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映画感想 スターウォーズ8 最後のジェダイ

この記事はノートから書き起こされたものです。詳しい事情は→この8か月間に起きたこと。

 ジョージ・ルーカスのことを通ぶって「ジョージ」と呼んだらスターウォーズファンにきょとんとした顔をされる。あると思います。

 さてやってきた12月20日テレビ放送。やっとこの作品を見ることができる。テレビ放送版はもしかいしたら左右切られている感じかな? テレビ放送版だから編集であっちこっち切られているかも知れない。それは仕方ない。いつかブルーレイ版を見て補完しよう。
 さあ待ちに待ったテレビ放送……と思ったのだが、実はその直前に結末に関するネタバレを喰らいまして……。いや、この場合、この時期まで見てなかった方が悪い。おそらく、新スターウォーズの方向性からいって、そういう話になるんじゃないかという予想は立てていたけれども、まさか自分で確認する前にネタバレを喰らうとは思っていなかった。

 まあ、まあ気分を改めて視聴しましょう。
 ファーストインプレッション!
 映像が綺麗。人物の肌がソフトな感じになっているのに、映画的な重さのあるコントラストが出ている。撮り方にしてもクローズアップやスロー、音を抜いた畳みかけるようなカットの使い方など、今までのスターウォーズにない演出・編集がいくつも見られた。
 画面の作り方もよく例えばスノークおじさん(この人はバスローブみたいなのを着ているので、風呂上がりのおじさん)の登場シーンは背景が真っ赤で、赤い甲冑を身につけた親衛隊が並んでいる(少し黒澤明監督の『影武者』を連想させる)。この画が舞台美術みたいで格好いい。色遣いや影の入れ方もいい。
 後半、炭鉱のようなところで戦うが、真っ白な砂を少し剥ぐと、真っ赤な土が出てくる。塩……ということらしいが、この赤がハッとさせられるし、バトルシーンに入ってからの赤と白のコントラストが美しい。
 スターウォーズの世界では赤はダークサイドの色。白と赤がまじりあう映像はこのあたりのメタファーなのだろう。
 『スターウォーズ8』では善と悪が頻繁に入れ替わる構造を持っている。出てくる登場人物が善か悪か、敵か味方か、常に曖昧で、コロコロと入れ替わる。レイア姫ですら、そのどちらの側なのかわからなくなる瞬間がある。
 これは今回のストーリーが、善と悪、ライトとダークの端境にあることを意味しているのだろう。主人公であるレイもどちらに転ぶかわからない。その危うさを表現しているのだろう。

 ……と、見始めた最初は思っていたのだが。

 善と悪の振れ方が大きすぎて、登場人物たちがもはやサイコパスにしか見えなかった。
 そのサイコパスの一人がローズ。最初にフィンの姿を見て「あなたを尊敬しています!」と声をかけるが、その次の瞬間には脱走の疑いをかけスタンガンで気絶させる(その前に、数人の仲間をスタンガンで眠らせるというサイコパスっぷりを見せている)。その後、フィンの目的がわかると、ころっと態度を入れ替えてフィンと同行することになる。
 見ていた私が連想していたのは『ミザリー』だ。尊敬している人物を次の瞬間には疑いをかけて攻撃し、次の瞬間には行動を共にするという、極端から極端に振れすぎて恐かった。
 クライマックスは特攻しようとするフィンにタックル。「あなたを愛してるから……」となんかいい雰囲気で言うが、待て待て待て! その後ろで仲間が盛大に死んだぞ! という以前に、全速力で走っているマシンにタックルなんかしたら、その衝撃でフィンが死ぬ可能性すらあった。自分のその時の気分のためなら、仲間の犠牲もいとわないというサイコパスっぷり。
 すでに新作『エピソード9』が公開されてしまっているが、最新作に求めることは、とにかくもこのローズというサイコパスを登場させないでほしい。ジャージャーの方がはるかに良かった(ローズの姉は立派だったのになぁ)。

