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【ADHD長女の不登校#3】オンライン授業が始まるもできない日々・・

こちらの#2の続きになります。


コロナでの一斉休校に引き続き、緊急事態宣言も出て、連休明けまでは宿題は出ていたものの、完全に学校は休校になった。その間の宿題は期限ギリギリだったが、私がお尻を叩く形でどうにかやり遂げることができた。4月は割と落ち着いていたように思う。

が、連休明けにオンライン配信授業が始まり、要領を得ない状況ながらに親子共々苦戦しながらの日々が始まった。それでも、「家にいるのに出席になる」こんなおいしい?期間はもったいない、と思い、毎朝起こして、朝礼の「みました」ボタンをクリックさせていたが、せっかく起きても回線が混んでてリアルタイムに更新されなかったりと仕方ないとはいえ、日に日に娘のやる気が削がれていくのを感じた。

それでも私は、毎朝起こした。在宅勤務の合間に、オンライン授業も一緒に見たりして宿題の内容をこっそりメモしたり、余計なことばかりしていた。

オンライン授業が始まって1週間が経ち、2週目に入ったところで、なにをやっても起きなくなった。昼ごろに起きて、タブレットを見ると、
「もう、これ見るだけで吐き気がする。頭痛がする。体が重い。無理!」と言って、その日から、なにもしなくなった。

心配だった。娘もそうだけど、どうしようもない母の私は、
「提出物が。。。。」「せっかくのチャンスなのに。。。」
がメインだった。情けない。本当に情けない母だと思う。

何度か無理やりやらせようとしたが、どうにもこうにも体調が悪くなっていき、ついには、娘の方から、
「病院に行きたい。」とはっきり言われた。
「病院?ちなみに何科?」
「精神、、、」
「精神科、、、わかった。探してみる」

もう、本当に、ざわざわした。明らかに娘の様子は1周間でおかしくなった。
体が鉛のように重たく起きれない、食欲もない、眠れない、もうどうでも良い、というようなことを言っていた。食事とお風呂の時以外は自室にいた。
自律神経のバランスが崩れたのだろうか、、とか、そっちを考えていた。というか、そっちであって欲しい、という思いだった。

とにかく思春期外来のある精神科を探した。家からそう遠くないところにあったので、電話して話を聞くと、こちらの話も丁寧に聞いてくれ、急いだ方が良さそうだからと、1週間後に診察できるようにしてくれた。ただ、「うちはお薬を使う病院ですが、よろしいですか?」と聞かれた。精神科の世界をなにも知らない私は、「はい、わかりました。」と軽くOKしてしまった。

薬を飲んで、早く良くなるなら、それはそれで良いと思った。お薬は良くなるためにあるものなのだから。なんでわざわざ聞くのだろう?とさえ思った。

診察までの1週間の間にも、娘の様子はどんどん悪くなっていった。
私はそれでも、どうしようもない母で、いざとなったらすぐにできるようにと、学校の宿題の内容と提出期限と提出先をまとめたりしていた。そんなこと、どうでも良いのに。。。それどころじゃないのに。この期に及んで、まだそんなことを気にしていた。

とうとう診察の日。医者は色々と本人と私に質問した。と言っても、5分程度。で、そのあと、「うつ病ですね」とあっさり言った。え?そんなんでわかるものなの??「大丈夫、治りますよ。お薬飲めば2ヶ月ほどで元気になっていきますよ」
と言われた。

何でそんなにすぐにわかるの?と思いつつも、「大丈夫、治りますよ」の一言に安堵して、涙がたくさん出てきた。それを見た娘が驚いて、自分の感情を出しそびれていた気がする。きっと娘のほうがショックだったはずだ。なのに私の方が取り乱して、娘は心配させまいと気丈にしていた。

「治ります」という言葉を鵜呑みにして、医者のいうことを忠実に聞いた。しっかりお薬を飲ませた。抗うつ剤と睡眠薬。しっかり飲ませた。寝ていて飲みそびれたら、ちょっとだけ時間を置いて2回分飲ませたり、一気に2回分飲ませたりしていた。それで良いです、と言われていたから。とにかくしっかり飲ませる、と。

1週間経って、様子を聞くと「相変わらず、眠りは浅く夜中に何度も起きてしまう。幻聴もある。吐き気は治って来た。体は少し軽くなったような気がする」
と言っていた。は?幻聴?でも、、体は軽くなって来たんだ、、、とその点は少しホッとした。

初診から1週間後、再び診察にいき、娘が自分で症状を説明した。そうすると睡眠薬が強くなり、抗うつ剤も増えた。え、、なんで増える?と思ったが、最初の量が少なすぎるから、少しづつ増やしていって様子を見る、とか言われた。

さらに1週間後、また抗うつ剤が増えた。この頃、初めて自傷行為をしているの気付いた。血のついたティッシュが机に雑に置いてあった。カッターもあった。もう、動揺が止まらなかったが、なんとなく思い詰めてやった感じじゃないような気がしていた。「試しにやってみた」という程度なんじゃないか?と考えた。

その時は私には分からないようにやっていた。そして、傷も半袖の季節だったがさほど気になるものでもなかった。

今思えば、これが、地獄の始まりだった。



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