学校でのスポーツ指導の課題

日本のジュニア世代に対する指導の課題について共感する記事がありましたので、一部抜粋したものを紹介した後によく思うことについてお話します。

読むのが面倒くさい方は記事の後に何が言いたいかをまとめたものを書きましたのでそちらをご覧ください





都内で小学生の女子サッカーチームでコーチを務める男性は耳を疑った。

「今日ね。試合で5回ボールをさわらなかったら、サッカーやめなさいってママに言われたの」

小学4年生以下の公式戦。試合前に「たくさんボールをさわろう」と声をかけた直後、小学3年生の女の子にそう言われたのだ。






■ 「好き」より「結果」を重視する親たち


息子や娘たちが通った少年団でボランティアとして指導を初めて10数年。「たまに都大会に出る程度」(男性)で、「小学生時代はサッカーの楽しさを味わってもらおう」というコンセプトで運営してきた。だが、年々、結果を急ぐ親が多くなったと実感する。

「サッカーがダメならほかのことをやらせたいと言うのですが、サッカーがダメと誰が決定を下すかと言えば親なんですね。実際に子どもたちはすごく楽しそうにやっているし、サッカーが好きなように見える。
でも、親御さんは そこには目を向けない。どちらかといえば、他の子よりわが子が劣っているという現実を、親の側が受け止められないのではないか」(男性)

以前、男子を指導していたとき「今日の試合で得点できなかったらクラブをやめなさいと (親に)言われた」と、涙目で言われたことはある。人数の関係で試合に出せなかったら、翌週 「もうやめさせます」とメールが来たことも。 大差で負けていた試合で1点返して子どもと大喜びしていたら、スタンドからエース級の選手の母親に「1点返したくらいで喜ぶんじゃない!」と叫ばれた。

「男子は親御さんの意識を変えるのが大変。 それに比べれば、女子のジュニアは楽しいサッカーが浸透し牧歌的でいいなと思っていたら、 W杯で優勝したころから女子でも必死過ぎる親が増えてきた」という。男女とも地域のクラブ でゆっくり育てれば面白そうな素材の子がいても、親が強豪クラブに入れてしまう。そこで試合に出られなくてやめてしまう。「男の子は腐ってグレることもある」そうだ。

スポーツの普及や選手の成長が、大人の成果主義に阻害されてはいないか。





■ ヒートアップする親を止められない指導者

これまでのべ60万人の子どもを指導してきたJリーグ2部・京都パープルサンガ F.C.普及部長で『サッカーで子どもをぐんぐん伸ばす11の魔法』(小学館)など計6冊の著書がある池上さんは、講演会の際「子どもが試合に出られないのですが、夫がやっても意味がないからサッカーなんてやめろと言う」と相談を受けたことがある。ほかにも「試合に出られないので、ほかのチームに移籍させたいのだが」と真顔で訴えてくる親がいるという。


ヒートアップする親たちを、本来なら矯正しなくてはならないのが指導者だろう。それなのに、指導者側が無意識のうちに勝利至上主義に陥ってはいないか。




筆者はある県の高体連が主催した「部活動での体罰を根絶するにはどうしたらよいか」という主旨のシンポジウムに招かれ、各高校の運動 部顧問の先生たちに話をさせていただいたことがある。その際、都内にある女子サッカーのジュニアユース(中学生)で指導するコーチの話をした。


そのコーチは、選手が試合に遅刻したり、何か忘れ物をしたりと生活面で不備があったとき は、レギュラーであっても当日の試合は先発から外す。
罰やペナルティというよりも「日常生活がきちんとできないのに、チームの代表としてピッチには立てないでしょ?」という選手へ の無言の問いかけだ。そのようにして、サッカーでいう「オフ・ザ・ピッチ(ピッチ外)」での自律の重要性を選手にたたき込んでいく。


そのような勝利至上主義でない人格教育重視の必要性を訴えたつもりだったが、顧問の先生らは納得できないようだった。

「その選手を出さないことで、チームが負けたらどうするんですか?」
「エースでも遅刻したら外すんですか? ほかの選手の勝ちたいという気持ちはどうなるのですか?」
「あり得ない。ほかの選手の不利益になりますよね?」


利益云々という問題ではなくて……。こちら の主張は、残念ながら聞き入れてもらえなかった。
ひとつの勝利より大事なことをクラブに植え付けていくことを優先する価値を伝えたかっ たが、自らも勝利第一で指導を受けてきたであ ろう先生がたには、なかなか理解しがたいよう だった。

ところが、そのような育成重視の指導をして こなかった日本のスポーツ界は今、まさにその 「ツケ」を払っているように見える。






■ 「人間教育」を優先していては勝てないのか?


