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雪の稜線で人生を眺める

雪山を歩くとその雄大な景色に圧倒される。

紺碧の空を背に、白い稜線が太陽の光を浴びて輝く。稜線は目指す場所に向かってうねうねと続いている。一歩づつ進むうちに自分は風景の一部になる。

人生というものを少し遠くから眺めることができたら、こんな感じなのかもしれない。


夜明け前

6:00。12本爪のアイゼン、ピッケル、ヘルメットなど、身につけた装備を確かめてテントを出た。今日の日の出時刻は6:57。ここは樹林帯なので周囲はまだまだ暗い。見上げると満点の星空が広がっている。

寒い。思わず声が出た。

気温はマイナス16℃。長野県の南部、標高3,000m近い山々が連なる南八ヶ岳。主峰の赤岳の中腹に位置する行者小屋にテントを張ったのは、昨日12月29日のこと。陽が沈んでから今朝までの間に気温は下がり続けた。

今日の行程は、行者小屋から少し北にある赤岳鉱泉を経て稜線に上がり、時計まわりで硫黄岳、横岳、赤岳を縦走して行者小屋に戻る。所要時間は7~8時間を見込んでいる。その後テントを撤収し登山口である美濃戸口まで数時間かけて下山する。

山はしんと静まり返っている。聞こえるのは、アイゼンの歯が「ざっざっ」と雪面をかむ音。そして自分の息づかい。

野鳥の鳴き声はまだ聞こえない。こんな雪山にも小鳥たちは生きている。昨日、行者小屋までの道中でヒガラが元気に木々の間を飛びまわっていた。今頃は暗闇の中でじっと夜明けを待っているだろう。

ヘッドランプの明かりが足もとを照らしている。暗闇の中でも、次の一歩が見えているだけで安心感は格段に高まる。

20分ほど歩いて木々の影が途切れた。その先に山の稜線が見える。空が白みはじめている。

今日の赤岳山頂は気温こそ低いものの、風速は10m/秒程度の予想だ。この時期の八ヶ岳にしては弱い。八ヶ岳ブルーと呼ばれる吸い込まれるような青い空の下で真っ白な稜線を歩くことができそうだ。不安から期待へ。空が明るくなるこの時間はいつも自分の心持ちが前向きに変化する。

霧氷の輝き

赤岳鉱泉を過ぎると稜線に向けて急な登りになる。ここから一座目の硫黄岳までの標高差は545m。距離は2.31kmだから傾斜は23%ほど。ピッケルを雪面に刺しながらゆっくりと進んでいく。

7:00を過ぎたころ、木々の間から赤岳の西隣りに位置する阿弥陀岳が顔をのぞかせた。山頂は太陽の光を受けて、白く輝いている。

太陽は今、稜線の向こうからぐんぐんと昇っている。その光はもうすぐこちらにも届くはずだ。劇的に変化していく世界の真っただ中に自分はいる。

急げ。

早くあの美しい世界にたどり着きたいと思う。理屈なく、心の底から前に進もうと思える時間は人生の中でとても貴重だ。

やがて光は稜線を越えた。辺り一面に霧氷が輝きはじめる。

霧氷は氷点下の気温の中で霧や水蒸気が木や人工物に付着して凍ることでできる。世界で初めて女性としてエベレストに登頂した田部井淳子さんは霧氷のことをこのように著書に記している。

「ブナの小枝という小枝にこの霧氷がついた森は、満開の花の下を歩いているようで本当に美しい」

言葉にすることはなかなか難しい。心が圧倒される自然の美しさ。生きている中でこういう時間を得られるのは幸せなことだと思う。

でも改めて振り返ってみると、日常生活において人の素直な姿に同じように心打たれることがある。人が何かを成し遂げた時や、目の前の出来事に対して強い思いがわき上がってきた時に見せる表情やしぐさ、発せられる言葉。

大切なことにはっと気づかされる瞬間。人の素直な表現は自然の美しさに似ている。

見上げると稜線が見えた。まるでどこか違う世界へ導く道標のようだ。


白い稜線上で

硫黄岳に到着した。ここから横岳そして赤岳へと白い稜線は続いている。

稜線とは山の頂きと頂きをつなぐ尾根筋のこと。周囲で最も標高の高い場所をつなぐ線だ。それは曲がりくねりながら、時に下ったり、時に登ったりして次の頂きへとつながっている。自然が作り出す一つひとつのカーブの美しさ。これもまた形容できる言葉が見つからない。

