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名前の消えゆく会社へ捧ぐ

元来、昔話をすると心がむず痒くなりあんまり好きではないのだけど、せっかくなので書き記しておく。

1996年8月12日 ソフトバンク株式会社入社 ヤフー株式会社出向
1997年2月1日 ヤフー株式会社へ転籍
(ノートアプリに記してある経歴書から)

大企業にいる人からすると子会社への #転籍 という事態は、それからの人生を脇道へ逸れてしまうという危機的状況を表す片道切符のようなものなのだろう。しかし、自分にとって、 #ソフトバンク などという知りもしないベンチャーでどっちかというと #Netscape でいつも使っていた #ヤフー の方が馴染みが深く、何の違和感もなく、そういうもんなんだね、そもそもなんで出向とか転籍とか面倒くさいことしてんだろうなあ、っていうぐらいの感想しか27歳の自分にはなかった。実際100%ヤフーの仕事しかしなかったし、ソフトバンクの仕事なんて1ミリもしたことなかった。

振り返ってみると、当時私はソフトバンクの編集に入りたいと思って履歴書を送っていた。同時に、トップページのパイロットシート(一番上のど真ん中)横に「スタッフ募集」とテキストリンクつけてたヤフーにも軽い気持ちでWebフォームから履歴書送信していたのが人生の道を踏み違えたきっかけだったのだろう。

(↑インターネットアーカイブのページ、エンコードは「EUC」!!なので見る時は要注意)

ソフトバンク人事部の西村です」という電話をもらい、意気揚々と当時の会社で担当した紙の制作物とかのポートフォリオをファイリングして準備整えて面接に持っていった。色々編集に関係しそうな話をしてみるもなんか反応悪い。5分もしないうちに、「ん?これはもしやヤフーの面接じゃね?」と気づき、そこから巻き返しでホームページ作ってるんです~インターネット通信してます~みたいな話をしたと記憶している。そう、「私、騙されてヤフーに入ったんです!」といつも周りの人に話している。

まあ当時のヤフーはSBにおんぶに抱っこ状態というか、ミルク補給必須な状態で、鉛筆一本でももらい拾ってくる運営してたから、ソフトバンクで採用して兼務とかさせて人件費ミニマム化して陣容揃えようとしてたっていうのは振り返ると手に取るようにわかる。採用でさえも多分、ソフトバンクぐらいの名前を出さないと様にならなかったんだろう。自分的にはソフトバンクも全然知らない会社だったけど。でもなあ、せめて「ヤフーの面接です」ってちゃんと言ってくれてもよかったのになあ。あれは私の人生で後にも先にも唯一「詐欺」に遭った瞬間でした。

多分、とりあえず英語そこそこできて、当時の妻がアメリカ人で、前職がコーディネーター職で、アメリカのサービスを #ローカライズ する仕事させるのにちょうど良いと思ってもらえたんでしょうね。やる気のなさそうな人と怖そうな人が人事の西村さんと並んで3人で面接してくれました。

そこから始まった人生で一番濃密で忙しかった日々は続くこと16年。最初の名刺は、今みたいに #ラクスル とかない時代だから、自分でいわゆる #エーワン みたいな市販の名刺用紙買ってきて、当時のヤフーのロゴ(=JumpingY!)をパソコンで配置してレーザープリンターで打ち出したものだった。縦長の名刺。当時マーケ担当もしてて流行りの #イベント出展 するっていうので、低価格で作ってもらった2mほどの #看板 はハリボテ感万歳で、紙のボードに発泡スチロールでできたYahoo! JAPANの一文字一文字がマジックテープで貼ってある代物(下の写真の看板がオフィスに持って帰った後)。簡単に取れちゃうしょぼいやつ。その2mの代物を開催が終わった展示会場からコストをかけずにオフィスに持ち帰るべく、めっちゃ恥ずかしかったけど、電車のドア横に立ち、看板を素のまま数十分間ずっと持ち続けて持ち帰ったことも良い思い出。あれも良い宣伝になったであろう、きっと。いや違う。

後ろに掲げられてる看板が持って帰ってきたやつ

心の中では(今ではよく”あるある”と言われるまでになった!)「 #3年で辞めるつもり 」という欧米チックな考えでいたのに、面白くて辞めるタイミング逃した。店頭公開って言われても意味もわからず、ヤフオクみたいな面倒臭いけど可愛い存在に最初から関わらせてもらったり、あれよあれよで大きくなる過程を見させてもらい、会社もサービスも沢山のお客様に知って使ってもらえる存在になって。社員数10数名から数千名になる過程を通して、今ある数多なネット企業が経験するであろう成長プロセスや組織の拡大を、歪みや痛みも含めて凝縮して学ばせてもらった。

入社当時の #インターネットビジネス はだだっ広い草原と荒野と山々でした。ちょうどゴールドマイナーたちがたどり着いたウエストコーストってこんな感じだったんだろう。そこには作られたものは何も無いに等しく、その原野をどう拓いていくかどうデザインしていくか、まさにその最前線に立たされた場所だった。未経験で低収入で人より何年も遅れて社会人になった自分でも沢山のチャンスをもらって、それを活かすことも多分にできたと思う。感謝しかない。そんなヤフーも来月から3社統合(正確には5社らしい)でLYなる会社になるらしく、すでに自分のいた頃の会社とは組織も事業もかなり違ってきていて、遠い存在になってしまったけど、そうやって続いていくのだろうなと、個人の短命を感じつつ、法人の永続性を祈るばかりです。

巷でこれから社会で仕事で夢描いている人たちにも、ぜひだだっ広い原野にどんどん挑戦していって欲しいなと心から思う。まだまだ未開拓の地はあちこちに存在する。そこにまだ見ぬゴールドが沢山埋まってるから掘り起こしていって欲しい。掘ったからと言って見つかるとは限らないが、掘らないと見つからない。あとは、掘る努力をするかしないかだ。

がんばれ!


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