前出のシンポジウム後、柔道全日本男子の井上康生監督が世界選手権で「代表選手に重大な ルール違反があった」として、自らが頭を丸めて記者会見を開いた。
違反とは「チームの集合 時間に複数回遅れた」ことだった。なぜそこまで、と思うだろうか。世界では、国の代表とし て世界舞台に臨むアスリートの行動としては許されるものではないのだ。

そして昨年は、巨人の選手による野球賭博が発覚。今年に入ると、以前から噂のあった清原和博・元プロ野球選手が覚せい剤所持で現行犯逮捕された。高額年俸で有名なプロ野球選手ば かりかと思いきや、リオ五輪で金メダルが期待 された男子バドミントン選手らの違法カジノに、未成年のスノーボード選手の大麻問題。アスリートの不祥事が絶え間なく続いている印象がある。

そのため、ここへきて「アスリートの人間教育」が叫ばれるようになった。社会人にもなって、と罪を犯した選手を責めるだけで終わらせず、池上さんが説くように「勝敗や結果ばかり を重視する大人の弊害」を見直さなくてはいけない。

「エースでも遅刻したら外すんですか?」と憤るのではなく、「エースだからこそ外さなく てはいけない」と指導者には考えてほしいし、 アスリートであるわが子をサポートする保護者も「スポーツで子どもの何を育てるか」を考え 直してほしい。

このように教育や指導をめぐる議論になる と、「でも、人間教育とか、楽しくサッカーしましょうっていうチームって結局、勝てませんよね」という声が聴こえてくる。

けれども、筆者がシンポジウムで紹介した女子サッカーチームはその後、発足10年目にして 全国大会出場。卒団生もなでしこリーグで活躍 している。




では、海外ではどのような価値観で選手を育てているのだろうか。




前出の池上さんは、1994年のW杯アメリカ大 会でドイツ代表の選手が強制帰国させられたこ とに驚いたという。
レギュラーだったその選手は試合中、罵声を浴びせた観客に対して中指を突き立てた。この行為によって、開催途中にか かわらず、エントリーから消されたのだ。


「ドイツという国はすごいと思いました。そ の選手を即座に退去させましたから。その選手がいないと困るとか、戦力ダウンなのにといった議論は、恐らくされていない。つまり、彼のやったことは明らかに間違ったことで、フェア プレーとは対岸の振る舞いをしてしまった。だ から代表からは外すのは当然という感覚です。 日本のスポーツ界も見習うべきでしょう」




ところで、冒頭の男性は試合後、女の子を呼び寄せた。


「7回ボールにさわったよ。コーチにそう言われたってママに報告してね」
「でも、3回しかさわってないよ」と女の子。
「大丈夫。その前の試合と合わせたら7回だから」

女の子はにっこり笑って、ボールを蹴りに走って行ったそうだ。


まとめると
日本のジュニアの指導者の多くは、人間性を育てることより結果を出すことを重視しているため、プロになっても自分がチームや日本の代表である意識を持ちにくい。ジュニア期や才能のある子こそ、結果にこだわらず人としてルールやマナーなどをしっかり教えていくべき。
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今まで色んな学校でコーチや指導補助としてテニスやその他スポーツの指導に携わったり、勉強として吹奏楽などの指導風景を聞いたり話を聞かせていただいてきました。

