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2023年冬アニメ感想 トライガン TRIGUN STAMPEDE

 はるか時の彼方、まだ見ぬ遠き場所で、ふたたびやって来る。

 『トライガン』……有名な作品らしいことだけは知っている。
 『トライガン』の原作が最初に世に出たのは1995年「月刊少年キャプテン」においてだった。しかし月刊少年キャプテンは1997年に休刊してしまったことにより、少年画報社の「ヤングキングアワーズ」に場所を移して連載が再開された。ヤングキングアワーズでの連載は10年近く続き、2007年に完結。その後も単発的な番外編が様々な雑誌に掲載された。

 最初のアニメ版が制作・発表されたのは1998年の春からだった。制作はマッドハウス。26話構成のその作品は、《深夜アニメ》の先駆け的な作品として記録に残されている。
 テレビシリーズが終了した後も作品の評価は高く、2010年には長編劇場用アニメTRIGUN Badlands Rumble』が制作された。

 今回制作された2023年版『TRIGUN STAMPEDE』は過去の映像化作品と一切関連を持たない、ある意味のリブートと呼ぶべき内容になっている。制作は《オレンジ》。
 制作会社オレンジは2004年頃に設立したCGアニメを専門とする制作会社で、様々なアニメの“CGパート”を担当した後、2017年『宝石の国』において全編CGによるアニメシリーズを独自制作し、大きな成功と成果を獲得する。その後も『BEASTARS』『ゴジラS.P』を制作し、今のところハズレは1本もない。CGアニメのクオリティは、CGアニメを専門とする会社が多数ある中でも抜きん出た高さを誇っており、作品も「CGアニメだから」というのはさておきとしても優れたものを作り上げている。「制作会社オレンジ」この会社名だけで見ても良い……といえる数少ないアニメ会社だ。
 監督の武藤健司のフィルモグラフィーを掘り下げていくと、どうやらアニメーター出身ではなくいきなり演出で業界デビューした人らしく、初期の頃から『残業のテロル』『神撃のバハムート』といった尖った作品の演出を担当している。制作会社オレンジとの関わりは『宝石の国』でがっつり関わり、本作『TRIGUN STAMPEDE』において監督デビューを飾ることとなる。

 オレンジは毎回挑戦的な作品を題材に選ぶ。『宝石の国』は人類が完全に滅んだ後、宝石が知能を持った……という不思議な世界を舞台に描く。『BEASTARS』は獣の世界。毛並みの2次元的表現は非常に難しかったはずだが、見事成功させている。それに続く作品が『TRIGUN STAMPEDE』だ。
 そもそも過去の一度アニメ化された作品が再び映像化される……ということ自体異例だというのに、しかも1998年版のアニメは当時高い評価を得た作品だ。評価の高い作品はなにかと比較されやすい。それなのに、あえていま時代にCGアニメとして『トライガン』を制作する。それだけでもかなり勇気のある選択だ。

 ただ私は1998年頃というのはまだアニメをほとんど見ていない頃だったから、この当時のアニメ版を見ていない。『トライガン』で画像検索してみると1998年版の画像を見付けることができるのだけど……。

 絵がまるっきり違う。

 こうして並べてみると「同じキャラ?」と疑うくらい違う。原作や1998年版のバッシュ・ザ・スタンピードは精悍で男性的。銃を身構えた姿に力強さが感じられるように描いている。
 一方、2023年版のバッシュは全体の線が細く女性的。背は高いが体は華奢。鼻にブラシが入っているし、左目の下には泣きぼくろが入っている(この泣きぼくろは原作のキャラ絵には確認できない)。
 画像を比較して見るだけでも、ただ単に『トライガン』をもう一度映像化してみました……というだけの作品ではないことがわかる。当時のアニメ版とも違うし、原作版とも違う。“新しい作品”として『トライガン』を制作しようという意識が感じられる。

