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「良い人」になるには犠牲が伴う

 先日、私は嫌な夢を見た。酸素は吸えているはずなのに、息が苦しかった。パニック障害で苦しんでいた頃の自分がよみがえってきて、急に怖くなった。

 そんな恐ろしい夢とは、世界を震撼させるホラー映画のような夢を指すのだろうと考える人も少なくはないだろうが、実際の夢はそんな波乱に満ちたものではない。ごく平凡な日常を切り取ったような夢だ。その夢について、少しだけ話をさせてほしい。

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 気がつくと、私は新卒の社会人になっていた。どうやら、新人研修の最中らしい。特別、就職したい会社というわけでもなく、受け入れてくれた会社がここしかなかったという理由で、この会社に入ることにした。

 唯一、私を受け入れてくれた会社なのだから、上司たちには良い印象を与えたい。そこで、私は「良い人」を演じることにした。研修には人一倍熱心に見えるように取り組み、愛想良く振る舞い、常に上司たちの機嫌をうかがった。

 その結果、上司たちから気に入られ、可愛がってもらうことができた。だが、純粋に喜ぶことができなかった。それどころか、「良い人」を演じる度に、私の心は壊れていった。だんだん、上司の言葉が重荷になっていき、息が苦しくなった。早く、この場から逃げ出したくて仕方がなかった。

 会社の上層部の人たちまで出てきた。彼らが私に対して、「期待してるよ」と言ったとき、ついに私は崩壊した。心の中の私が、「もう限界なんだ......」と言って泣き叫んだ。

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 この夢を見たとき、私の社会人一年目のときことを思い出した。当時に戻ってしまったようで、起きた後も息苦しく感じた。夢で見たような事態が、当時も実際に起きていたのだ。

 ブラックな職場と言えば、比較的ブラックな職場ではあったが、親切な先輩や上司が多く、人には恵まれていたように感じる。同僚ともそれなりに仲良くやっていた。

 だが、私は完全に心を閉ざしていた。誰一人として、私の心の中の事情を知る者はいなかった。私は、ひたすら本当の私をすべて心に閉じ込めて、「良い人」を演じることに専念し続けた。少しでも素の自分を出したら、拒否されてしまうような気がして、怖かったからだ。

 その甲斐あって、先輩や上司から良い言葉を掛けてもらえることが多々あった。だが、それが次第に重荷になっていき、心が壊れ、私はその職場を辞めた。結局、自分で自分の首を絞めたのだ。

 「良い人」を演じるということは、周りから良い評価を得られることも多いが、一方で、自分を亡き者にすることでもある。評価を受けているのは、「良い人」の自分であって、本当の自分ではないからだ。良い評価を受けるには、いちいち演じなくてはならないのだから、心がすり減っていくのは当たり前のことである。

 その職場を辞めた後、私はフリーターとして働くことにした。給料は安いが、アルバイトであればいくらでも働き口はあり、いつ辞めても問題はない。つまり、いちいち上司の顔色をうかがわなくてもいいのだ。

 私は、フリーターになってから、「良い人」を演じることを少しずつやめていった。人に、少しずつ自分の気持ちを言えるようになった。好きなことや嫌なことを人に伝えられるようになった。いつの間にか、自分の心が少しだけ軽くなっているように感じがした。

 今でも、「良い人」を演じることをやめられたわけではではないが、少しずつ自分を取り戻しつつある。


当時の私へ

仕事を辞めることに対して、当時は少し迷っていたけど、決して間違った選択ではなかったよ。そのおかげで、少しだけ元気を取り戻すことができたんだ。どうやら、私は女優には向いてないみたいだね。自分らしくいられる場所で、自分を大切にできるように生きていくことにするよ。私を解放してくれてありがとう。

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