素晴らしいチーム・選手を育てている方もいましたが、正直どちらかと言えばこの記事のように「実力・結果優先」なのかな、と思ってしまうことの方が多いです。


異様だったのは、試合中明らかにダラダラ審判をしている子がいて、周りの大人が誰も注意しない状況がありました。
一度はやんわり伝えたのですが全く直す気配がなかったので思わず「ダラダラせずちゃんと審判してくれよ!こっちは一生懸命試合してるんだから!」と叱りましたが、直すどころかふて腐れて最後まで直ることがありませんでした。その子は雑誌に名前が出るくらい実力があり、たびたび指導者の方々が大会の全体説明の場でわざわざ褒めるような子でした。


また別のケースでは、公立にもかかわらず全国大会で何度も優勝するような学校が近くにあり、その強さを知るために、大会や普段の練習の様子を見ていました。

しかし優勝するほどの環境でもハードな練習をしているようには感じず、親しい関係者に話を聞くと「大会に出てるのは越境してきている子たちで普段は部活でなく外のクラブで練習している。越境しているから生活指導はちゃんとしてなくて登下校で買い食いなど当たり前にやっているんだよね。コーチが有名でドロー表を操作できる立場の人だから上位に行くまであまり強いところと当たらないようにしてる。熱心な保護者はそれを知ってるから。」
という話を聞きがっかりしました。



少し過去の話をすれば私も子どものころは運動部に所属していました。その時の顧問やコーチは実力・結果主義だったように感じました。
今でも覚えているのが普段の生活態度が良くなく練習も気分でやっている部員をチームの主力に置いていたことです。練習中気に入らないことがあると殴られたり蹴られたこともあったりしましたが、その子は顧問とは友達みたいな関係になっていたので、特に礼儀やマナーを指導している姿は見られず私に対してトラブル後に特に話をすることなどはありませんでした。

指導する立場になって考えるとおそらく、他校に迷惑を掛けたり、放課後フラフラしないことを優先に部活に入れたのでやりたいことをさせて継続していたのだと思います。センスもあったので顧問的にはうまくコントロールして最後までやらせて結果もでていたのでその子や学校にとっては良い指導者だったのかもしれません。

当時の私はセンスはありませんでしたが、地道に努力してればチャンスは与えられるはずと自主練にも励んでいましたが、顧問はそんな感じで一度言い合いになり、それ以来控えにも入れてくれなくなったので適当に理由をつけてサボったりするようになっていました。

それでも道具を揃えてもらった手前何とか卒業までやり切ったのですが、最後に「私の写っていない集合写真」や自分が書いたサイン入りエッセイ本を渡された時のことは今でもよく覚えています。


ですがそういう経験があったからこそ、今は「どんなに実力がなくとも努力している子や変わろうとしている子には絶対チャンスをあげよう」という指導の核ができたので反面教師として感謝しています。
(親には当時、他の保護者から今まで大会で控えにも入れてもらえないのは可哀そうだから遠征費や経費などは払わなくていいなどと言われたという話を聞いた時は申し訳ない気持ちでいっぱいになりましたが)




「才能のある子は心が未熟なことが多い」という言葉がありますが

才能があっても生活態度が悪い子やチームワークを大切にしない子を使い続けることに何も得ることはありません。

それどころか才能のない子やあるけどなかなか芽が出ない子は「努力しても無駄」と努力することをやめ、才能のある子は「強ければ何をしても大丈夫」と努力をしないどころか態度の悪さを助長してしまい、すべてにおいてマイナスになってしまいます。


結果を出し続けることで行動が改まるということはありますが、だからといって周りの文句を言わず頑張っている子に我慢をさせていい理由にはなりません。


いずれ大人になればどんなに努力しても才能に敵わない、どうしようもできないことはいくらでも経験できるので、ジュニア時代は日々を普段から真面目に過ごしていたり、努力している子にはどんどんチャンスをあげて「努力することそのものが楽しい」と経験させるべきではないかと私は思います。部活とは本来そういうものと思っています。

日本の部活のレベルが低い理由の一つは競技人口が少ない以上に、部活で頑張る子を優先していないところが多いからです。


センス優先にして指導者もメンタルや色んな正しいフォーム・フィジカルトレーニングなど学んだり計画的に行わず、「とにかく打たせ大会に出すことが大事」とただひたすらバンバン打たせる。トッププロでも常に技術やフォームを試行錯誤しながら進化を続ける謙虚さを持っているのに、日本の指導者は一時的に下手になるのを怖れ間違ったフォームや戦術を本人がやりやすいからと変えようとしません。(中にはそれを「個性」と呼ぶ方もいる。)


