答えのない問い
書いているときは、おはようございます。
もなりんです。
やっとリズムが戻ってきました。
淡々と、できるようにまたやりつづけますかね。
さて、今回は「意味のある、なし」についてちょっと書いていきたい。
というのも、これだけなんでもそろっている今の日本のなかでは、こんなことを思う人も少なくないですし、自分も一時期あったことがありました。
「自分なんかが生きていることに、なんか意味があるのか?」
この問い、かなり変な問いですよね。
とりわけ真面目にやればやるほどに、かなりあたまが痛くなるような、堂々巡りになります。
さらにこういう質問は、自分の状態があまりよくないほど、頭をもたげてくるようなものですね。
なにかにつけて悩んでしまい、生きていてなんかいいことでもあるんか、みたいな感覚ですね。
まあ、解決方法は簡単なんですけどね。
一言で済みます。
「そもそも地球規模でみたら、生きること自体には意味ないから。」
はい、終わりです。
…というとさすがに乱暴ですかね。
ただ、真理はここにあるんですけどね。
人生自体に問いを持っていくと、そもそもが人生には意味のないものですから、質問に対して答えようがない。
だから、ここにある前提としては「意味のないとはっきりしているものに対して意味を求めている」という、わけの分からないことをしてしまっているということになります。
そもそも地球上の生物は本来としては生まれて、次の子孫を残してはい終わり、なんていうのが大雑把な生き方なんでしょうが。
そこに至るまでのところでなんやかんや考えすぎるのが、人間なんですよね。
そういうものに、今後ともはまらないよう和多志自身も注意が必用ですね。
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