見出し画像

5月10日 STADIAに関するゆる~~いお話。どんなゲームを作るべきか、の話。

 なんとなく気が向いたので、なんとなくなSTADIAの話をしまーす。

 相変わらず私は、STADIAは日米のコンシューマ市場に対し、すぐには大きな影響は与えないでしょう、と考えている。すでにあるゲームハードで遊べる豊富なソフトがあるわけで、ユーザーのみんながいきなりクラウドゲームのほうへ鞍替えするとはとても思えない。
 ただ、ゲーム機がいらないわけだから、じわじわと、「そっちの方が便利だから」で移ってしまう人が出てくるんでしょうな。かつてはレンタルビデオ屋に行ってDVD借りて、視聴して、返却……だったものが今ではNetflixで家に閉じこもったままいつでも見られる。この便利さに変えられるものはない。「爆発的に拡散」はないけど、じわじわと。特にこれまで「ゲーム機は高いし敷居が高そう」と思っていたユーザーにこそ、影響はありそう。
 私も気になってはいたけど、手が出せなかったゲームがSTADIAに出たら、課金するんだと思う。
(もしかしたらテレビとSTADIAが合体するかも知れない。リモコンの「ゲーム」ボタンを押せば、そのままSTADIAの画面に移る……みたいな。それで、ソニー製テレビにだけゲームボタンがない……という状況も?)

 影響がありそう、といえばスマートフォンゲームのほう。なぜならコンシューマとほぼ同じか、まったく同じクオリティのゲームをスマートフォンで遊べるんだもの。だったらみんなそっちのほうをやるでしょう。
 スマートフォンゲーム……ゲーム実況なんかでちらちらと見ているけど、だいたい紙芝居でしょ、あれ。ガチャひかせて、出てくる女の子の、特に動きのない芝居があるだけ。有名イラストレーターを大量に起用したり、フルボイスにしたりとかで結果的に予算かかっているけど、ゲーム自体は動きの薄い、ちまちましたものに豪奢な“側”を載せただけ。ああいうの全部取り払ったら、いまスマートフォンゲームの制作に○億円とか言われているけど、骨組みにはそんなにかかってないでしょ。
(スマートフォンゲームもガラパコス化へ突き進んじゃっているんじゃないか。そのうち、「ガラパコスゲーム」なんて呼ばれる……わけないか。「ガラケー」と名称が被ってややこしい)
 そんなものよりかは、コンシューマのスタイルのほうが面白いに決まっている。NintendoSwitchが出てからの変化と言えば、「結局はコンシューマのほうが面白いじゃん」という回帰の流れを作ったことだったし。みんな「女の子が出てきて、仲良くなれるもの」よりかは「ゲームそのもの」で遊びたいと思っていたんだ。

 私がSTADIAの紹介映像を見ていて面白いなと感じたのはYouTube連携。YouTubeで紹介されているゲームを見て、面白そうだと思ったらすぐにそのゲームで遊ぶことができる。予告編を見てすぐに本編に入れる。理想的な関係だ。
 YouTubeで配信しているゲーム実況を見ていて、面白そうだと思ったら、その場で参戦できる。これも面白そう。ニコニコ動画でゲーム実況を配信する人が絶滅しそうな仕組みだ。

 するとSTADIAでどういうゲームを作るべきなのか。YouTubeで連携を作れる……という仕組みをまず考えるなら、「みんなで楽しめる」ゲームでしょう。ボードゲームや、多人数協力型Coopアクションゲームやシューティングゲーム。自由にパーティ参戦可能なMMORPGという手もありそうだ。従来的なジャンルだけでも、色んな形が考えられるだろう。

 それで、前からちらっと思っていたことだが、多人数参加型のオンラインゲーム、途中から参加できてもいいじゃないか……ということ。『Splatoon』とか『PUBG』とか。
 『Splatoon』とか、よく途中で落ちる人がいるけど、そういう時に途中から参加できたっていいじゃないか。3対4で試合終了まで待たせなくてもいいじゃんって。『PUBG』は最後の1人になることがゲーム目的だから、途中参戦したらゲームが変わっちゃうからまずいけど。
 すでにあるゲームについては、もう仕方ないと置くとして。その時のゲーム終了を待つのではなく、「途中から参加」が可能なゲームの仕組みは考えてもいいでしょう。「途中から」というより、「その場ですぐに参戦できる」という考え方のほうだが。
 私が前から考えているゲームは、20人以上、定員30人までのゲーム。最初の時間制限内に30人集まらなくても、20人以上ならゲームスタート。ただし、途中からの参加OK。
 もう1つはみんなが参加しているボードゲームタイプのゲームで、このゲームはMMORPGのように始まりも終わりもなくずっとゲームが進行していて、その中に途中から参加し、途中で離脱していくゲーム。その参加している間でどれだけスコアを上げられて、トータルで何位になったかを競う。みんなが遊んでいる中に、ちょっろっと参加して遊ぶような感じのゲームだ。

 実況者が配信しているゲームの中にいつでも自由に参加できることは魅力だが、注意しなければならないのは「荒し」を可能な形にしないこと。
 例えばゲームのあまり上手くない実況者のところに乱入していって、コミュニティを荒らしに荒らしまくって去って行く。やっているほうは楽しいかも知れないが、実況者にしてもそれを楽しんで見ている人にとっても不愉快でしかない。
 もちろんめちゃくちゃゲームの上手い人のところに腕試しで飛び込んでいく、という話なら問題ない。そういうスタイルでやっていく実況者だっているだろう。
 だが、ゲームのうまくない実況者やコミュニティのところへ「狩り」に行くのは論外だ。それは外道の行為だ。

