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比べる範囲を決めたら、むやみに自信を無くさないで済むのではと思う話

友達に自分に自信がない人が多い。
20代前半で自信に満ち溢れている人なんてあまり多くないのかもしれないけれど、
それにしても、なぜ自分の良さに気づかないのかと思う。

私から見たら色々な才能をもって、努力をしてきて、沢山の魅力を持っている友達なのに、
本人は、まったくもってそれに気づいていない。
私はとても不思議に思う。

色々とその人の話を聞いていると、
私がすごいなぁと思う事も、自分で肯定せず、
いつもすごくよくできる人と比べている。

比べるのはよくわかる。
私も新しい場所に行くとついつい、ここでは自分はどのようなことができる人として、
認められるかなぁなんて、そわそわしてしまう。

自分は何ができる人なのか、それを知るにはやはり他者と比べないと
得意かどうかわからないから、ある程度は必要と思う。

けれど、比べることだけで、自信をつけていいかの判断をしていたら、
世界一にならないと、自分のことを肯定することができなくなってしまう。

だから比べる範囲に、制限を設けた方がいいのかもしれない。

小学校4年生の時、私はよく国語の時間、本読みに当ててもらっていた。
先生は私の本読みは、気持ちがこもっていて素敵とほめてくれた。
私は他の子本読みより上手だと思っていたけれど、先生に認めてもらえてもっと好きになった。
そのため今でも、本読みには自信がある。

私の本読み能力は、読み聞かせや朗読を得意としている俳優さんや声優さんに比べたら、うまくないと思う。
けれど、ランダムな20名ほどの小さな集団の中では、上位3人には入ると思う。

自信ってそんなもんでいいと思う。

20人集めたら上位3人に入るだろうという小さな自信から、
もっと上を目指したいと思えば、もっと大きな集団の中での上位を狙うための努力をすればいい。
小さな集団の中では得意ぐらいでイイやと思えるなら、
そのまま自分は人より「本読みが上手」という自信を持っていればいいのだと思う。

日常生活の中では、自分が望んでいないので大多数の他者と比べる必要もなく、
比べるとしても日常生活で関わる集団なので限りがある。
その限られた中では、事実「本読みが上手」なのだから、自信を持っていい。

それは、本当の「得意」ではないという人もいるかもしれない。
けれど、全ての事実はその人の価値観によって判断されるべきだと思う。
世の中を判断できるのはひとりひとりが持つ、価値感のみだと思う。

世界で一番ではないけれど、小集団の中では得意で、自分は、今の比較軸で満足している。
それは紛れもなく「得意」という事実だ。

自分の望まない大きな評価対象と比べて、いたずらに自信を無くさないでほしいと思う。

自分の中でもまだ、手探りの考えだけれど、
私の大事なお友達にも伝えてみよう。

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