 ではアニメーションとしての『TRIGUN STAMPEDE』を見てみよう。

 まずは「フェイシャル・アニメーション」。「表情」の動き。エンドクレジットを見るとフェイシャルアニメ専門のスタッフがいたことがわかる。こうやって見ても、本作が表情の動きをやたらとこだわっている。その中でもメリル・ストライフは、アニメーターが“遊んでいる”感じが良く出ている。

 後ろにいるオッサン……ロベルト・デニーロとの表情差。
(キャラクター名は察しの通り、ハリウッド俳優の“もじり”で作られている)
 ニコニコ動画版も少し見たが、あまりにも滑らかに動く表情アニメーションに、違和感を感じる人もいるようだ。でも本来、アニメキャラの表情はこれくらい動くもの。『AKIRA』はこれくらい動いていたし、そのスタッフが関わった『ピーターパン』もこれくらい表情豊かだった。『未来少年コナン』も表情豊かだった。初期の東映動画の精神を引き継いでいるといえる。
 ところが後に、アニメは「止め絵」でキャラクターを見せるようになる。止め絵で見せるのは作業上の都合と、ユーザー側が止め絵での美しいキャラ絵を求めるようになったから。アニメらしい滑らかで表情豊かな動きは「子供向け」と見なされたし、動けば動くほど絵が「崩れる」おそれが出てくる。崩れるくらいなら、止め絵の綺麗なキャラの顔を見たい……そういうふうにユーザーの意識は変わっていった。アニメの中心が「動き」からキャラクターそれ自体に移行していたために起きた現象である。
 だから『TRIGUN STAMPEDE』による滑らかな表情アニメはある意味の「先祖返り」。それも初期東映時代に戻っている。CGアニメだから「作画の崩れ」が一切起きない中で、滑らかな表情アニメが表現できる。止め絵の「綺麗な顔」を求める今のユーザーの嗜好と、昔ながらの滑らかな表情アニメの良いところをうまく融合させている。
 それにこの滑らかな表情が、作品のコミカルな側面を最初に提示している。要するに「リアルで硬質な作品」ではなく、「こういうコミカルなところがある作品ですよ」……というゆるさのある作品だと示している。

 ただ、ここまで2次元絵に見えるように表情を作るのは相当の苦労だっただろう。こうやって止めて見ると、CGアニメだと思えないくらいよくできている。しかしこういう2次元的な絵というのは3次元的には「間違っている」絵だ。これを一コマ一コマ、どの瞬間で止めても破綻しないように作る……。いったいどれだけの手間だったのだろうか。

 もう一人、明らかに楽しんで作られているのがネブラスカ。アゴがガーンを抜け落ちている。いかにアニメ本来持っていた自由さ、コミカルさを3DCGで表現できるか……それが本作の挑戦だということがよくわかる。
 ただアゴのシルエットライン、影の形が綺麗に見えない……というところが惜しい。それに、こうやって止めると気付くのだけど、額と髪の毛の生え際に細かく影が入っている……これだとカツラっぽく見えちゃう。
 ところで後ろのプラントがどうしても尻に見える。

 次は表情以外のアニメーションを見てみよう。

 第1話で面白かったのはこの場面。床に倒されたバッシュを憲兵たちがひたすら殴る!
 この場面の面白さは、殴られるバッシュをわざわざフレーム内で見せて、しかも長回しで見せること。普通、こういう「床に倒されてタコ殴り」という場面は、殴られている方は見せない。殴っているポーズだけを見せて、それっぽい雰囲気に見せる……という作業を省略するための表現。なのに、わざわざ殴られている方の動きもしっかり見せて、しかも長回し……と逆に作業量を増やすような見せ方で描かれている。
 本来作業量を節約する見せ方で、わざわざ作業を大変にする……という演出がわかっている人が見ると笑えるシーン。

