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「共通の敵」を作る働き方は、すでに崩壊している

ここ数年、ずっと考えていることを書いてみます。少しセンシティブであると思いますが、何のためのnoteなのか、という思いを大事にします。


職場などで、結束力や団結力を早期に高める方法として「共通の敵を作る」という手法があります。

これは職場に関わらず似た手法が、遙か昔から行われており、少なくとも、今でもこの手法を推奨する方もいらっしゃったり、人間のサガであるから避けられない、という論調もあります。

また、実際私自身もかなり昔にはなりますが、事業会社勤めの時にはその流れに流される、流されそうになることもありました。

ですので、実態として少なからず「共通の敵を作る」手法を積極的に行っている方はいましたし、今もいらっしゃるのだと思います。

私がコンサルタントとして、しかもチームを組まず、1人独立して動いていることのメリットであるとハッキリ感じるのは、そういうことを無視できる。ということでもあり、だからこそ私の性格的にも、14年間この仕事が続けられている理由にもなっています。


『共通の敵』のよくある例とは

私自身も事業会社時代に、その流れを感じる場面は多かったのですが、一番解りやすいのは『共通の敵』を「経営」や「上司」に設定する手法です。

次に多いのは「利害が必ずしも一致しない部署」

今やハラスメントに関わる可能性もある「チーム内の特定人物」

このあたりになるのだと思います。

本来なら、事業会社なのですから、競合する企業であったり(とはいえ、その考え方も今や古いですが)する方が、よほど健全だとは思うのですが、自分達からの距離が遠く、顔もあまり見えないために、会社が会社を共通の敵にすることは、皆ほとんど出来ていなかった印象が強いです。

小売店舗における、ライバル店舗設定などの方が、よほど健全で、正々堂々とした戦いだと思いますし、真っ向勝負で、お互いにリスペクト出来たりするものなのだと考えます。


経営や上司を「敵」にする手法

やはり圧倒的に簡単で、具体例で、自分の周りの結束力を高められそうなのは、自分たちをマネジメントする側を『敵』としてしまう手法です。

会社には、それぞれ会社の状況や事情があるので「改善を働きかける」必要がある場合もゼロではないと思います。ただしそれは『共通の敵』などではなく、あくまでも同じ城や砦の中での改善提案の議論だと思います。

イメージ的には、絶対に安全な場所から、届こうが届かまいが関係なく「矢を放つ行動」

こういう絵が浮かぶ時は、ただの共通の敵作りの動きに近いのだと思います。


私の世代から上は、それがある程度成り立っていた時代もある

現在アラフォー以上、そして時代は2010年以前。というイメージです。

むしろ「率先して矢を放つ姿を見せる」ことで、求心力を早期に得ようとする動きですね。

なかなか意見が言えない同僚や部下に代わって、自分が筆頭者になるという手法は、2000年代では一部ではヒーロー感があったのかもしれません。

そして、それで変に成功(とは思えないし、間違ったものだと思うけれども)体験を得てしまった人間は、今の時代に大きく苦労をしているように感じます。


「みんなが思っている。言っている」は、「嘘」だと、もう解ってしまった

すでに、2020年を数年過ぎて、私たちは最早「考え方が多様化している」こと。「それを認めざるを得ない」こと、に気がついてしまいました。

世代間における考え方の違いも、尊重しなければならないし、それは尊重すべきもの。という考え方も広まっていると認識しています。

また、世代など関係もなく、それぞれがそれぞれの考え方を持っているのが普通で、そこに強制的な動きを求めるのはナンセンスであり、ある意味ではすべて自己責任でもある。

一部、自分の考え方とは違う人間に働きかけるような動きも社会的にはあると認識していますが、そこが合致するのは、かなりの高難易度であるとも思います。

なので、大多数の人間は「まあ、考え方は色々ですよね」「でも、その思想を勝手に押しつけたりするな」「私には私の考えがある」と思っている。が私の解釈です。


会社の思想や、理念

こちらに関しては、その会社に入社しているのであれば、基本的には納得しているものだと思います。

もちろん、すべてが入社前に明文化されている訳でも無かったり、公表されていないケースも場合によりあったりもするので、思っていたのとは違った。ということもあり得ると思います。

残念ながら、どうやっても自分と相容れないならば、自身が去る方がお互いにとって健全で建設的ですし、その方が幸せだとも思います。

もしくは、割り切って在職中はその理念に基づき、徹底するか。(私はそちらのタイプだった)

色々な考え方があるよね。は正しいですが、そこに賛同している前提で「集まった仲間」であることが崩れると、何のために共同体を運営しているのかよく解りません。

共通の敵ではなく「共通の目標」に尽力するのであれば、それは大前提だと考えます。


「共通の敵、崩壊」の理由

今や「共通の敵」を仕立て上げて「求心力を得ようとしている」ということを、見透かされてしまう時代になっていると感じます。

これは私の所感ではありますが、世代関係なくそうであると思うと同時に、アラフォー以下の世代は、そこを極めて冷静に見極めているように思います。

(世代で一括りにする考え方は、基礎的には嫌いですが、そこの見極め能力が相対的に高いと感じているのは事実です)

それは「どちらが真に正しいことを言っていると思うか」を、皆きちんと考えられるようになっているとも、言い換えられます。

前述したように、そもそも理念等に共感して入社し、働いているという基盤がある場合には、どちらが真に正しいかの天秤は、ハナから決まっているとも言えます。

同時に、理念に真に共感できない人材は、すでにそこにはいません。


「共通の敵」化に、躍起になる人達

こちらも前述したとおり、過去にその手法で成功体験もどきな経験を持っている人間か、求心力をチートしたい人間(成果を出していないとか、スキルや人間力を、周りに認められていない場合が多い)、こういう人間が群を為すことが多いようです。

そして、ここが本当に人間のサガだと思うのですが、こういう群が「実は社内の共通の敵」にすでに、なっている状況があります。そこはやっぱりジレンマでもあります。

ただ救いは、目的としてはまったく違うことも多く「本来、私達が今やらなければならない事を阻害する群に、負けている場合ではない」という、前向きな団結力・結束力で、一応はポジティブなものだと思います。

ただこれも、内向きな理由での結束力の増強なので、この群がいなくなった場合に、何をエネルギーとするか、が課題になるケースも見たことがあります。

そのあたりは、やはり「共通の敵」よりも「共通の目標やミッション」を掲げられている集団が強いのは言うまでもありません。


おわりに

Podcastでは、あくまでもポジティブに「陽」な「働くひとのたち話」をしたいという思いが先行し、それに正直に情報発信をしています。

(せっかくなので楽しい系の最新のモノをどうぞ)


そうすると、逆に私の抱える「陰」が情報発信欲求としては、高まっているとも思います。

今まではnoteでしか、自分の意思発信をしてこなかったので、どちらかというと、読んでいて前向きになれるような所を大事にしてきました。そこが変化しているように思います。

今しばらくは全体公開としますが、様子をみてメンバー限定記事にする方が、勝手に怒る方もいなくなるとも思っています。少々過激な内容ですが、こういう私の側面もあるということを、このあたりで表現しておくべきか、と思った次第です。


コジマサトシ/トナリコネクト

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