NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』で蘇る、父が教えてくれた畠山重忠という男
武士の鑑・畠山重忠が死んだ。
実際亡くなったのは、1205年の鎌倉時代、はるか昔のこと。
今日亡くなったのは、NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の物語内での出来事である。
演じたのは、俳優・中川大志。
凛とした佇まい、内に秘めた闘志、揺るぎない信念、清廉潔白な人柄、おまけに見栄えもいい。
畠山重忠に会ったことはないけれど、きっとそうだったのだろう、と思わせる所作や表情、声色を丁寧に、そして繊細に表現していた。
Twitterを見ていると、弱冠24歳にして、42歳の悲運の武将を見事に演じ切ったと視聴者たちからも大絶賛を浴びている。
次は中川大志が主役の大河を見たい。彼にふさわしい歴史上の人物は誰か、という議論が白熱するほどのバズりっぷり。
私もみんなと同じ気持ちだ。
内から沸き上がる感情を目で語り、落ち着いた喋りと間を巧みに操るあの演技を、次はもっと長く見ていたい。
物語の前半で、佐藤浩市演じる上総介が斬られたときがそうだったように、しばらくはロスから立ち直れそうにない。1週間ほど喪に服することとする。
畠山重忠に話を戻そう。
彼の存在は、今回のドラマを見るずっと前、中学時代から知っていた。
自由研究で何をするか全く決めていなかった私に、中学校の社会科教師である父から、畠山重忠について調べることを提案されたからだ。
当時、私が住んでいた場所は最寄駅が二俣川、通っていた中学校は万騎が原中学校(個人情報垂れ流しまくりだが、ここに触れないと話が進まん)。
ドラマを見ていた人なら記憶に新しいだろう。
そう、つい先程まで中川大志と小栗旬が一騎討ちしていた戦場である。
そして、前述した母校の校訓は「知・仁・勇」。
学校のHPにも書かれているとおり、この地にゆかりのある畠山重忠の遺訓からとっている。
社会の先生だった父は、近場に関連の石碑などがあること、母校のスローガンが重忠公と結びつきがあることなどを知っていて、私がレポートを書きやすそうな人物を提案してくれたのだろう。
カメラを持って、鶴ヶ峰にある石碑や、首洗いの井戸があったとされる場所を一緒に巡った記憶が鮮明に蘇る。
夏だったから暑かったし、源頼朝は知っていても、畠山重忠については、授業で触れられることもなく(私が覚えていなかっただけかもしれないが)、予備知識がなかったため、当時はあまりピンときていなかった。
やらされてる感丸出しで、言われるがままレポートを書き、現地の写真を貼って夏休み明けに提出した。
そうか、あのとき調べた歴史上の人物はこんなにも立派な武将だったのか。
みんなから尊敬され、武士の鑑として讃えられた彼が最期を迎えたのが、私が長らく住んでいた二俣川、万騎が原の地だったのか。
16年の月日を経て、今日、ようやく伏線が回収された気分である。
当時、このドラマをやってくれていたら、もっと熱量をもって、自由研究に打ち込めたのに。
きっかけはどうあれ、1週間前から彼の最期を、頭の片隅で意識せざるを得ないほど、親近感がわき、想いを寄せるようになったのは、やはり自由研究の題材に選んだことが大きく影響しているのだろう。
800年以上前、源頼朝に忠義を尽くし、鎌倉幕府創業の功労者だった畠山重忠。そして彼の存在を教えてくれたお父さん。
2人とも今は亡き存在だが、私の記憶の中では(リアル重忠はそもそも記憶にないが)尊敬する人として、きっとこれからも生き続ける。
あのレポート、どこいったんだろう。
引っ越しのとき捨てちゃったのかな。
ダメ元で、クローゼットの中を探してみようと思う。
見つかったときには、悲運に見舞われた重忠を悼み、父との思い出を懐古しよう。
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