見出し画像

夏を追い駆けて生きていけたら。

朝起きて、窓の外がまた明るくてきれいなことに、ほっとする。そして、嬉しくなる。

朝起きて天気がいいということは、きっと世の中にとって特別なことじゃない。けれど私にとっては重要だった。オーストリアから移動して、ここチェコに入ってから空が一段と高くなったような気がしていた。何か地理が関係しているのだろうか。それとも、ただの私の勘違いか、7月に入ったから本格的な夏を迎えて、雲が少し変わっただけだろうか。

チェコの夏は、とても過ごしやすいようだった。ベッドから出て、ドアと窓を開ける。キッチンではナンシーがりんごを剥いていて、その足元で犬のフェイドが餌をくれ、くれ、とねだっていた。

ナンシーがおはよう、と言う。よく眠れた? と聞いてくれる。私もおはよう、と返す。Airbnbの宿ももう10何軒目だ。久しくホテルには泊まっていないことを思い出して、誰かと暮らすのはやっぱり悪くないな、と思う。

顔を洗って歯磨きをして、一通り身支度をしてから、マンゴーを剥いて、簡単なサンドイッチを作って、そしてペパーミントティーを淹れる。部屋の中には、7月の朝の爽やかな風が入ってきていた。チェコは朝晩はかなり冷え込むようで、夏と言っても私の感覚としては1日の中で春夏秋が巡るようだった。

朝は春の風、昼は夏の日差し、夜は秋の始まりの寒さだった。肩を出したワンピース1枚だと1日に十分には対応できなくて、けれど肩を出していてもそれほど日焼けしなさそうな日差しのやわらかさで、うん、ここはきっと良い気候の街なんだな、と思う。

事実、昨日取材させてもらった女性はそう言っていた。いまプラハはもっとも良い季節よ、と。もとい、ヨーロッパ全土で良い季節、と。

「できれば日本の夏は避けて生きたくて、6月の梅雨に入ったらチェコに帰ってきて、日暮れの早くなる9月末、10月になったらまだどこかへ移動して、って暮らせたらとても楽しいのにね」と彼女は言う。彼女も、既婚者ながら年のうち4ヶ月は他の国で暮らしているひとだった。先月までは日本にいて、来週からはニューヨークへ行くという。

そう、私も最近、ちょうどそう思っていたの。と取材もそこそこに、旅の話に花を咲かせる。女ふたり、チェコのプラハ。旅好きが集まると、どうしても旅の話に引っ張られがちだ。

スリランカを地元のバスで一周、インドをバックバックで旅した話、けれど東南アジアではネパールが一番好きだったと聞いて、旅程の都合で訪れるのを諦めてしまったスリランカとネパールに想いを馳せる。いつか私もきっと行くのだ。(けれどスリランカは蚊が多すぎると聞いて、怯んだ。蚊帳があっても1晩で10箇所は刺されたと言っていた。……もう蚊に刺されて肌が傷むのは避けたいのだ。29歳としては)

***

……そう、私もそう思っていた。

桜が咲く4月には日本にいて、5月の気持ちいい春を思う存分味わったら、6月の気持ちよい季節に入ったヨーロッパに移動する。できれば地中海、イタリアやクロアチア、南仏からのスタートがいい。1ヶ月単位くらいで街を変えながら、ふらふらとヨーロッパを北上したり、南下したりして。22時前までうっすらと明るい、短い夏の季節が過ぎ去ったな、と感じてきたら、今度は南米へ移動してベストシーズンの国を貪るか、日本に一度帰国して紅葉の季節を楽しむ。11月に入ったら東南アジアが良い季節になってくるから、美味しいアジアのご飯を安く食べたり、かわいい雑貨を買い漁ったりして、そしてオセアニアが春・夏を迎える12月になったら年越しを兼ねて南下していく。

ニューヨークでの年越しも惹かれるけれど、そういえばシドニーも美しいと聞く。台湾でも良いし、もちろん日本も好きだけれど、やっぱりこの中で1月1日が一番暖かいのはシドニーだから、南半球へ向かうのが今の私にとっては一番適しているような気がする。