でも、その実際の道には遠くから見える美しさとは裏腹に厳しさや困難がひそんでいる。

例えば風。

厳冬期の八ヶ岳にしては弱いとはいえ、マイナス10℃の中を1秒間に10m進む風は身体にあたるとひどくこたえる。2重のグローブの中にある指先は少しずつ冷たくなっていく。何度も手のひらを開いては閉じて、血液を循環させる。

例えばトラバース。

トラバースは、「横切る」という意味で、山の斜面を横切って歩くことをいう。積雪期はなるべく通過することを避けたいが、ルート上どうしても稜線を進めない個所は斜面を進むしかない。

この日、横岳を過ぎてその南側にあるトラバースを通過した時間は11:00。すでに何人もの先行者によって踏み固められ、滑落の危険はなさそうだった。しかし早朝であれば前日の強風で踏み跡は吹き消されていたし、凍結もしていたかも知れない。そのような状態で万一足を滑らせると下まで止まらない可能性がある。

慎重に進んだあと、鉄ばしごを越えて再び稜線に出た。

ふと黒い影が視界のはしを横切った。見上げると2羽の鳥が鳴きながら硫黄岳の方向に飛んでいく。ホシガラスのようだ。彼らは高山帯で暮らし、ハイマツの実を食べる。抜群の記憶力をもっていて積雪に隠した実をすべて覚えているという。厳冬期には低地に降りてくるらしいが、隠した実を夫婦で探しにきたのだろうか。自分にとっては挑戦の場所が、こんな小さな身体の鳥たちにとっては暮らしの場であったりする。


少し進んだ鎖場で大きなザックを背負った若者とすれ違った。私はテントを残してきたのでザックには最小限の装備だけを入れている。でもその若者のザックは膨れ上がっていた。この積雪期の稜線をテントから食料までの一切を背負って歩いているのだろうか。

「どちらからですか?」

道をゆずりながら声を掛けてみた。

「阿弥陀岳です。本当は昨日のうちに天狗岳から赤岳を越えて阿弥陀岳まで縦走する予定だったのですが、風があまりに強すぎて一旦、行者小屋に撤退しました。今日は阿弥陀岳に登ってから逆の向きに縦走を再開しています」

阿弥陀岳は赤岳の西隣りに位置する。急峻で積雪期は滑落事故もあり私は回避している。天狗岳は硫黄岳の北側に連なる。

「すごいですね」

「いやあ、無鉄砲なだけでして」若者は照れたように笑った。

この若者はテント装備のまま北から南まで縦走しようとしている。全てを背負って稜線を歩くという発想は自分にはなかったし、その困難さは想像もできない。気をつけて、と互いに言葉を交わして別れた。

自分と違う世界にいる人や生き物の姿に心は動かされる。


赤岳への最後の登りに来た。

見上げた先に山頂は見えない。目の前の壁に圧倒されて足元に目を移す。壁の大きさに気持ちが萎えるくらいなら、目の前の一歩に集中するほうがいい。

12:33。赤岳山頂に到着。

風は一層強くなった。

東側には遠く富士山が見えている。北側を振り返ると、歩いてきた稜線が自分の足元につながっているのがわかる。そして西側には阿弥陀岳、南側には権現岳。白い稜線はいく手かに別れて続いている。


夜明け前、足もとの明かりを頼りに不安を抱えながら歩いた。

やがて光が射すと見える景色は一変した。輝きはじめる霧氷、どこまでも続く白い稜線。

ようやくゴールに辿りついたけれど、稜線は途切れることはない。

人生を少し遠くから眺めることができたら、こんな感じなのかもしれない。

自分の人生は半ばまで来た。そろそろこの先に進む方向も決めていきたい。せっかくの人生なら美しいものをたくさん見られる方がいい。挑戦することにいつもワクワクできる日常。今まで想像したことのない暮らし方もあるかもしれない。

稜線で出会ったホシガラスと若者は何かこれからの生き方を示唆してくれたようにも思う。

雪山を歩くことは、どこか人生と重なる。



<今回歩いたルート>

<参考文献>
「山の単語帳」(田部井淳子 著)

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