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今となっては夢かと思うような、雪が覆う白い世界で【北海道・下川町→東京】

たくさんの経験と瞬間が絡み合い、私たちの人生は紡がれる。「人はひとりでは生きられない」そんな当たり前で「知っていそうなこと」を、「肌で理解したかどうか」は、その後の人生を生きる上で、きっと大きな違いとなる。

「いつかこの街が消えてしまうかもしれない」なんて、頭で考えたら誰もが「そういうこともあり得るだろうな」と、数の上で「わかった」と言う。

私は初めて、「本当に消えて失くなるんだ」と、今日の延長線上にそれを見た。「この土地で、ずっと暮らしてきた家系が、すべて途絶える」。12年後の今日には、もう。

こうやって、たくさんの歴史や町や、瞬間は「昔あったこと」になり、いつしか「なかったこと」のように扱われる日々に巣食う。

雪が、好きじゃないと思っていた。全ての音吸い込む、あの真白な世界を作り上げる、冬の象徴。雪降る街に、26世帯。「新しく住み着いた人」が第二世代として「選んだからこそ」、まだ北海道・一の橋は存在するかもしれない「可能性」を持った。

しん、と静かな。夕日暮れる。16時だというのに。東京から遠く離れた、北の大地の、そのまた先の、人口3,300人少しの下川町の。そのまた先の、小さな集落・一の橋。

北の北の北の、北の果てで。元々の出身者じゃない人が、この土地の新しい代表者になる。

歴史の先端の先端、先っぽの先細りしそうな2018年の冬の夕暮れ、北海道下川町。不思議な近未来を、けれど確実に近づいている確かな私たちの未来を、今日、先に見ている気持ちになる。

SFではないはずなのに、どこかまだ信じられない気持ちになる。少子と高齢化、だなんて、日々聞くような私たちの「現実」だけれども。

「この土地出身の人が、一人もいなくなる」2030年、12年後には、もう。それを、肌と五感で、知ってしまったら。もう戻ってはいけない。戻れない。戻ったら、だめだ。

取材という名前で、この4〜5年、1,000人、2,000人という人の話を聞いた。データベースとなって、全て血と涙通う「誰かの顔と声」として、全国から頭に警鐘が響く。16時にはもう真っ暗になってしまう、まるで北欧のような、遠い未来の世界のような、けれどこれが、編集者としての、カメラマンとしての、友人を持つ者としての。いま、確かに触れている現実。

暮れていく、13日。この目の前の現実が、そう遠くない未来に、日本全国に起こりうるだろうとは。不思議な気持ちになる。(当日、取材直後の一の橋滞在中に走り書きした文章です。冒頭からの本文は、後日思い出しながら書いたもの)

24時間が経った後、私は環境未来都市・下川町の一の橋地区の、壮大な社会実験場のような、近未来を少しだけ先に実現したような。木質バイオマスボイラーによる地域熱供給で人と産業が生きる、山奥の「集合住居」を離れて。もう一度旭川空港に立つ。

「電車が通っていない価値」は、この世界に確実にある。

時間が歪めば、時空も歪むのか。

しん、と雪が、ただ降り続ける。この土地の冬は、一年の半分ほど続くのだ。それは、ただすべてを吸い込んでいく。隠してゆく。旭川空港は、確かに羽田空港から続いた先にあるはずなのに、どこかで森は、下川と一の橋の暮らしを隠してしまう。

ムーミンは、こうゆう世界で生まれて育ったのだろうか、となぜかフィンランドのトーベ・ヤンソンに想いを馳せる。雑念やノイズが消えてゆく。「であれば私たちは、どうして生まれて生きるのか」。

とにかく手を動かせ、と彼女は言った。「夢かうつつか」と問うならば。それらは現実であってほしい。すべて泡となって消えてしまうような儚い「何か」ではなく、「未来を掴む」「遺す」と、確かにその手に握りたい「明日」を、彼らは数十年も前から、自分の生きる時間にはその世界が見られないと知っていても、「やる」と決めたのだから。


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