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はじめまして、シティーフォーク

実家に昼ご飯を食べに行き、最近ジャズが好きだと言ったら母親がノリノリになり、わたしもノリノリになり、果たしてこんなに聴くのか?と思うほどのCDを借りてきた。

PCにCDプレイヤーのUSBを繋いでかけてみる。ふむ、なかなか悪くない。BLUE NOTEのコンピレーションアルバムとか、エルトン・ジョン。
しかしなんだか、いまいちときめかない。なぜだ。

こういうのはやはり、辿り着くまでのプロセスというのが大事なのではないか?何軒ものレコード店をまわったあげく、とか、知っているなにかと知らないなにかが偶然に結びついた結果としての出会いとか。


たとえば、こんなことがあった。
昨日ディスクユニオンでサニーデイ・サービスのレコードを探していたのだが、さっぱりなくて、なんとなくジャケットで気になって引っ張り上げたのは「グソクムズ」という知らないアーティストだった。(2回も3回も同じように引っ張り上げるので名前を憶えてしまった)

今日、もしかしてあの人たち好きかも?と突然気になって、それで聴いたら、やはり、である。(しかしこれからディスクユニオンに行くのは現実的でない。あああのとき聴いて買っていれば、再び)


そう、それでCDの話に戻るのだけれど、つまり、借りてきたCDというのは、なんだか聴かなくちゃ、というような義務感が少しあるし、CDはなんとなくアナログとデジタルを中途半端にやっているようで、いまいちピンときていない。

いやむしろ、スマホひとつでできることを、妙に不便な形で、単純に後退させたやり方で取り組んでいるような、いささか居心地の悪い気持ちになる。そういう、どことなくいびつな日曜日の夜である。(なんとなく、とか、どことなく、とか、妙に、とか、うるさいわね・・)

その点、レコードというのは片面が20分くらいで終わってしまって、そのたびに裏返す作業が必要になって、手間がかかる分だけ、内からときめきが湧いてくるのだな。


ごにょごにょと考えたあげく、Apple musicでグソクムズを聴いている。

シティフォークという新しい扉をあけた夜に。