それで結果がでてしまうから周りも名将だと評価し優遇し、強い子も遠くから勝手に集まってくる、それでコンスタントに結果が出てしまうから道具・技術・トレーニングは進歩しているのに取り入れず同じ指導を何年たっても繰り返す。
そして半分以上の才能が中学高校で壊れるか燃え尽きるかほかの才能につぶされる。なのに子どもは指導者に感謝する。壊れて日常生活にも支障をきたしているにもかかわらず。
そしてそういう子が指導者になり同じ指導をする。



今の日本のスポーツ指導は親も学校も指導者も結果優先の傾向がまだまだ強く、ちゃんとしない子をレギュラーから外そうとしようものなら親だけでなく学校・顧問からもプレッシャーが与えられます。

どんなに才能があろうと生活態度やルール・マナーを大切にできない人は試合に出るべきではないし、代表にもなるべきではありません。それをジュニア期にしっかり教えないと今の各日本のスポーツ界に蔓延する賭博や問題行動はこれからも出続けるでしょう。

錦織などはわかりやすい例で、日本の悪しき伝統に染まる前に運よく外に出てジュニア期から計画的に各種トレーニングをし結果をだすことができました。
最先端のトレーニングに行き詰ったところでチャンコーチに出会い、原点の質の高い根性練習を行い今の地位を維持しています。※チャンコーチと組んだ当初ブログで錦織は「部活みたい・10個くらい直された・泣きそう」と言っています。


日本の失敗の責任は間違いなく、ジュニア期に無理をさせたりケアを怠っている指導者や親たちにあります。
これらの課題を克服するには時間はとてもかかりますし、それによって結果は一時的にでなくなりますが、それでも「楽しんでスポーツのあらゆる感情を楽しむ」ことを大切に「人間力・自律心・自制心」を重視した指導を根気強くしていくことが大切です。そしてそれは根気強く取り組めば必ず15〜20年後結果として現れてきます。



間違ったことをした時はちゃんと叱って次どうするか考えさせ、子どもが自分で取れる責任を取らせてあげる。それができたら「失敗は誰にでもあるけど大切なのは次どうするか。失敗したけどそのあとしっかりすべきことができたからいいと思うよ。」と評価し励ます。教育はその繰り返しです。


部活やチームなら遅刻や無断欠席、指導者やチームメイトに悪態をつくなどマナー・ルール違反が何度もあった選手は
試合には出さない。本当に世界レベルの選手を育てるならこういう世界基準の当たり前のことも学校・顧問が揺るがずきちんとすればいちいち怒鳴ったり、まして精神的に追い込まれて手を上げる必要もなくなり、子どもも「ちゃんとしないと試合に出られないんだな」と覚えるようになり世界的な実力・品格を持つ選手が沢山出てくるようになります。


それできちんと説明しても辞めてしまう子は厳しいですが、そこまでの子であり、それ以上は本来学校の業務ではありません。厳しいことを言えば、部活は普段の生活を真面目に過ごしている子のためのご褒美みたいなものなので、託児所ではありません。(先生も部活はボランティアですし)やはり本来優先すべきはそういう子です。

しかし辞めた子をほったらかしにするのではなく、教育委員会や地域住民と協力して地域や部活にそういう子が発散できる場所やクラブを作ったり、子育てをサポートする団体と協力して子どもが一人でフラフラしない環境を作るなど対策も同時にしていくことも大切です。

ウインブルドンのセンターコートの入場口には詩が記されています。

「勝利も敗北も等しく受け入れ惑わされることがないなら、お前は栄えある勝者となるだろう」


これは選手だけに向けられたものではありません。指導者や保護者、観客、スポンサーなど、スポーツを支えるすべての人間にも向けられているのだと、私は思います。

この話はこれで以上です。長い話にお付き合いいただきありがとうございました。参考になったなと思ってくれた方はねぎらいと応援の意味を込めてこの先も読んでいただければ嬉しいです。

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