好き、それだけで良い。

文字を書き始めて、思い出したこと。
祖父が、ずっと字を書いていたこと。

もともと、祖父はとても多趣味で、とても器用な人で、
デコボーとチャメボーというふたりが出てくる小話をサクッと話してくれたり、
(この2人は誰なのか未だに分からないけど、近所のお店もお話に出てきたりでとてもお気に入りの時間だった)
木目込み人形でお雛様を作ってくれたり、
民謡が大好きで、尺八まで作ってしまったり、
盆栽を楽しんだり、
本当に好きなことが沢山あり、常に、それらに囲まれていた。

どれも、すぐ飽きてしまう訳でもなく、
人に教えられるくらい極めてしまう、そんな人だった。
他にも、鳩を飼って、鳩レース🕊に出したり、本当に色々なエピソードがある笑

祖母はその度に、
盆栽の水やりとか近所の鳩の苦情対応とかそんな苦労もあったらしい。
ちなみにその祖父は93で亡くなり、祖母は97でまだ元気でいてくれる。


その祖父の大好きなことのひとつにお習字があり、
これもまた趣味が転じて、師範の資格をとった。
私は書道をその祖父から私は習っていた。

祖父は、様々な筆遣いを教えてくれて、それがとても楽しい時間だった。
ただ、学校で書く、The楷書のお手本にはそんな筆遣いはなく、
書道の先生に、あれこれご指導を受けたことを今でもよく覚えてる。


祖父の晩年は、書道が趣味の中心になり、
本当にずーーーーーーっと字を書いて、
近所のお爺さんやお婆さんたち、
まだそれほど高齢でない老人会の方々に、教えていたことを思い出す。

その頃は、ずっと書いてて、よく飽きもせず・・・
本当に道楽ってこういうことなのか、と思っていたけど、
今なら少し分かる。
字を書く時間、自分の文字を探す時間が楽しいこと。


物心ついた頃から、私は文字を書くってこと、
そしてその時間と空間が楽しかったな、って、文字のお稽古を始めて思い出した。最近までは、すっかり忘れていた。

改めて思う。
学校や小さい頃のお稽古には、上手になることや評価がついてきてしまって、
ただ楽しいということや、好きだからやる、ということが、知らない間に遠くに行ってしまう。
好きなら上手じゃなきゃ、とか
やり始めたら続ける、とか。
ただ楽しい、自由だな、好きに表現してみる、がどこかに行ってしまう。


本当に何が好きだったのか、
自分がどんなことが好きなのか、
上手でないとやってはいけない、
好きこそ物の上手なれとか、知らない間にそんなことを思っていたな。

改めて、
「好き」と「上手」はくっつけなくてもいい。

それすら忘れていた、というより、気づかされたた。
改めて、ただ好き。それだけ。以上。


好きなことを、好きな文字で書いてみることって、とても楽しいこと、
そんなふうに思っている。


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