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免許更新と母親

 誕生日や記念日などの特別な日はなるべく一人で静かに過ごすようにしている。というより、普通の日と同じように過ごしていれば自然とそうなるだけなのだが。

 誕生日、どうせ暇なので免許更新の予定を入れておいた。思い返せば過去何度かの更新も全て誕生日の当日に行くのが常だった。ペーパードライバー暦20年以上の私は、もちろん無事故無違反のゴールド免許である。18の歳に地元で取得したはいいが、そこから一体何度運転したというのか。もしかしたら前回の更新から5年間、今日まで一度も運転しなかったかもしれない。そんな私の免許証は、唯一の価値が身分証明書としてのそれだったが、マイナンバーカードを職場で強制的に作らされてから、証明書としての価値さえ二番手に甘んじている気配である。しかしとはいえ、なにか事態が変わって田舎に戻ることになったら、いつ運転が必要になるかわからないし、帰省の際に老いた親に運転させるのはもうさすがに気が引ける。運転はいずれ避けて通れないのだ。最低限、運転する資格は保持しておく必要がある。

 数日前までの春の陽気とは打って変わり、私の気分を象徴するかのように。朝から冷たい雨が降っていて、重く押しつぶされそうだった。東京都の免許更新はこの2月から予約制が導入されたばかりで、スムーズに進むのかと思いきや、会場に到着すると相当な行列ができていて、手続きのコーナーのたびに待つことになった。並んでいると男の子を二人連れた母親らしき人が、係員の女性に対して、子供連れは特別に扱ってもらえると聞いたんだと訴えている。なんだか面倒くさそうな人だなと思った。

 最初の手続きを終えて、手数料を納める長い長い列に並ぶと、横には先ほどの子供連れの母親がいた。子供は棒付きキャンディを舐めたりして母親の足元でふらふらしているが、そう大暴れしているわけでもないのに、母親は苛立っていろいろと子供に注意していた。私は世の母親を全て尊敬はしているものの、子供連れで神経が過敏になって、周りの目を気にせず子供を叱る母親を見るのがどうにも苦手なので、常にその親子が横に並んでいる状況に、率直に苦痛を感じた。料金を支払う窓口が近づくと、母親は先に列を出て待ってなさいと子供に指示をしたが、子供はその意味がよくわからないのか、母親の元を離れたくないのか、その場でおろおろしている。母親の指示も、もう払い終わるから行きなさい、と、子供が何を理解できていないかわかっておらず、的確さを欠いてくる。こんなところに子供を連れてくるなよ、と言うわけではもちろんないが、その母親の周囲を気にしない雰囲気に、周りで列を作る人々の目は決して温かくはなかった。おそらく私も同じ目をしていたに違いない。

 そんな慈悲の無い目で視力検査をし、更新のたびに老けていくだけの遺憾な写真撮影をし、その後に30分の講習となる。講習は優良ドライバー向けだからかかなり緩いもので、かつてのように、寝ていたりスマホをいじっていたら受講済みと認めないというような威圧的な注意はなかった。ほとんど機械音声で話すプログラムにしゃべらせて、その間に係員は受講者の机を巡ってハンコを押して回るというように合理化されていた。講習の映像も、事故の危険性を強調する内容は従来通りだが、以前よりは自己のケースやその対応ぶりが具体的に示されていた。事故で小学生のお子さんを亡くされたお母さんが、子供が悪戯で神棚に隠していた朝顔の種を小学校に寄贈し、安全運転の朝顔として育てているというエピソードなど、情に訴える要素もあり、ついほろりとしてしまった。

 免許受け取りの際、またも先ほどの母親が、二人の子供を引き連れて免許受け取りの列にいた。やはり少し苛立ったような態度で、子供向けの菓子でも買おうとしているのか、無人の売店で呼び出しのベルを何度もチーン、チーンと鳴らしており、耳障りに感じた。ふと、この母親は先ほどの講習ビデオをどのような気持ちで見ただろうかと思った。

 結局、所要時間3時間ほどで、更新された免許証を受け取ることができた。これこそ有益な誕生日の過ごし方であると自虐的に心中つぶやきつつ、免許試験場から地下鉄の駅に向かった。地下鉄を8駅も通過して乗り換えのホームに降り立つと、試験場でずっと私の目に障っていたあの母親が、例の男の子二人を連れて降りて来たので面食らった。ホームを歩く子供たちは、温かい上着を着せられており、母親の顔は一仕事終えたように穏やかになり、微笑みをたたえていた。私はこの母親を誤解していた気分で、なにか悪いような気分になったが、その気持ちはすぐに消えて、なんだか嬉しい気持ちが込み上げた。

 その姿を見ているうちに、私は今日が誕生日であることを思い出した。もう40をとっくに過ぎて、私の実の母が亡くなった歳より、もう3年も自分は長生きしたのだ。母はこの3年も前に召されてしまったのだから、人生の円熟味を堪能できなかったわけで、さぞかし無念だったと思う。午後、育ての母に電話をすると、痰の絡む声でハッピーバースデーをおどけて歌ってくれた。どちらも、いつまでも精神的に幼い私にとっては厳しい母だったが、私が交通事故に遭って不幸なことになれば、どちらの母も悲嘆に暮れるだろう。

 そうやって母親についていろいろなことを考えているうちに、どうやら眠っていた。誕生日は静かな祈りの日である。




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