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働くということ/#仕事について話そう

 明日からまた仕事、ということもあって、憂鬱な気持ちで過ごしている。仕事があるだけマシという考え方もあるし、地震のニュースを見るたびに、少しでも早く落ち着いてほしい、これ以上揺れないで欲しいと願うばかり。

 東日本大震災のとき、東北地方で暮らしていた僕も、大変な思いをした。電気もガスも水道も使えない、食べ物もない。でも余震はいつまでも続く。そんな状況でも「可能なら出社するように」と言われ、会社に行ってみる。当然ながらPCは動かないし、できることがない。

 仕方なく商店街まで行って、食料の買い出しをする。自分用じゃなくて、会社用に。運よく営業しているお店を見つけても、すごい行列ができているのが当たり前で。何時間も並んで、ようやく食べ物が買えた。

 会社用なので、レジで宛名付きの領収証をもらおうとする。でも後ろには長蛇の列。申し訳なくなって領収証はあきらめた。会社に戻り、上司にその話をしたけれど「そんなもん、お前の勝手だろ」と一蹴されてしまい、結局自腹を切る羽目になった。

 散々な買い出しだったけど、僕が買ってきた食料を、会社の人が少しずつ受け取るのを見たら、行って良かったと思えた。ありがとう、お疲れさまと声をかけてもらえると、なんだか心が満たされたような気がした。

 働くということは、何らかの形で「人の役に立つこと」だと思っている。それが社会に参加することだとか、大人の義務だなんて言うつもりはない。ただ、なんとなく満たされたように感じるんだ。心が、あとお財布も。

 けれど働くということは、お金を稼ぐことと同義ではないと思っている。生きるために多少のお金は必要だよね。でもそれが目的になってしまうと、色々おかしくなっちゃうし。だけど、働きに見合う真っ当な対価は必要で。

 その「真っ当な対価が何か」という部分が、価値観の違いなのかなって、僕はよく思う。例えばボランティアをする人は、当然お金は受け取らない。でもきっと、お金ではない何かしらの対価をもらっていると思う。それこそ「誰かの役に立てた」という満足感みたいなものを。

 おそらく仕事が嫌になるのは、そういうところなんだ。役に立てた実感がわかないとか、苦労に見合った肯定的な評価がないとか。人を動かすもの、やる気にさせるものって、みんな違うから。給料アップや昇進という人参をぶら下げられても、走れない馬だっているんだ。僕はそんな風に思う。

 

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