 このカットではないけど、この作品、長回しが非常に多い。従来の手法だと「長回し」はなかなか「間」が持たない。そこで「間」が持つよう、構図やその前後のシーンに工夫が必要なのだけど、『TRIGUN STAMPEDE』ではわりと無防備に長回しのカットがある。でも長回しだという気がぜんぜんしない。キャラクターが常に動いているから、長回しのカットでもストレスなく進行していく。止め絵を挟まず、動き続けるから、こういう見せ方が成立する。こういうところもCGアニメの特権。

 次のアクションは連続コマで見てみよう。

まず走る姿の全身を描いて…
カメラがすーっと寄っていって
手に持っている弾丸をカメラ前で見せて…
また全身を見せて…こんなに足上げる必要ある?
また顔にぐーっと寄っていって…
顔から次に手の動きを捉えていって…
カメラが弾丸にくっついて一緒に飛んでいく。

 明らかに原画マンが「原画」を描いて、そこから動画が作られている。
 まず走るアクションからコケそうになる動きをフルサイズで見せて、そこから顔にグッと寄せて表情を見せ、手に持っている弾丸を見せる。そこからまたカメラがスッと引いて全身を見せて、投げるフォームを見せる……かと思いきや、また顔にぐっとカメラを寄せて、次に腕の動きにカメラが移り、投げる弾丸を見せる……。
 大変なアクションだけど、こんな場面でもフェイシャルアニメがしっかり入っていて、1コマも破綻がない。
 見せたい「決め」のカットをクローズアップし、そのクローズアップした瞬間、数コマ動きを止める……。これはアニメの作法。CGの作法じゃないんだ。CGにするとモーションキャプチャーした動きを滑らかに見せる、リアルに見せる……ということに終始してしまう。でもそれだと「アニメの動き」にならない。この一連の動きを「リアルなもの」と考えると、変なところがある。もしもこの動きを別カメラで捉えると、カメラがキャラの表情や腕にクローズアップした瞬間、動きがスローになっているはず。でもそういうふうに作り込むと、「アニメらしい」力強い動きになっていく。この作品が「リアルな動き」を追求しているのではなく、いかに2次元のアニメらしさに近付けるか、そしてそれ以上のものが作れるか……というテーマを持っていることがわかる。

 次も連続コマで見ていこう。

3D構築された街の中を駆け抜けていく。周囲には激しい着弾。画面左側にある狭間を目指して走っている。
狭い空間に飛び込んで…
ここで顔を見せる
そのまま勢いですっ飛んでいき…
尻で着地!
そのままズルズルと滑り落ちていく…

 第2話、街の住民に銃撃を受け、逃げるシーン。長回しのトンデモないワンシーン。CG構築された街の中を、あり得ないようなパルクールで駆け抜けていくバッシュ。従来の2次元の作画手法では絶対に描けないアクション。それに、やっぱり「決め」の動きを見せるためにその瞬間は絵が止まる。アニメーターが描いた動きらしい絵になっている。

 次も連続コマで見ていこう。注目はネブラスカのドレッドヘア。

 カメラが回り込んでもドレッドヘアの立体に破綻がない……というのがCGの特権だけど、驚いたのはカメラが近付くにつれて、ドレッドヘアに線が増えて影も細かくなっていくところ。
 これは……どうやってやっているんだろう? CGの世界では「レベル・オブ・ディテール」というものがあるけど、それとは違う。手作業で線を増やしていったのだろうか? この辺りの秘密はメイキング本とかを見ないとわからない。
 ただ、こうやってキャラクターがクローズアップするに従って線が増えていく……というのが自然な見せ方。CGアニメの弱点は、遠くのキャラクターと近くのキャラクターを同じ線の密度で表現されてしまうこと。一見すると「いつでも高品質なキャラ絵」を見せられるように感じられるが、表現として正しくない。遠くのキャラクターほど空気が線を食っていくので、線の数を減らさなくてはいけない。それに、画面にしたときに近くのキャラクターと遠いキャラクターを同じモデルを使うと、どこかシルエットがゴチャッとした感じになって美しくない。
 CGキャラクターもカメラから遠ざかっていくほど線を減らしていったほうが良い……というのは理想だけど。この場面はどうやって表現されたのだろうか。