 もう一人のサイコパスは紫おばさんことホルド。負傷したレイアに変わってレジスタンスを指揮するのだが……この紫おばさんの問題は異常な秘密主義。重要な作戦を仲間にまったく伝えず、様々な疑念と不和の原因を作り出している。
 この紫おばさんが作戦を伝えなかったばかりに、間に惑星カントニカへ行き、さらに敵艦に潜入するという全く持って無駄なエピソードが生まれることになってしまった。すべて無駄、無意味とわかった時は本当に「時間を返せ!」だった。さらに言うと、秘密にする意味もない! 結局、謎の人物DJはその後どうなったかわからなかったし。
 まあ紫おばさんは『エピソード8』で散ってくれたからもういいや。
 少し気になったのが、ホルドが指揮官になった時、指令室内が女性だらけになったこと。レジスタンスもずいぶん女性が増えたものだな……となんとなく違和感。レジスタンスの仕事はきっと荒事が多いだろうに、あそこまで女性を大量増員した理由は? なんだったんだろう。

 登場人物はともかくとして、ストーリー展開そのものもサイコパスだった。なぜなら感情的な整合性が全く取れてない。
 またローズの話になるが、尊敬する人を気絶させた後、何の感情の動きもなくフィンと同行してしまう無節操さ。ホルドの秘密作戦が明らかになった後も驚きもなく、「あ、そうなの」くらいのリアクション。それぞれの人物に驚きと感動がまったく現れず、そのまま話が進行してしまう。この描き方が本当にサイコパス。間に入っているカジノ惑星やDJの存在も含めてサイコパスな映画になっている。

 たぶん意外性を出したかったのだろう、善と悪が慌ただしく反転するストーリーが展開しているが、しかしそこまで大きな驚きはない。なぜなら開示される“秘密”がことごとく小手先のものに終始してしまっているからだ。かつての名作『エピソード5』ではクライマックスで大きな秘密が開示される。「私がお前の父親だ」――これが驚きだったのは、この告白によって、これまでの物語の見方が変わってくるからだ。こういう仕掛けを持ってくることを「コペルニクス的転回」という。
 しかし『エピソード8』の展開はただ慌ただしく反転を繰り返しただけで、しかも繰り返しすぎたことで映画がまるごとサイコパスみたいになってしまっている。

 それに『エピソード8』はあまりにも大らかに作りすぎたことで、後のシリーズにもしこりを残す可能性がある。
 第1に悪名高きレイアの宇宙遊泳。いくらフォースが超常的な力を使えるといっても、あれはやりすぎ。普通に爆撃を受けて、かろうじてレイア姫だけ助かった、くらいならよかったのに……。
 もう一つはホルドの特攻。ホルドがクルーザーを動かしたときは「お、弁慶をやるのか」と思ったら、まさかのハイパースペース突入。その衝撃で敵艦隊が一瞬にして全滅。
 えええええ……。そんなのができるんだったら、白兵戦やめて無人艦ぶつけ合うだけでいいじゃないか。いっそデススターもハイパースペース突撃で撃破できたかもしれない。
 まだある。霊体のヨーダが神通力を使い、ジェダイが残した重要書類を燃やしてしまった。霊体があんなふうに力を行使できるなら、まだ成仏していない過去のジェダイを霊媒師に呼び出してもらい「ジェダイ大集合」してもらえばいいんじゃないか。「英霊召喚」みたいな感じで。
 問題だらけの『エピソード8』。しかしこれらの設定はもう映画の中で描かれてしまった。“公式”なものになってしまった。ここでうっかり生まれてしまったものをどう回収するつもりだろうか。

 一つだけお気に入りのところがある。それはカイロ・レンの下剋上だ。主であるスノークおじさんを殺し、その立場に自分が立ってしまった。田舎のヤンキーにしか見えないカイロ・レンが出世のチャンスを掴んだ瞬間だ。
 しかしその後が良くなく、連れて行った指揮官がポンコツで、やりとりが完全に漫才。帝国軍側は今あんなポンコツしかいないのかい?

