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2/17のうちにできればひっそりと更新したかった、私の日記のようなもの。

「バタン」と音を立ててキッチンの扉を閉めてしまった時、私はいつも「あぁ、ごめんねマックス」と異国の地で暮らす彼に、どうしてだか想いを馳せる。

スペイン(それはいつかスペインでなくなってしまうかもしれないけれど)のバルセロナ。たしかあれは、Monumental駅の近く。歩けばすぐにバルセロナ凱旋門が見えて、爽やかな風が吹き、海も山も見えて。そう、世界穏やかな2017年4月の頭、私はマックスの家ですこしだけ暮らしていた。

というとロマンスのように聴こえるかもしれない。が当然のようにそれはAirbnbの一室のことを指していて、そしてマックスのほかには、トルコからやってきたというもうひとり、別の旅人が私とはまた違う部屋で、すこしだけの期間過ごしていた。

そう、それが私にとってふつうの日々だった。出会い、別れ、そしてときおり、その後の人生で長く思い出したりするような、ささいな出来事とすれ違ったりする毎日。

食器の重なりをすこし乱暴に扱ったり、慣れないキッチンでカタン、パタンと小さく引き出しの音を鳴らしながら探したり。そういう私とキッチンで鉢合わせてしまうと、いつもマックスはちょっぴりだけ困ったように、「トモミ、音を立てずに探してごらん」と私を諭した。

「あぁ、ごめんなさい」と私は言う。洗濯物も、掃除機も、なんだかマックスは世界のすべてにやさしく接しているように見えた。少なくともあの頃の私には。

それはバルセロナの街に流れる、世界でも有数の私の「街に対する愛」みたいなものも影響していたのかもしれない。サグラダ・ファミリア。未だ育ち続ける、世界的にも有名な、あの。

なんど見ても見飽きない。同じ街を、ひとりで訪れるのは、なかなかに珍しい。それほど好きだった。じっとじっと、見ていたいと願っていた。滞在中何度空とともに見上げただろう。水面に映るそれ、朝陽に照るそれ、夕暮れに染まるその、夜空の美しさに溶け出すような。輝き、憧れ、未来に投げる、一筋の願い。

スペインからイタリアに渡って、モロッコ、UAE、香港、タイ、ラオス、次いでカンボジア、ベトナム。日本は東京から北海道、青森、島根、宮崎、鹿児島、京都大阪、新潟沖縄佐賀……。もう数えられない。屋根の数で、家の数でいえば私はいくつ渡り歩いてきたんだろう。そういえば、誕生日もクリスマスも、もうどうやって過ごしたか覚えてない。たぶんどこかの街に、いたんだろうと思う。

***

きっとみんな、「知美はこの街にはいない」と思っていた。いやきっと、もう忘れられていたんじゃないかと、すら。認めなければと。

私だけが私の居場所を知っていた。今日どこで眠るか、明日どこへ行くか、明後日何の飛行機に乗って、いつ誰とどんな言語で笑い合うか、泣くか。これから先。そう、流れて。どこへ行き着くのだろうと、私自身も思っていた。

「いつか落ち着きたい」と願っていたけど、「まだここに決めるのは怖い」と。「家を持つのが怖い」なんて、ほんとに一体誰が分かってくれただろう?

だって2年に余るくらいの間、私は本当に、仕事と仲間と人生さえ許せば、どこへでだって、行けたのだ。そして、実際に名実ともに、行っていたのだもの。

けれど「もうこのスタイルも一旦おしまいだ」と気づいていた。それはもう、ずっとずっと前から。「人生にはリビングとキッチンが必要だ」と感じたのは、旅に出始めてから3ヶ月目の、イギリス・ロンドンのことだったから。どんだけそれから、放浪してたんだよ、と自分で自分に突っ込みたい気持ちも、きちんとある。

けれど一方で違う事実にも気づいていた。「こんなに自由気ままに、世界を動ける人生の期間は、決して長くない。具体的に言ってしまえは、きっとここ2〜3年のことだ」と考えていた。

もちろん旅は、いつだってできる。

けれど私は知っていた。身軽でいられる人生の期間は、ひょんなことですぐに終焉を迎えてしまうということを。だって私は経験したことがあるのだ。そうそれは、とても美しく、儚く。羨ましくて、しばらくの人生できっとまだ、手に入らない、愛しい。

とりとめのない思考。まるでそれは人生を大きく変える前の日のようで。指先が紡ぐ気持ちを、なにのもまとまりもなく書ける場所。そんな回もあっていいかと、今夜も思って私はこれを大きな海に放ってる。

今日はたくさん笑った。思い出したいほど美しく。きっとこれから、この光は大きくなるだけなのだろうと、あたたかな家の中で想う。

いつも遊びにきてくださって、ありがとうございます。サポート、とても励まされます。