記憶とイスラムの香りを持って、還ってくる。

これを楽しみと、言わずに何と言おう? わくわくと、どきどきと、少しの不安と。夢がまたひとつ、叶う。おやすみ、世界。

いつも遊びにきてくださって、ありがとうございます。サポート、とても励まされます。