自立への道~孤独感と向き合う日々~
はじめに
今年の8月で、一人暮らしを始めて4年になる。親元に帰りたいと、妹に連絡したこともあるが、今は一人暮らしも悪くないかなと感じている。
この4年間で、少しは自立心が芽生えたような気がする。寂しいと思ってばかりいないで、自分の好きなことをやるべきだということに気が付いた。
掃除や食事など、まだまだ課題はあるが、訪問看護のスタッフやヘルパーの人に助けてもらっている。
将来のことが不安だったり、寂しさを感じることもあるが、友だちは結婚したため、休日は図書館に籠って時間を潰している。
いつか、今の孤独感が、「そんな時もあった」と思えるようになればいいのだが、本当は釣りに行きたい。しかし、自転車で行くのが面倒だったり、朝起きるのが辛かったりする。好きなことをするのだから、そのくらい苦にはならないはずなのだが、ワクワクよりもめんどくささが勝ってしまうのである。
独り者は寿命が短いという説もあるが、就労継続支援B型の他に、人との関わりの時間があれば、もっと充実した毎日になると考えられる。
この記事では、親元に帰りたいと言っていた私が、どのようにして自立に目覚め、克復していこうとしているのかについて書きたいと思う。
その1:私はもっと人生を楽しむべきだと気が付いた
B型に週5日通い、去年の6月に皆勤賞ができてからずっともらっている。
私はコミュニケーションに障害があり、B型でもほとんど人と話さない。困ったことがあればスタッフを頼るが、雑談に加わったりすることはほとんどない。
私が通っているB型は、在宅でもOKなのだが、本当は私も在宅にしたい。しかし、例え会話に加わることがなくても、事業所に通うことが私には合っているのである。
周りの人を見ていると、半日だけ働く人がいたり、家がお金持ちだから別に働かなくていい人もいる。
私が通っているB型は、午前中に帰っても一日いても工賃は変わらない。そのため、半日で帰って、余暇活動をするのもいいかなと最近感じている。
私には、ゆとりのある暮らしをするという目標があるため、つい力が入ってしまう。成功はしていないが、力を入れるところと抜くところが違うのではないかと思う。
その2:依存すると人は離れていくことに気が付いた
数年前まで飲み歩く人がいた。彼は金型の職人で、中卒で同じ会社に勤めていたが、会社が潰れて転職した。
大人数の場が苦手で、一対一で飲むのが好きだというのが私と合った。
その頃私は実家に住んでいたが、家に帰ってもつまらなかったため、遅くまで飲んだ。終電を逃し、マンガ喫茶に泊まったこともある。
彼が結婚し、連絡をすることは減ったが、今考えれば、私は彼に依存していたと思う。
今考えてみると、連絡が来なくなった理由は、彼の結婚だけが原因ではないような気がする。
「もう1軒いこう」とキリがなかったことや、私に障害があるとは言え、いつまでも仕事を転々としていたことが原因のように思える。
障がいに関しては理解してほしかったが、何でもかんでも話しすぎていたような気もする。
職を転々としていた頃の私とは違い、今は私なりに頑張っている。
もし、再び飲みに行くようなことがあれば、そんな私を見てほしい。
その3:親や兄妹との距離は、今がちょうどいいかもと気が付いた
連絡は、私からしないとほとんど来ないし、正直もっとかまってほしいと思う。
実家にいたころは、周りが女性だらけだったため、随分と切ない思いをした。
私の父がいればいくらか違うのだが、血縁同士が近くに住んでいるため、遠慮なく年中会っている。
私は蚊帳の外という思いが強いが、これも運命なのかもしれない。
母は毎週月曜日に、ちょっとしたものをドアにかけて仕事に行くのだが、今がちょうどいい距離だと感じているように思える。
年に数えるほどしか顔を合わせることはないが、母が元気なうちに会っておこうと思う。
最後に
私にとって、一人暮らしの辛さといえば寂しさが一番である。
友だちがいないため、B型のスタッフや、訪看以外話す人はいない。
釣りに行って、そこでしか会えない友だちを作ろうとも思うのだが、本文中に書いたように、ワクワクよりもめんどくさが勝ってしまう。
今年こそ、重い腰を上げて釣りに行こうと思う。
そこで、釣果に勝る友を得られれば幸いである。
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