 そう釘を刺しても、それの何が悪いのかわからない、という人は多い。ゲームがうまいことが正義。そう考える人は多い。ゲームのうまいゲーマーの弱点は「自分がうまいことを否定できないこと」だ。初心者や中級者を狩りに行って、それの何が悪いか、わからない。「ゲームが下手な奴が悪い」と考えがちだ。
 こういう人間が作り手の立場になると、かなり面倒なことになる。ゲームの上手い自分を物差しにするから、バランスのぐちゃぐちゃなゲームになりがちだ。私が最近遊んだ中では『マイティガンヴォルト バースト』がそれだ。ボス戦、何を考えているかわからないくらい難易度調整が狂っていた。
 ゲームのうますぎる人間は、eスポーツの選手になれるかも知れないが、作り手にはならないほうが良い。中途半端にうまいだけの人間は、何にもならないほうがいい。

 そもそもの話で、「荒し」ができないような仕組みにしてしまえばいい、という考え方もある。「駆け引き」とはルールに則って相手を妨害する行為のことだが、この「駆け引き」の考え方を変えられないか……と前から考えている。
 例えば、他プレイヤーをアシストすればするほどに、アシストしたほうにポイントがプラスされる仕組みだ。結果的に、アシストしたほうが良いスコアを得ることになる。アシストされたほうはそれで結果的にゲームをクリアできるわけだから悪い気分にはならないだろう(リザルトでスコア負けするわけだが)。よりアシストしたほうがポイントがプラスされるわけだから、ゲームがうまいゲーマーはむしろ初心者をアシスタントしたくなる。
 もう1つの例は駆け引きの決着を付けず、長く引き延ばすことを勝利条件とする方法。例えばキャッチボールや、縄跳びとか。どちらが勝てば終了、ではなく、“長く続けること”自体をゲームのルールとする。こうすると、わざと失敗して荒らす人も出そうだが……。
(もちろんキャッチボールや縄跳びそのものをゲームにしろ、って意味じゃないよ。飽くまでも例え。んー……じゃあこういうのはどうだろう。音楽ゲームで、セッションが続くことを目的とするゲームとか。いっそ配信者が歌っていて、それにコールを入れることをゲームにするとか)

  最近は100人同時参戦のバトルロワイヤル型のゲームが世界的に流行っているが、私はあの手のゲームに対して懐疑的で……まだやったことがないというのもあるけど、映像を見て楽しそうな気が全然しない(STADIAの紹介の時「1000人参加のバトルロワイヤルゲームも作ろうと思えば可能」と説明していたが)。
 ああいったゲームが楽しいのは、実は上位の10%くらいじゃないのか。残りの90%くらいは流行だから、流行に参加したくてやっているだけじゃないのか。試合に勝ち残れる人間は楽しいが、勝てないほうが楽しいわけがない。
 もしかしたらまだブームの初期段階みたいなもので、みんな下手だから自分でもヒーローになれるかも、という期待があるから流行っているのかも知れないが。みんなそこそこうまくなって、格差が生まれてくると、下手なプレイヤーからゲームを去っていくことになる。
 ゲームのうまいゲーマーはこういうとき、「負ける方が悪い」「下手な方が悪い」とつい考えがちだ。ゲーマーは“自分がゲームが上手いことを否定できない”、“ゲームが上手いことを正義”だと思い込む。その傲慢はゲームがさほどうまくない、中級者以下のプレイヤーを切り捨ててしまう。
 よく、「流行は最先端にいる玄人がとどめを刺す」と言われるけど、ゲームの場合もこれ。「ゲームの上手い玄人が流行にとどめを刺す」。私は格闘ゲームブームの終焉を見ていたからこれはよく思う。どこかで「やってられっか」ってなる(特に最近はネットで上手いゲーマーといくらでも対戦できてしまうから、より「やってられねーよ」ってなりやすい)。極端に傾くと、超上級者以下の大多数の人が流行から去ってしまう。ゲームの上手いゲーマーほど、この問題に気付きにくい。
 そういうわけで、バトルロワイヤル型ゲームはそのうちにも沈静。その反動で、まったく作られなくなる……という状況になるんじゃないかな、という気がしている(業界は極端から極端に傾きやすいから)。
 だからといって、ゲームの難易度を下げれば万事解決、とは思わない。むしろ難易度は少し高めのほうが良い。難易度問題とは別で、より多くの人が参加しやすい仕組みを考えるべきだろう。

 ……と、話をしても、STADIAは日本でローンチはないんだけどね。

 日本を外す、というのはなんだかXboxを連想してしまう。
 もしかしたら「日本で出してもどうせ儲からない」と考えているのかも知れないが、それだと良くない。というのも日本は「小さい国」とよく言われるけれども、実際には1億2000万人もの人がいて、しかもアニメやゲームといった文化が大衆に深く根づいている。こういう根づき方をしていて、しかも日本だけでやっててもビジネスとして成立できちゃう国って、実はそうそうない。日本のポテンシャルを甘くみちゃいけない。
 もしかすると、他にも理由があるのかも知れないけど……(翻訳が大変とか)。日本をムーブメントから外しちゃうと、結果的にXboxの二の舞。Xboxは最初の立ち上げに失敗し、その後Xbox360の時に一度頑張ったものの、今となってはもう取り返そうともしていない。STADIAが日本上陸しても、週販100台程度のXboxと小さく競い合うだけで話題にもならない。そういうオチになりそうだ。


とらつぐみのnoteはすべて無料で公開しています。 しかし活動を続けていくためには皆様の支援が必要です。どうか支援をお願いします。