 次に「ルーク問題」だ。もしも『エピソード8』に驚くような転換があるとしたら、その中心にいるのはルークであるはずだ。私は『エピソード8』を観る前に多くのことを考えて、ルークがどんな発言をするのか、何を明らかにするのか期待していた。
 考えていたのは、ルークが特異点となり周囲の者をダークサイドにしてしまう……ということにルーク自身が気づいて隠棲した……という話。というのも『スターウォーズ』の世界ではライトとダークは必ず釣り合うようにできている……そうだ。ある意味、アナキン=ダースベイダーという強力なダークサイドが出現したから、ルークという強いライトサイドが現れたとも言える。しかし銀河皇帝もダースベイダーも死に、強力なダークサイドを失った。最後に残ったジェダイであるルークは強力なライトサイドだ。そのライドサイドの権化ともいうべきルークがジェダイを育てようとすると、まるごとダークサイドに堕ちてしまう。その性質にルーク自身で気づいて隠棲した……これが私の推測だった。
 しかし、その考え方にも「穴」はある。それは後にするとして……。

 さぁて答え合わせだ。
 ルークが隠棲した理由は……?

 弟子がグレて不良グループに入ってしまったことにショックを受け、辺境の惑星に引きこもった。これが正解だった。
 えええええ……。
 シナリオの作法として「主人公が○○した」というストーリーよりも「主人公が○○しなければならなかった」というストーリーにした方が強さが出る。「主人公が○○した」というストーリーにすると「なぜ?」が抜け落ちやすくなる。ただの「気分の話」になりやすい。「じゃあ、こうすればいいじゃん。なんでそうしなかったの?」という突っ込みが入る。
 一方、「主人公が○○しなければならなかった」というストーリーは主人公は何かしらから追い詰められている。追い詰められて、仕方なくの選択だ。この形であると、読んでいるほうも「じゃあ仕方ない」と納得し、登場人物の立場を理解しやすい。さらに次の展開として「主人公はどうするのか?」という行動を起こす物語になるはずなので、ワクワクして読み進めたくなる。エンターテインメント作品を作る場合、「主人公が○○しなければならなかった」という形にした方がいい。

 ところがルークが置かれている状況というのは「主人公が○○した」の方だ。だってルークがあんな辺鄙な場所に隠れている意味がない。
 考えるポイントは2つある。
 1つは宇宙図にも記載のない場所にわざわざ隠れなければならない理由は? もう1つは妹がファーストオーダーとの戦いで大ピンチに陥っていることを、おそらくルークは知っているはずで、それでも水惑星オクニトーに隠れていた。
 要するにルークは徹底的に現実に起きている問題を投げ出して、隠れようという意思があったわけだ。巧妙に隠れようとする一方で、近しい人たちがうまく探索すれば発見できるようにヒントはあちこちに残しておいて。ルーク自体がマクガフィンになっていた。これはある意味で、「探してくれ」というメッセージにも受け止められる。
 すぐに思いつく理由は「何者かに狙われていて、隠れていた」。しかしこの理由ではない。なぜならルークは最強のジェダイだ。むしろ進んで戦いに行くはずだ。難しい状況であっても、友人のハン・ソロと連絡を取り合って、好機を待つはずだ。ルークの性格だとそうするはずだ。
 それで私が考えていたのは、ルーク自身が特異点となってフォースを持つ者をことごとくダークサイトに変異させてしまう……というストーリーだ。が、しかしこれにも穴がある。だったら解決法は簡単だ。ルークは自殺すればいい。
 すると考えられるのは恐ろしい悪役の存在。恐ろしい敵が出現して、仕方なくルークは隠れなければならなかった。そのヴィランの正体とは――実はルーク自身であった!!
 でもこれらのアイデアははっきり弱い。『エピソード5』で見せたコペルニクス的転回には遠く及ばない。いっそルーク自身がダークサイドに堕ちていて、「カイロ・レンをダークサイドに引き込んだのは私だ!」くらいのインパクトが欲しい。その後のシリーズの色彩を変えるくらいのショックが必要だが、私には思いつかない。
 もう一度最初から考えてみよう。ルークは隠れていた。しかし実は隠れている場所を探すためのヒントを残していた。それはつまり「探してくれ」というサインだ。探してきてほしい理由があるとしたら、何かしら託したいもの、伝えたいことがあっての行動のはずだ。自分自身はそこから動くことができず、探してもらうことを期待していた。そこには相応の理由があるはずだ。さあその答えはなんだ?
 ……いろいろ考えていたのだが、結局のところ、ルークが姿を消したのは弟子が非行に走ってしまい、それで拗ねて引きこもっただけという話だった。なんら意外性もなければ、納得感もない。シリーズの真ん中にエピソードとしてなんらショックもない。ただの途中経過のお話だった。