 ピアノ演奏の指使い。
 ピアノ演奏シーンをCGで描く……というのは2007年のアニメ『のだめカンタービレ』の頃からすでにあったわけだけど、あの頃は演奏シーンだけがキャラクターがCGになっていて、居心地が悪かった。やっぱりCGで描くなら全面CGが良い。

 フードの糸がほどけるように複雑なパーツが現れる。こういう「密度」で勝負する絵は手描きアニメでは絶対に描けない。これみよがしにCGを「見せつけた」場面。

 実は「手書きの絵」もちらちらと出てくる。CGで表現しづらい表情や動きは、無理せず手書きでサクッと描く。こういうのも、どっちが作業が楽か……で決まる。

 では次に「物語」を見ていこう。
 『トライガン』は原作を読んでいないし、今回のアニメシリーズも最後まで見ていないので、その段階での話。

 舞台となっているのは地球……ではなく『ノーマンズランド』と呼ばれる惑星。水資源がほとんどなく、地表の大半が砂……という『スターウォーズ』のタトウィーンのような環境。

 イメージの原型にあるのは西部劇。第1話の舞台となる酒場はどう見ても西部劇のイメージ。すると西部劇をSFふうに描いた作品なのかな……というところでお話しがスタートする。

 生存するための資源などほとんどない世界で、人はどうやって生きているのか……そこで「プラント」と呼ばれる謎のなにかが示される。他に食べ物の生産を行っているところが描かれていない(農業も酪農も行っていない)……というところを見ると、このプラントが供給してくれているらしいが……。
「砂漠しかないこの星で人類に必要なあらゆる物資をゼロから生み出す生体動力炉。宇宙時代の喪われたテクノロジーの一つ」「プラントは新しく作ることができない。欲しいなら大金を積むか、あるところから奪い取るかだ。だからどの町も厳重に管理している」
 第1話でこう説明される。
 バッシュはこのプラントの不調を治す「プラント技師」らしい。

 第1話で示されるのはこの世界観とバッシュ・ザ・スタンピードというキャラクター。
 バッシュは拳銃を身構えるが、弾丸が1発も入っていないことに気付き、パニックになって「誰か! 弾丸をくれ!」と泣き叫ぶ。

 精神が非常に繊細。ただ戦闘となると抜群の力を発揮する。至近距離で撃たれてもこの通り、全弾かわすことができる。『リコリス・リコイル』でも描かれた弾避けだ。こちらのほうが描写に納得感がある。さらに飛来してくる爆撃を、たった一発の銃弾ですべて解決してしまう。繊細だけど腕は超一流。
 第1話は大雑把な世界観のイメージと、主人公バッシュがどういった人間なのか、その“印象”しか示されない。

 最初の1話、2話、3話までは「少年漫画」ふうスタイルでお話しが展開する。毎回街に悪漢がやってきて、バッシュがその悪漢と戦う。この繰り返しでお話しが進んで行く。ここまでならよくある勧善懲悪もののストーリー、しかも少年漫画にありがちなバトルトーナメント方式の物語を、西部劇ふうのイメージで描きました……ということになるが。
 その後のお話しは「ノーマンズランド」という世界観そのものの「秘密」を解明する物語へと向かって行く。

 第3話で宿敵「ミリオンズ・ナイブズ」が登場。いきなり真打ちが出てきてしまったので、少年漫画ふうバトルトーナメント方式の物語が崩壊する。
 しかもこのナイブズはバッシュの双子の兄。創作の世界で「双子」設定は、主人公がそうなる可能性を秘めていた相手。主人公の「裏面」を象徴するキャラクターとなる。バッシュとナイブズはコインの裏と表のような関係性で、たまたまバッシュは人間を守る側に立ち、ナイブズは人間と敵対する側に立った……そういう関係性となる。

