漢語の魔力
漢語が好きである。ただし好きだからといって深い知識があるわけではない。ただ音の響きと硬質な見た目が好きなのである。
趣味と仕事で、ともに昔の書き物を見ることが多いのだけれども、明治以来の戦前期については当然として、第二次世界大戦が終わってからでも、1950年代前半あたりに活躍していた日本の官僚や知識人は、大正期から昭和初期の教養で育った世代であり、漢籍と欧米語の素養を両方兼ね備えている傑物が多い。彼らの書き残したものを読むと、聞いたことのない漢語の語彙がいくらでも出てくる。
例えば「一旦緩急の事態になれば同盟国が駆けつける」という言い回しが戦後の外交文書にみられる。「緩急」は文脈的におかしいのではないか、「火急」や「緊急」の誤りに違いない、と鬼の首をとったようにほざいていたら、その言葉の使い方はあるだろうと叱られた。調べてみると典拠は司馬遷『史記』(袁盎伝)である。『史記』(昭和16年冨山房発行 史記列伝. 二 - 国立国会図書館デジタルコレクション (ndl.go.jp))の該当箇所を見ると、読み下し文にこうある。
太字の「緩急」の場所に、緩は附帯字との注釈がついている。「緩急をつける」の言葉に代表されるように、緩急は勝負、当否などと同じように意味が対になる文字を並べた熟語だと思い込んでいた。通常は一応調べるところを、その時に限って字引も使わず、「緩」にはゆるやかの意味しかないと頭から信じていたわけだ。(それにしても、附帯字とは何かがわからない。文字から推測するに、置き字のように、それ自体は意味を持たずただついている文字ということだろうか。)
ただ、そもそも司馬遷に遡るまでもなく、「一旦緩急あれば」という言い回しは、明治日本において重要な局面で使われていたのである。すなわち、「教育に関する勅語」(明治23年)にも用例があることを愚かにも見逃していた。「教育勅語」には「一旦緩急あれば、義勇公に奉じ、以て天壌無窮の皇運を扶翼すべし」とある。思想史では基本的な表現であるにも関わらず、まったく素通りしていたのである。しかも昔のノートを見返してみれば、ご丁寧にも自らの手で教育勅語の全文を筆写していたとあっては、恥じ入るほかない。さらには、比較的最近通読した渡辺京二『明治の幻影』にも、明治国家における「国民の忠誠義務」として「一旦緩急あれば義勇公に奉ずる献身の義務を国民一人ひとりに叩き込む土台になった」と書かれていたのを見つけるにあたっては、健忘症も甚だしいと言わざるを得ない。
あるいは「積悪」という言葉も最近知った。文字面から意味は推測できるが、「積悪の家には必ず余殃あり」(悪事を積み重ねた家には子孫にまで及ぶ禍いがある)という『易経』からとられた表現だ。「積悪」以上に、「余殃」という言葉にもなじみがない。
文字を手で書かないことが日常になってきて、文字の誤りよりも悪いのは変換ミスである。平気で同音異義の漢字の誤りを犯すようになり、ネット上の文章など、そういった誤りがあることを織り込み済みで読む必要がある。(さすがにnoteで私が日々拝読させていただいている記事にそのような誤りはほぼなくて、感嘆している。)たとえば上で使った「皇運」という言葉は、現在では使われない言葉と整理されているのか、はたまた政治的配慮なのか、私のPCの標準装備のIMEでは変換されないので、「幸運」と変換しても気づかないまま素通りしてしまうかもしれない。しかしもっぱら皇運とセットになって使われる「扶翼」は変換される。さらに、例えばかつて戦前の頃にあ「肝心」という言葉は誤りで、「肝腎」が正しい事例とされていた。現在ではむしろ「肝心」が専ら用いられている。
同音異義ならぬ類似音同義というような事例も頻出している。「延々と~する」が「永遠と~する」のように書かれているとおぞましさを感じてしまうのは古い人間だからだろうか。こういったものは話し言葉が勘違いされたまま、適当な漢字をあてはめた結果、意味に大きな違和感がないままに使われている事例ではないか。このような事例は現代ではいくらでも出てきて、誤りが正式な言葉として流通していくのは世の常である。自分の中では旧来の、正しい語彙を使えるように気を付けておきたいと思う。
漢語は今や我々にとって、英語が日常化しつつあるのと対照的に、英語よりはるかに遠い存在になり、ファンタジーの世界に近くなってきたようである。しかし、ひねくれた人間にとっては、現実離れすればするほど、魅力を感じて美味である。冬の長い夜の読書では、味わい深くなってゆく漢語をさらに賞味し、忘れないようにしたい。
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