花咲き誇るニュージーランドは、どんなにきれいだろう。まだ行ったことがないから、想像できない。

夏が好きだった。1年中夏でよかった。今年はその年にしようと決めていた。夏だけの国を巡ること。だから装備は軽装だった。ただ、旅人にもはや必須だとも言われているユニクロのウルトラライトダウンは、インドの50度の気温の中でやけになって捨ててこなくてよかった。飛行機やバスの中は、あれがないとたまにやっていけない。

***

昔、桜の季節が好きすぎて、ずっと桜が咲いていればいいのにと願って、「もしかして、沖縄から北海道まで、数ヶ月間桜前線とともに北上していけば、ずっと桜の景色が見ていられるんじゃないか」と思って、結構本気で憧れてたりしていた。そして、日本全国ずっと、とまでは言わないから、本気でちょっと一緒に北上したり、満開のエリアを巡ったり、東京の季節が終わったら新潟へ帰る、みたいな軽い実験もしてみていた。

ちょっと、感覚が変わる。

夏を追い駆けて生きていくのも、楽しそうだなと思う。でもきっと私は雪国生まれだから、また雪が恋しくなったりもする。そしたら一度日本に帰って、あの張り詰めた美しい冬の気温を肌で感じて、「くー寒っ!」なんて言って、ホットワインでも(熱燗でも)作りながらぼた雪が落ちる様を見るのだ。こたつの中で。

なぜこんなに移動が好きなんだろうと思う。不思議だな。移動は飽きない。移動は楽しい。飛行機で空間を飛び越えてしまうような旅行の移動じゃなくて、できたらバスやフェリーで空間を繋いでいくような、バカみたいな旅がしたい。

「目的地じゃなくて、その途中が気になるのよね。その途中のひとたちが、何をしていて、何を幸せだと思って暮らしているのか、どんな表情をしているのかが、知りたい」

と昨日の女性は言っていた。分かる。その途中が、私も知りたい。

今日はチェスキー・クルムロフという、チェコ国内の小さな街を訪れようかと思っていた。昨夜から、バスを調べる。どうしても、帰りのバスのチケットが満席で予約ができないようだった。

ううん、どうしよう。じつは私は、明日の夜にはデンマークのコペンハーゲンに行かなければならないのだ。

「未来の私が楽なように」と思って、オーストリアであらかじめ2つ先までの交通手段と宿を決めていたのだけれど、やっぱり気分と予定はそぐわない。

もう少しチェコにいたかったな、と半ば本気で泣きそうになりながら、そろそろ今日も出かけようか、と食べ終わったマンゴーの食器を片付け始める。今日は何を着よう。ピアスは何を着けよう。そうだ、RMKとSKINFOODのファンデーションとパウダーがなくなったから、コスメを買いにショッピングモール「パラディウム」へ行かなきゃ。仕方がないから、ベアミネラルでも買おうか。MACを買ってもどうしようもないしな。

私はこの2ヶ月と少し、ずっとすっぴんに近い薄化粧でいたから、もはやフルメイクの自分の肌にちょっと違和感を覚えていた。たまに気が向いて化粧をしっかりしたものなら、鏡を見た時に「ん?」とちょっと嫌な気分にすらなりそうになる。これまでの人生、私は「化粧をしないと辛い」みたいな気持ちがメインだったから、もしかして人生の時間を節約していくためには、これは良い傾向なのでは、と思ったりする。

夏を追い駆けたいとか、お腹がすいたとか、コスメを買おうとか、化粧はしないとか(でもやっぱりきれいでいたい、美しい、が難しいならせめて身綺麗に)、これからどうやって生きていこうとか、夫は元気だろうかとか、いろいろなレベルの様々な思考を一瞬いっしゅん織り交ぜながら、今日も私はチェコで生きてる。

毎日は楽しくて、このままの日々がずっと続けば良いのにと思うほどで、でもそろそろ日本への一時帰国の日がカレンダーの視界の隅に現れ始めていた。

7月末の日本は夏だろうか。きっと夏だ。とてもとても暑い。なら良いか。広義の意味では、それだってきっと「夏を追い駆ける」ことになる。



いつも遊びにきてくださって、ありがとうございます。サポート、とても励まされます。