見出し画像

僕の欲求段階、DoingよりBeingへ

マズローの欲求段階説をご存知ですか?
アメリカの心理学者アブラハム・マズローが人間の欲求段階を5段階の断層で理論化したもです(Wikipedia参照)

人間の基本的欲求を、高次の欲求から並べると

・自己実現の欲求 (Self-actualization)

・承認(尊重)の欲求 (Esteem)

・社会的欲求 / 所属と愛の欲求
 (Social needs / Love and belonging)

・安全の欲求 (Safety needs)

・生理的欲求 (Physiological needs)

となります。

どこかで聞いたことがある方は多いと思います。
僕も何となくは理解していました。
興味深いのはマズローは「人間は自己実現に向かって絶えず成長する生きものである」と仮定し、人間の欲求を理論化したということです。
僕のなかでは成長の段階であるという認識はなかったため、新たな気づきでした。

たしかに振り返ってみると僕の欲求も成長していたと捉えることができます。

・生理的な欲求(生命を維持するための本能的な欲求で、食事、睡眠、排泄など)
一般的な日本の家庭で生まれた僕にとって生まれた時から満たされていたと考えます。

・安全の欲求(安全性、経済的安定性、良い健康状態の維持、良い暮らしの水準、事故の防止、保障の強固さなど)
これも日本に生まれ、それなりに経済力のある家庭で生まれた僕はこの欲求を満たしていたと考えます。しかし僕に関しては人類の長寿化、年金問題などの経済的な知識がない状態、つまり平和ボケ状態であったため勘違いでこの欲求は満たされていたとも言えます笑。

社会的欲求と愛の欲求(自分が社会に必要とされている、果たせる社会的役割があるという感覚。情緒的な人間関係についてや、他者に受け入れられている、どこかに所属しているという感覚。)
まさに浪人時代、自分は学生でもない社会人でもないどこにも所属してない孤独感、社会的不安に苦しみました。高学歴で社会的地位の高い両親のもとに生まれたために学歴の壁に打ちのめされ、完全に自信を失っていた時期。マズローはこれを欠貧欲求とも言います。

・承認(尊重)の欲求 (自分が集団から価値ある存在と認められ、尊重されることを求める欲求)
そして承認欲求。よく聞く言葉です笑。前述の欠貧状態の苦しみから逃れられずに大学時代を過ごした僕は無気力状態でした。しかし、資本主義のレールに敷かれた人生にも良い面があったようで、自動的にどこかしらの組織に所属することで徐々に自信を取り戻します。大学時代の友人、研究室、課外活動(ソフトボール)などを通じて仲間に認められ所属と愛の欲求を満たしたからです。ここから承認欲求につき動かされます。一流の理学療法士を志し、それなりにレベルが高いと言われている環境に就職します。あえて厳しい部署に飛び込み、勉強会や資格取得に向けた勉強に勤しみました。しかし、この時に感じていたのは「楽しさ」ではなく「苦しみ」でした。はやく結果を出したい。すごいって思われたい。資格をとって認められたい。など評価が他人軸だったのです。マズローはこれを低いレベルの尊重欲求(他者からの尊敬、地位への渇望、名声、利権、注目などを得ることによって満たすことができる)と言っています。これも欠貧欲求と位置付けられます。資格などを取って認められたいという欲求で一流の理学療法士を目指していた僕は他人軸て生きていたので満たされることはなく、やはり欠貧の欲求に苦しめられます。
※職種や資格取得を否定している訳ではありません。
高いレベルの尊重欲求(自己尊重感、技術や能力の習得、自己信頼感、自立性などを得ることで満たされ、他人からの評価よりも、自分自身の評価が重視される。)があり、僕の目的がそうでなかっただけです。

自己実現の欲求(以上4つの欲求がすべて満たされたとしても、人は自分に適していることをしていない限り、すぐに新しい不満が生じて落ち着かなくなってくる。自分の持つ能力や可能性を最大限発揮し、具現化して自分がなりえるものにならなければならないという欲求)
いまいち情熱的になれなかった僕は、何かに成ること(他人軸の評価)ではなく、どう在るか(自分軸の評価)にフォーカスしました。自分がどのような状態で在ったら幸せでいられるかです。それは自由です。時間、場所、人に依存しない。好きな時に好きな場所で好きな人と好きなことを好きなだけできる状態です。これをゴール(終わり)として思い浮かべることができたら勝手に体が動き出し、その目的のために重要事項を優先していくことが楽しくて楽しくてたまらないのです。僕は今この状態で、こんな今が幸せでもあります。マズローはこれを存在欲求(⇔欠貧欲求)と言います。脳科学的にはフローと言ったりします。
また、在ること(Being)にフォーカスしている状態、これをマズローは晩年、5段階の欲求階層の上にある、自己超越 (Self-transcendence) の段階であると言っています。

英文作家D.H.ロレンスは『恋する女たち』この作品の中で、登場人物の一人で主人公のバーキンは人間はどこかで何かをしなければならないのに、生活は混乱していてどうしていいか分からないという。これに対して恋人のアーシュ は、Why should you always be doing?と尋ねて、何か目覚ましい事をしようという考えは卑賤なものであり、そういったむしゃらな生き方よりもむしろ、野に咲く花のような在り方の方がはるかに良いと、次のように言う。I think it is much better to be really patrician,and to do nothing but just be oneself,like a walking flower.
(一部改変)
https://archives.bukkyo-u.ac.jp/rp-contents/ER/0012/ER00120L025.pdf

つまり、何か大きなことを成し遂げようと積極的に冒険する在り方(Doing)より、真っ赤に燃えるように咲く花がそのように真っ赤な状態で存在することそれ自体に意味があることに気づき、そんな在り方(Being)
を求め始めたのです。

あなたは何を求めて生きていますか?
それでは皆さんハッピーライフを!

この記事が参加している募集

最近の学び

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?