 さて、『エピソード8』ではある人物とのお別れがあるのだが……ここがネタバレを喰らったところ。むしゃくしゃしたから、私は誰のことか明かさずこのシーンについて話をするが……。
 でも、おそらくあの人物はお亡くなりになるのだろう……とは思っていた。というのも、今回の新シリーズは過去シリーズを脱して、新しい局面、新しい世代へ移すこと目的であるから。タイミング的に『エピソード8』はあの人物が死ぬんだろうと思っていた。
 で、その実際のシーンを見て……。えええええ…………。そんな死に方? いや待て。待ってくれ。いくら何でもその死に方は……ダサい。
 あの人物が死んだことよりも、死に方にショックだった。そりゃ俳優も怒るわ。

 新シリーズを2本目まで視聴して、現在3本目が公開中であるけれども――。
 所感。
 『スターウォーズ』シリーズは6作で終わり、ということだったが、ディズニーが権利を買収。一転して新シリーズが作られることになった。この時点でディズニーは「絶対儲かるコンテンツ」を手にしたはずだった。
 かつての『スターウォーズ』は新しい技術が導入される転換点の時期に制作されてきた。『エピソード4』は特撮の可能性を大幅にアップデートさせ、特撮と物語が同時進行で楽しめるエンターテインメントとして描いてみせた。この新しい手法・視点は映画娯楽の考え方と作り方・楽しみ方を一挙に変えたものだった。
 エピソード0的な立ち位置である『エピソード1~3』はやはりデジタル技術の導入。CGキャラクターが俳優と一緒に演技をし、舞台は全てCGで作った架空の場所。すでにCGは映画で随分使われている頃だったが、『スターウォーズ』のCGはそれよりはるかに大胆で、まさに技術の見本市だった。
 かつての『スターウォーズ』は「新しい技術」と「驚きの映像」が同じ位置にあった。テクノロジーの発展がいかに素晴らしく、かつより映画を楽しくするか。『スターウォーズ』はそれを語るために作られたような作品だった。
 ところが今回の新スターウォーズはそういった技術的な提唱は何もない。商業的理由だけで制作された作品だ。例えば冒頭は宇宙の場面から始まる。かつての『スターウォーズ』ではあの冒頭のシーンでも驚くような仕掛けがあるからあの場面だったのだが、新スターウォーズでは「それは約束事だから」で描かれている。かつて描かれたようなシーンやセリフも「約束事だから」シリーズを規定する文法だから採用されたに過ぎなかった。『スターウォーズ』は約束事だらけの古いものになり、新鮮な驚きのない作品になった。

 「何も新しくないただの続編」でしかない『スターウォーズ』はもはや特別なものではない。私個人的にとってではなく、映画史の立ち位置として、特に重要な作品ではなくなった。ただ儲けたいディズニーのフランチャイズ作品というだけだ。
 「絶対儲かるはず」だった最強コンテンツ・スターウォーズは今はどうなっているのだろう。興行収入は一作ごとに落ちている。批評家の声もあまり良くない。特に『スターウォーズ』本編だけではなく、スピンオフの連打にお客さんはもうお腹一杯。スピンオフの1つ『ハン・ソロ』は全米公開3日の興行収入は8330万ドル。ディズニーの予想の半分くらいだった。これで『ハン・ソロ』以降に予定していたスピンオフ計画が全てキャンセルになってしまった。
 絶対儲かるコンテンツのはずが、本編である映画が次々と赤字を出すようになり、ひょっとしてそろそろ重荷になりかけているのでは? といぶかしく思う頃だ。あれだけ伝説的に光り輝いていた『スターウォーズ』もすっかり擦れすぎて、あの神秘は今やうすらぼんやりしたものになりかけている。

