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アバターだからこそ/VRChat雑考

 「またアバター買ったの?」なんて言われます。自分としては、そこまでお迎えしているつもりはなくて、お財布と相談しながら月にひとりくらい。でも、同じ子を好んで使い続ける人もいるので、多い方かもしれません。

 僕が”VRChat”を始めたのはちょうど1年くらい前。仕事でも、私生活でも色々とひと段落して、このご時世で付き合いが減ったのがきっかけでした。外食や飲み会が減った分、お小遣いがBOOTHに吸い込まれているわけです。

 「アバターはもう一人の自分」。そんな風に考えると、アバターを頻繁に変えるのはあまり好ましくないのかも、自分を認識してもらうという点で。物理現実でも容姿がいきなり変わったら、相手はきっと戸惑いますよね。

 ただ僕は、VRChatで写真を撮るのが好きなので、ワールドの雰囲気だとか伝えたいものに合わせて、色んな子を撮れるようにしたい。そんな気持ちもあるのです。フレンドにモデルを頼むこともできます。でも写真を撮るなら基本はひとりで、撮りたいものを好きなように撮りたい。

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 以前「〇〇ちゃんのアバターを見かけると、とらおさんかと思っちゃう」と言われたことがあります。嬉しい反面、申し訳ない気持ちになりました。それはアバターの作者さんや、同じアバターを使っている人に対して。

 ただ同じアバターを使うのは、親近感が持てるという利点にもなります。「あ、〇〇ちゃん。かわいいですよね」と会話のきっかけにできますから。バイク乗りが同じバイクを見かけると、嬉しくなっちゃうような感じかな。

 実際、「〇〇アバター集会」のような、同好の士が集まるイベントもよく開催されています。参加者のアバターは元々同じ子ですが、それぞれ好みの髪型や髪色、服装へ改変されていて個性的。その人の「好き」がつまってるわけですから、ある意味、何よりも使用者そのものだと言えます。

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 自分の好きな見た目になれるアバターですが、だからこそと言うべきか、個人の内面=人間性を浮き彫りにすると感じます。アバターの姿を借りて、(現実では満たせない、抑圧された)欲求を満たそうとするわけですから。「何を望んでいるか」ほど、その人自身を表すものはないでしょう。

 かわいくなりたい、おしゃべりしたい、表現したい、VRならではの体験をしたい。その機会を提供してくれるのが、VRChatのようなサービスであり、アバターという「もう一人の自分」。とは言え、内面や人間性というのは、ごまかしきれないもの。それはかわいいアバターでも変わりません。

 どんな欲求を抱こうとも、それは本人の自由。ですが、欲求のベクトルや矛先を「他者へ向けすぎる」のは苦しいだけ。相手を思いどおりにしたい。それが叶わないのは苦しいでしょう。でも、その欲求を向けられる相手も、同じように(あるいはそれ以上に)苦しいはず。

 だからこそ、アバターを介したコミュニケーションで親しくなれるのは、本当に気が合う証拠なのかもしれません。これは独りよがりな想いでなく、お互いにそう思える関係に限った話ですが。

 アバターはまるで「鏡」。自分が「何を望んでいるか」を映す鏡であり、同時に自分の「本質」を映す鏡でもあります。VR”Chat”なのに、おしゃべりよりひとりが好きな僕は人間嫌いです。そんな僕にも好きだと思える友達が少しでも居てくれるのは、VRChatの”懐の深さ”だよね、なんて思うのです。

撮影ワールド:アッシュちゃんのインターン先に遊びに行こうǃ        Ash's Internship Sites/翠葉カロナ さん


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