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『體』とは?

書いているときは、おはようございます。

もなりんです。


みなさんは、「からだ」という字を見たときにどの感じを当てはめるでしょうか?


まあ、ほとんどは「体」ですね。

とはいえ、中には「身体」「空だ」「殻だ」と考える人もいるかもしれませんが…。


で、先の「体」なんですが。

いくつかあげた中での「身体」にもあるのですが。

実はこういうことにもなります。

つまり、空っぽでなにもない経験こそが「躰(からだ)」だったのです。一方、身は実(み)と似た感覚経験で「ある」「つまっている」「みちている、みつる」感覚経験を意味します。(光岡英稔 「身体の聲」より)


そう、空っぽのものでもあり、満ちたものでもある。

そういうものが本来あるはずだったのですが…。

そういう感覚をまったくもって同一化に捉えようとしたがために混同してしまうようになってしまいました。


さて、タイトルにある「體」なのですが。


これは、まさに字のとおりで「骨が豊かに使えるから體」なのであるということ。

昔の人のような生活、それこそ江戸時代とか、それより前の生活をしていますと、今では考えられないような状態に出くわします。

移動力に優れた飛脚、俵をいくつも担いで歩いた農民、吊り天秤を担ぎつつ商売を行う商人…。

今の筋力信仰ではありえないくらい、うまく體を使っています。

それこそ、まさに骨を使っていかないとうまくいかない話になります。

筋肉も使うのかもしれませんが、おそらくは骨のバランスを調整する方向が強いのかなと推測されます。

現代で近い感覚ですと、頭や腕やらに水の入ったお盆を乗せても落ちない人たちのようなものですかね。


そういう感覚を持っていたのが、「體」というのを使い分けていたころの話ですね。


ちょっとまとまらなくなってきましたが、この辺で。






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