 似たような現象を、ここ日本でも見たことがある。『踊る大捜査線』シリーズだ。『踊る大捜査線』は劇場版第2作目までは確かに面白かったし盛り上がっていたが、その後に始まったいまいちなスピンオフの大量投下。いまいちなTVスペシャル版。いまいちパッとしない新キャラの増員。あれだけ楽しかった『踊る大捜査線』は一気に擦られまくって、最後はいまいち薄らぼんやりした劇場映画で終わってしまった。私は後半劇場映画2作のストーリーはまったく憶えていない。
 「絶対儲かるコンテンツ」でさらに儲けてやるぞ! と欲をかいて、金玉袋の皺を目一杯のばした結果がこれだ。ただコンテンツを駄目にしただけだった。
(フジテレビの連中が反省したのかというと……まあテレビ業界の人間なんざ頭のなか永久にバブル期だからお察し)
 新スターウォーズが置かれている状況はあの『踊る大捜査線』が直面した状況とよく似ている。『踊る大捜査線』よりもはるかによく作られているが、無計画に生産されるスピンオフ。オリジナルのスピリットを失った、ただの続編でしかない本家シリーズ。擦れすぎてオリジナルが持っていた輝きは確実に濁り始めている。この濁りを一気に吹き消すような“新しさ”が新シリーズにあればいいのだが、やっていることは旧シリーズで約束事になってしまったことをただ繰り返すだけ。これじゃ濁る一方だ。
 ディズニーはすでに『パイレーツ・オブ・カリビアン』というコンテンツを枯らしている(好きなシリーズだったのに……)。『スターウォーズ』も同じようにしてほしくない。

 救いはある。新キャラクターであるレイ、ポー、フィンの3人は非常に魅力的だ。新しいシリーズを引っ張っていける顔だ。BB-8も可愛い。BB-8が新シリーズの中で一番好きだ。新シリーズでも愛を感じる場面は一杯ある。完全に駄目になったわけではない。

 『エピソード9』の後もさらなる新シリーズが制作される予定で、2020年公開と聞いているが……。(※2019年12月頃に書いたものです)
 まずキャンセルしてほしい。永久にキャンセルするのではなく、もう少し時間を置くべきだ。新シリーズ7・8・9・が終わってすぐに次、はいくら何でも早すぎ。それに『スターウォーズ』の核である技術的刷新をそんなに早く示せるのかという疑念もある。とにかくも時間を置いて、「一区切りついた」ことを人々にちゃんと示し、それから次を制作するべきだ。

 と、『エピソード8』についていろいろ書いたけれども、私はこの作品、そこまで嫌いではない。最初に書いたように映像は確かに美しい。それに出てくるメカがいい。デザイナーチームはいい仕事をしている。冒頭に出てきた爆撃機……あまりにもトロくてその半ばで次々に落とされていく姿になぜか愛おしさを感じる。後半、石惑星クレイトで出てきた謎のマシンのポンコツっぷり愛おしい。シリーズでおなじみのハイパースペースを物語の枠組みに入れるアイデアもいい(でもやるにしても、何かの「番外編」で良かったかな)。
 ただ出てくるキャラクターやストーリーがサイコパスなのだ。これはプロデューサーが気づいて「待て」をかけないと駄目。映画の大枠自体がまるっきり駄目というわけではないから、一旦「待て」をかけて、もう一度練り直したら絶対に良くなったはずだ。冷静に考えれば「これはおかしい」と気付くシーンばかりだもの。制作をストップさせたら全スタッフが待機状態になり、それで1億円ほど飛ぶかもしれないが、それでもプロデューサーは「待て」をかける勇気を持たねばならない。そうした方が、むしろ惨事を防げるからだ。

 と『エピソード8』の感想はここまでだが……。とりあえず『エピソード9』はできる限り早く見るようにしよう。次なるネタバレを喰らう前に。
 ディズニーによるフランチャイズ化でフォースの輝きが失われませんように。
 あといつか作られるかもしれない『特別編』ではローズがCGキャラになっていますように。

 追記。ネタバレ、喰らいました。『エピソード9』で明かされるレイの正体について、ネタバレを喰らいました。あっちゃー。

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