 この物語がどんなふうに終局へ向かって行くのかは、第9話まで視聴している現在ではまだ予想も付かない。そもそもバッシュとナイブズが何者なのかもよくわかっていない。
 現時点で思うことは、ずいぶんミクロな視点でお話しが進むな……ということ。前半はSF西部劇……という明るく大らかなイメージで始まるのだけど、その後すこしずつイメージが変わっていく。巨大な十字架型レーザー兵器を持って歩くパニッシャーの登場、砂漠に出没する巨大なワームは『デューン』が元ネタだ。次々とイメージが変遷していって、どうにもまとまりがない。この世界観のベースにあるのはなんだろうか? と疑問に感じる。
 たぶん、まず「SF西部劇」のイメージを先行して作っていって、それからその世界観の由来はなんだろうか……と肉付けをしていった作品ではないかと考えられるが……。
 お話しが俯瞰視点になることがなく、全体の見通しが悪い。8話と9話でようやくバッシュの過去が開示されたのだけど、その「ドラマ」は薄く感じられる。バッシュがいかにして生まれ、どのような経緯を経て第1話に繋がるのか……そのお話が開示されたけど、どういうわけか感動が薄い。どこか唐突感があって、バッシュが体験した物語を感情的なものとして感じづらい。第8話に入った時、「あれ? 前回どういう終わり方だっけ?」とふと止めて考えたくらいだ。どうにも見ている側の感情が連なりにくい。

 第9話でノーマンズランドが「地球」ではなく、地球を脱出した人々が別の惑星に入植し、その場所をノーマンズランドと呼んだ……という真実が明かさる。昆虫人間ザジ・ザ・ビーストが実はノーマンズランド先住民族だった。
 というお話しも開示されるのだけど、それを聞いても「なんだってー!」という驚きもない。ここに驚きがないのは、その「秘密」がバッシュやメリルにとってそれほど重要なできごとでもなかったからだ。
 自分の住んでいる場所がいったい「どこ」なのか? その疑問の投げかけもなく、「実は地球ではない」と言われても……。メリルやロベルトが自分の住んでいる惑星がどこなのかも知らない……というのは、設定的にどうかという気もするし。

 SFは最終的にはその世界観を探求する物語になっていく。どうしてそういう世界観になったのか、その構造を開示し、あるいはその構造を変化させることが最終目標になりがちだ。『トライガン』もそのセオリーに則って、はじまりこそは少年漫画ふうのフックだったが、そこから「世界の秘密」を解明する物語へと進んで行く。
 ただ、その進め方があまりにも急転直下。世界観の構築が悪いというわけでもないし、個々のシーンの作りが悪いわけではない。むしろ極上のクオリティ。ただそこに興味を惹きつけさせてくれない。ただ物語を進行している……というだけの状態に陥り、登場人物たちの「感情」を置き去りにしてしまっている。そこでノーマンズランドが実は地球ではない……という話をされても、「うん、それで?」で終わってしまっている。

 全体を貫くドラマ感に欠ける。エピソードを積み重ねていくごとに感じられる感動がない。登場人物たちに「変遷」がない。バッシュとその一行たちの関係性に変化はないし、ロベルトとメリルのコンビにしても、深まるものがない。そもそもメリルとロベルトは新聞記者……という設定だがそれらしい活動をしているところがぜんぜんなく、どこか薄っぺらい。メリルはどうやら「お嬢様」という設定らしいが、それは単に「設定」でしかなく、そこから生まれる物語も、変化もない。

 第9話まで視聴した時点で言えることは、『TRIGUN STAMPEDE』はほとんどの部分で一級品の作品。見て損は無い。尋ねられたら「良い作品だ」と答える。
 クオリティは一級品だけど、そのクオリティが物語という面で突き抜けることのない作品。そこが惜しい……というのが現時点での感想だ。


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