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『森の生活』抄

ソローは、故郷コンコード村のウォールデン湖畔の森の中に自らの手で小屋を建て、2年2か月にわたり、自給自足の生活を営んだ。湖水と森の四季の移り変わりや動植物の生態、読書と思索の日々が、「詩人博物学者」の清純な感覚で綴られる。
────岩波文庫『森の生活』(上)扉解説より


ウォールデン池=Wikipediaより


たとえ一本の線であろうと
飾り立てようとは夢にも思わない。
ウォールデンのほとりに住んでいれば
神と天国にいちばん近づけるのだから

私は石ころだらけの岸辺。
あるいは湖面を渡る微風そよかぜ

私の手のくぼみには
ウォールデンの水と砂が、
私の思想の高みには
その奥深い憩いの場所がある。

────『下巻 湖より』

なぜわれわれはこうもせわしなく、人生をむだにしながら生きなくてはならないのであろうか?
腹も減らないうちから餓死する覚悟をきめている。
今日のひと針は明日の九針を省く、などと言いながら、
明日の九針を省くために、今日は千針も縫っている。

────『上巻 住んだ場所と住んだ目的より』

生活がいくらみじめであろうと、そこから顔をそむけたりはせず、ありのままに生きることだ。
自分の生活を避けたり、罵倒したりしてはいけない。
それだって当人ほど悪くはないのだから。
生活は、諸君がいちばん富んでいるときにいちばん貧しくみえるものだ。
あら捜し屋は天国にだって粗を見つける。
貧しくても、生活を愛したまえ。

────『下巻 むすびより』

もしひとが、みずからの夢の方向に自信をもって進み、頭に思い描いたとおりの人生を生きようとつとめるならば、普段は予想もしなかったほどの成功を収めることができる、ということだ。

────『下巻 むすびより』

私は失意の歌を歌うつもりはさらになく、止まり木に止まった朝のオンドリのように、元気よく誇らかに歌うことにしたい。
隣人たちの目を覚ますことさえできればそれでよいのだ。

────『上巻 住んだ場所と住んだ目的より』

メモ

H.Dソロー(1817~56)は、欧米でもわが国でも一定の人気がある。
おそらくは、「自然環境」とか「エコ」「ロハス」などのキーワードと並列に並ぶ意味で支持層が多いのだろう。

『森の生活』は私も好きな本の一つだ。
いつも思うのだが、150年も昔のアメリカは今日と違い、思想的にも文化的にも魅力にあふれていた。
ソローの様に思慮深く、内省的な人物は今日では洋の東西を問わず稀だろう。
『森の生活』には、詩や箴言や、様々な古典からの引用がある。
ソローの学識は、古代ギリシャ哲学や聖書はもとより、東洋のバガヴァッド・ギーター、ヴェーダ哲学、四書五経等々と幅広いことに驚かされる。

エマーソン(ラルフ・ワルド・エマーソン)の一元的な哲学にせよ、ホイットマンの自由精神にせよ、ソローの「詩と哲学」にしても、これこそが本来の「アメリカ精神」と言いたいものだし、何よりアメリカの愛国者の方々ご自身が、一番そう思いたいのではないでしょうか?

めっきり春めいてきた今日このごろ。
『森の生活』一冊を持って、ソロキャンなどと言うのも素敵かも。
アトランダムにページをめくり、その一節をかみしめる。

この本ほど「孤独」が似合う本もないものです。


出典 
『森の生活』(上・下)岩波文庫ワイド版 飯田実訳



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東洋哲学に触れて40余年。すべては同じという価値観で、関心の対象が多岐にわたるため「なんだかよくわからない」人。だから「どこにものアナグラムMonikodo」です。現在、いかなる団体にも所属しない「独立個人」の爺さんです。ユーモアとアイロニーは現実とあの世の虹の架け橋。よろしく。