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上野千鶴子先生の祝辞に、結婚相談所の所長として思うこと。

東京大学入学式での上野千鶴子先生の祝辞が話題です。
この祝辞について今、自分が考えたことを記録しておきたいと思い、文章を書きます。

これを読んでくださる方のために簡単に自己紹介すると、私は銀座で結婚相談所を経営しながら、東京工業大学で若手社会人向けのワークライフキャリアの講座を担当しているものです。
一見ちぐはぐな組み合わせに見えるかもしれませんが、どちらもキャリアのお仕事であると私の中では整理できています。

東大のウェブサイトに掲載されている上野先生の祝辞を読んだ時の私の正直な感想は
「入学式の祝辞としても、社会に向けてのメッセージとしても、素晴らしいことを仰っているな」
というものでした。
事実ここまで人口に膾炙し、議論を巻き起こせたという時点で、圧倒的に素晴らしい祝辞だと思います。だって、自分が大学に入った時に誰がどんな話をしてくれたかなんて覚えてないですもん。

一方でこの祝辞は、私自身がずっと抱えている違和感を浮き彫りにしてくれました。

私は大学では

「男女平等、男女公平とはこうあるべき」
「パートナーシップの形は一人一人違っていい」

などと言っている一方で、結婚相談所のお客さんには

「男性は結局〇〇な女性が好き」
「女性に好印象な男性は〇〇」

というアドバイスをしています。
どちらも私の本心ですが、一見矛盾しているようにも見えます。

正直に言うと私自身、この矛盾しているように見える2つの立場からの考えについては、うまく説明する言葉を持ち合わせていません。一番近い表現としては

「企業の新卒一括採用にはいろいろと問題があると思うけど、いざ目の前に就活で苦労してる大学生がいたら『新卒一括採用は問題だ!』なんて言わないよね。それとおんなじ」

みたいなものですが、完全にしっくりきている訳でもありません。

なんていうか「社会・人間とはこうである。こうするべきである」みたいなべき論は、べき論であるにも関わらず、多様性に溢れていると思うんです。
うちの結婚相談所に来るお客さんにも

「ほら、今って結婚しないで生きるのが当たり前じゃないですか〜」

と仰る方も

「ある程度の年齢になったら結婚するのって当たり前だと思うんですけど」

と仰る方も、います。

この当たり前、べき論は場所とかコミュニティによっても全然違ってくるので、もちろん正解はありません。しかも、自分の頭で考えようとしても、結構ブレます。
今回の上野先生の祝辞についても肯定派否定派様々な意見がありますが、私自身も肯定派の話を聞けば「ふむふむなるほど」と思い、否定派の話を聞けば「確かにそうだよな」とも思います。ブレブレです。

ここで「自分は自分、他人は他人」なんてきっちり割り切れる人は強いのかもしれませんが、どうでしょう。完全にそう考えられる人ってそんなに多くない気がするんですよね。なんとなくですが、多くの人は自分の意見はそこそこ曖昧で、自分が過去にしてきた決定(例えば結婚するとかしないとか)についても、程度の差はあれどこかにモヤモヤしたものを抱えているように思うんです。

これを読んでくださっているあなたは、モヤモヤは好きですか?私は好きです。モヤモヤを抱えるのはとても人間らしいチャーミングな特徴だと感じるからです。そういう意味で、今回の上野先生の祝辞は100%の肯定という立場も、100%の否定という立場もとりにくい、極めて優れたモヤモヤ発生装置=チャーミング発生装置であるようにも思うのです。

上野先生の祝辞は、一人一人の心の中にあるモヤモヤの存在を浮かび上がらせてくれました。私も「結婚」というものに対して、もう少しこのモヤモヤと付き合っていこうと思います。

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