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こども雪見録

 「都心は雪に弱い」は、もはや積雪前の常套句になっており、実際にほんの少し積もっただけで機能不全に陥る。そんなことはお構いなしに、子供たちは雪が降ると歓喜する。雪の季節は終わりつつあるが、都心に雪が降るなかで、子供たちが何を考えているか、外出できない無聊ぶりょうを紛らわすため、ついつい考えてしまうのである。


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 昼過ぎから降り出した雪が、うっすらと積もり始めている。小学2年生の圭一は長靴を履いて完全防備して歩いている。小さい傘を持ってはいるが、それを雪よけに使うのではない。閉じたまま傘の先を、通り道の家屋のフェンスの隙間に突っ込みながら、カンカンカンと音を鳴らして歩く。行き過ぎる近所のおばさんが、うるさい音を立てる彼を見て眉をひそめる。

 しかし、圭一とてただ歩いているだけではない。「雪」とは一体何かという大問題をテツガク的に考えているのである。

 かつて「雪ってなんで降るの」と聞いてみたことがある。彼の父親は、エンジニアの面目躍如といった得意顔で、雲の粒が凍って、その結晶かたまりが落ちてくるんだ、それが雪だよと、現象としての降雪を科学的に説明した。
 圭一が知りたいのはそういうことではない。雪なるものは生まれてもいつの間にかいなくなるが、いなくなる瞬間に雪は何を考えているのか、いつの間にかいなくなるのに、なぜ形になってくるのかというモンダイなのである。つまりそれは、雪がこの世の中にいることを喜んでいるのか、いなくなることが怖くないのかというモンダイでもある。

 「じゃあ、なんで雪はすぐなくなるの」とさらに問うてみた。父親は、なくなるんじゃなくて形が変わるんだ、すぐ水になって、さらには蒸発といって空気中に紛れてしまうんだよと言う。
 見えなくなるのに、なくなってしまうのではなく形が変わるというのはどういう意味だろう。見えなくなることとなくなってしまうことはどう違うのか。見えなくなるといないのと同じじゃないのだろうか。雪は、形が変わって見えなくなってしまうことが怖くないのかなと思う。それは死んじゃうこととは違うのだろうか。疑問が疑問を呼んで、圭一の頭は混乱する。しかし、「ふうん、わかった」と言ってそれ以上聞きただすことはしない。父親が、それ以上聞いても答えられなくて、困ってしまうだろうことを直感的にわかっているから。

 随分大きい家だ。周囲を廻るフェンスは、かなり長くカンカンと音を奏で続けている。歩くスピードを上げると、傘に当たるフェンスの金属音の間隔が短くなり、ピッチがあがる。また歩を緩めると、カン、カン、とゆっくりになる。自分だけが好きに調整できるオルゴールのようだ。自由な鐘の奏者となった圭一に、上からは雪が次々に当たってくる。雪はたちまち融けて見えなくなってしまう。この雪はやがて空気に紛れてしまうのだと、彼の父は言った。空気に紛れ込んでどこへ行ってしまうんだろう。カンカンいう音も、音として耳に入ってからすぐに消えてしまう。消えたあと、音はどこへ行ってしまうんだろう。音も空気に融けてしまうのだろうか。それとも自分の身体に入ってしまうのだろうか。
 圭一はずっと不安だ。雪やカンカンする音みたいに、自分もいつかどこかへ消えてしまうのではないか。そうなったら、自分はどうなるのか。

 雪だるまを題材にした絵本を、母親がよく読んでくれた。ある少年が自分の背丈より大きな雪だるまを作り、その雪だるまは夜になって動き出し、少年を誘い出してあちこちを冒険する。楽しい思い出を作った翌日、晴れた日にその雪だるまはすっかり融けてしまっている。雪とはそういうものだとわかってはいるけれど、この話を聞くたびに圭一には、人間もこの雪だるまと同じで、突然消えてしまうのではないかと思えて気が気ではない。

 以前百貨店に行ったときのことだった。両親が、おもちゃに目を取られて滞留している圭一を置き去りにしてどんどん行ってしまい、迷子になりかけたことがある。あのとき自分はお父さんとお母さんからは見えなくなって、消えてしまっていた。一人残されていることに気づいた時、必死で探して追い付いて、圭一はやっと両親に姿を見せることができた。ところが両親は自分を懸命に探しているふうでもなく、「あら、どこへ行っていたの」と何事もなかったような顔で言った。突然息子が消えてしまうことなど想定もしていないといった風の、その呑気な気構えが、圭一は不満だった。

 白銀の世界が自分の心を融かしていくようだ。空は雪を降らせることで何かのメッセージを送っているのかもしれない。雨は空からの打ち水のようなもので、街に潤いを与えて、夏場には涼しくしてくれる。真冬に打ち水だなんて、馬鹿げている。そんなことをしたら寒くて仕方がないし、一晩中水分が路上に残って、道路が凍ってしまって事故の原因になる。だから空は最初から雪にして、積もらせるようにしているのかなと思う。

 また、雪が降ってきた。「雪だ雪だー、雪だ雪だー」と走り回る妹の美憂を横目に見ながら、圭一は未だ雪の存在について考えている。積もる前に融ける雪もあるし、積もった雪もいずれは融けて見えなくなることを、圭一は知っている。この少し調子っぱずれの妹と両親を置き去りにして、自分がいなくなったら、みんなどう思うんだろう。そして何より、なくなってしまった自分は、考えるということもできなくなるんだろうか。雪みたいにまた現れることもできるんだろうか。

 おもむろに雪をひとすくいして、固くならない程度にまるめて、えいっとばかりに妹の背中にやさしくぶつけてみる。妹はきゃははと笑って雪をバラバラのまま投げ返してくる。雪を玉にするためには、まるめて握らなければならないことも知らない妹。
 空がずっと消えないなら、意地悪をせずに、雪をずっと降らせ続けて、いつまでも融けないようにしてあげればいいのにと圭一は思った。そうしたら、自分も消えずに、ずっとここにいる勇気をもらえるかもしれない。




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