やっぱり人生の全肯定だった。映画「漁港の肉子ちゃん」
どうして劇場で見なかったのかなー。。。と悔やまれる名作であった。娘と見ながら、一緒に泣いた。とんでもない、愛の劇場だった。
企画・プロデュースに明石家さんまさん、肉子ちゃんには大竹しのぶさん、娘のきくこちゃんにはCocomiさんと、もうなんか名前だけでお腹いっぱいになる日本の芸能界を作ってきた人たち(とその子孫)が製作したアニメ映画。原作は、ああもう、あの西加奈子さんである。
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肉子ちゃんは、頭が悪くて、無防備で、そして圧倒的に愛の人でした。この作品には、愛しか描かれていない。いやそうじゃないものも、あった。人によっては、苦しくなったり不快に感じる描写もきっと。
だけど、肉子ちゃんの存在が、キャラが、そうした偏見や同情を掻き消していくのだ。
この人を前にして、「かわいそう」とか「悲しい」とか、ちょっと間違っている。
そう思わせるリアルさがあった。私の周りには、肉子ちゃんのような強烈キャラは存在しないが、「こういう人、いるだろうなあ」とぼんやり思わせてしまうのは、やはり、舞台や人物描写の細かさだったりするんだろう。
肉子ちゃんの肉感的な体とか、キクコちゃんの子どもらしくないけど大人でもないキャラとか。ああ、わかる。いるいる。見ている側は、それにやられてもう、「この人たち、どうなるんだろう」ってただただ、見守りたくなる。いつの間にか、共鳴しているんですよね。
主人公は、肉子ちゃんだったのか? いや違う。肉子ちゃんときくこちゃんというあんまりメジャーではない、社会の隅っこにいて決して光の当たるところにはいない彼らが、生きながら発しているのは、光なのだった。
そして、彼らを光たらしめているのは、サブとなるキャラクターたちでもあった。キクコちゃんの癖のある友達の一人マリアちゃん、もしかしたら発達障害かもしれない二宮、焼肉屋なのに「うおがし」のサッサン。
みんな生きている。しょーもない問題に悩みながら、周りや誰や彼やにあれこれ言われながら。しょーもなく自分をそのまんま生きている、その圧倒的なリアルが、前編にわたって光を放っていた。
ラストシーン、一人で観ていたら死ぬほど泣いたかもしれません。娘と一緒だったから遠慮してしまった。でも、終わった後、二人で「本当にいい映画を見たね」と言いあえたのが嬉しかった。
いろんなものごとに、勝手に理由つけたり、偏見持ったり、正解を導き出そうと私とかは必死になってしまうけれども。ヘンテコでも、歪でも、バカでも意地悪でも、生きてるって光そのもので愛なんですね。
こういう作品を企画・プロデュースしてしまう明石家さんまさんという人が、もうなんか、奇跡の人に思えます。
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