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4月13日 アメノウズメの裸踊りにまつわる話 日本人は「性」をどう考えたか……の雑談

 いま読んでいる本の中でヘンなものを見付けたので、軽い話のネタに。

 江戸時代に出版された『古事記』の注釈書である『古事記伝』には、仏教説話集である『沙石集(しゃせきしゅう)』が紹介されている。
 『沙石集』には和泉式部という女性について書かれている。清少納言や紫式部と同じ時代の女性だから、平安時代のお話しだ。朝廷に使えていた女童だった……というからこんな感じだ↓

 冗談はさておき、朝廷に仕え、大人になってからは貴族である橘道貞と結婚しているから、この時代の貴族階級にいた人だ。
 だいたいこんな感じだ↓

 和泉式部は様々な恋愛遍歴を経て、平井保昌と結婚することとなる。しかし平井保昌との結婚というのが1013年(長和2年)くらいの頃……和泉式部も35歳という年齢だ。
 結婚したもののそこそこの年齢になってしまったから、夫が自分の体を求めてくれない。セックスレスで悩んだそこで和泉式部は、京都の貴船(きぶね)神社を訪ねる。

 そこで年老いた巫女が出てきて、赤い御幣をいくつも立てて儀式を経た後、
「ツヅミヲウチ、マエヲカキアゲテ、タタキテ三度メグリテ、コレ体ニセサセ給ヘ」
 ……と仰ったそうな。
 わからんよね。
 鼓を打ちながら、前……つまり袴をかき上げて、当時はパンツなんて履いてなかったからおまむこを剥き出しにして、そのおまむこをポンポンと叩いて三度グルグルと回りなさい……。
 と、巫女は仰ったんだよね。
 その話を聞いて、和泉式部は

 ちはやぶる神の見る目も恥しや
   身を思ふとて身をや捨つべき

 と歌ったそうな。意味は誰も見てなくてもそこは神社、神の御前。そんな恥ずかしいことはできぬ……。意訳すると「そんな恥ずかしいことできるか!」。
 さすが平安時代の人。こんなしょーもないことまで歌にしていたのか。

現代人が考えるアメノウズメ。時代考証の意識はないが、まあこんなもんだ。

 話はここで終わりではない。
 このお話が紹介された『古事記伝』を書いたのは、江戸時代の国文学者・本居宣長。本居宣長先生によると、この「三度回っておまむこをポンポン」と叩くこの舞は、『古事記』の中で描かれたアメノウズメが天岩戸の前で踊った舞の名残であるという。実際にはオッパイも剥き出しにして、そのうえで下半身を剥き出しにして、神々の前でおまむこをポンポンと叩く……という舞をしていたそうな。
 ホンマかいな?
 しかもこの舞は「夫を発情させるためのエロダンス」ではなく、あくまでも「おまじない」……つまり「呪術」として伝わっていたそうだ。
 それが平安時代にもなると「恥ずかしい」という感じだったそうだけど。

 現代……いや明治以降の日本は「猥褻罪」なるものが作られて、性にまつわる話はタブーになった。「猥褻罪」が作られて、日本人ははじめて「猥褻」という考え方や意識が生まれた(すぐに「猥褻」の思想が染みついたわけではないけど)。でも本来の「日本的」な考え方はもっと違ったんじゃないか。
 例えば「春画」は現代人にはただの「エロ絵」という認識だけど、実際には「縁起物」でもあった。正月になると女将が下働きしている男達に春画を配っていたし、物を長期保存したいときは「お守り」として春画を入れていた。
 性には独特の「力」がある……。それはまさしく「生命」にまつわるエネルギーだった。
 アフリカの未開民族……昔読んだ本の知識なので具体的な部族名は忘れたけど、その部族の中では男性器、そして「勃起」とは男性的な強さの象徴だった。しかし女性器の中へ入れると、それが衰えて出てきてしまう。女性が男性の力を吸ったんだ……とこう考えた。
 そこで女性器が忌まわしいもの、と考えられ、この考え方が極端なところまで進むと、女性器を針と糸で縫い付けてしまったり、女性器をカミソリで落としたり……おぞましい話だがこういう風習はわりと近代までやっていた。
 女性器が男性器のエネルギーを吸う……この話に似たところではエスキモーの「歯の付いたヴァギナ」の伝承があったりするし、ヨーロッパ社会ではサキュバスは男達に恐れられた悪魔だった。

 ところが日本ではこういう「恐れ」がない。西の文化は「性を忌まわしきもの」という認識だったが、極東の日本までやってくると、性はもっと明るいもの、「晴」の側のものだった。 (この考え方がアジア一帯の思想なのかどうかはわからない)
 和泉式部が巫女に「おまむこをポンポンと叩きなさい」というおまじないを教わるのだが、現代人には不思議に思うところだが、性器というのは呪術の根源だった。

 そんな話を聞いていると、ふと地元の山に登ったことを思い出す。私の地元には古い信仰が残される山があるのだが、そこでは「姫石」と「男石」と呼ばれるものがあった。見てみると「姫石」と呼ばれるものは普通に大きな石だった。一方、「男石」と呼ばれるものは普段は境内の中にしまわれていて見ることができないのだが、「男根」だという。その男根の形に彫ったもの、それ自体が「神様」なのだという。
 はじめは不思議に思ったが、男根と聞いてピンと来た。つまりこの自然の山そのものが巨大な神とみなして、御神体となった姫石と男神で性交をイメージさせ、自然の繁栄を祈願したのだ。
(姫石はもちろん「女性器」がイメージされている)
 ……といっても文字文献も残っておらず、祭典もなにもかもなくなってしまっている地域の話。ただただ「物証」だけが現代まで取り残されている状態なので、この辺りの推測がどこまで正しいかわからない(でもおそらくは、地元の歴史は『古事記』と同じくらい古いと推測している)。

 ヨーロッパへ行くと、四つ辻に大きな十字架を立てていたりする。しかしあれはもともとは「男根」だったそうな。キリスト教が広まる最中、あちこちの四つ辻におっ立てていた男根に十字架を被せたり、入れ替えたりした……ということらしい。その男根をあちこちに置く文化はギリシャ由来の信仰。かつてのギリシャはわりと日本に似たところがあったのかも知れない)

 男根もヴァギナも魔術の根源的な物。だからこそ性交というのは、現代ではただの「猥褻な行為」だけど、実際にはもう少し「神聖」な行為だったのではないか。
 そんなふうに考えると、各地に残されている男根を神輿に乗せるお祭りの見方が変わってくる。現代的な「猥褻」という認識で見るのではなく、「晴」の儀式として、「魔術」の根源として勃起した男根に手を合わせるべきかも知れない。
 とはいえ、だからといって日常的にティンティンやおまむこをポロリさせてはならない。神聖であるといってもあくまでも「非日常」のもの。非日常だから神聖である。日常の世界では隠すべきなのである。

 明治時代に「猥褻罪」なるものが生まれて、日本人はすぐに「猥褻」の思想を受け入れたわけではないが、現代に向けてじわじわと、確実に「猥褻」の思想が染みついていった。「猥褻」の思想が広まってくると、性は「猥褻」という視点でしか考えられなくなる。かつての人が性をどのように考えたかわからなくなってくる。
 それに「猥褻」の思想はよくよく考えれば西洋の思想。西洋の思想を深掘りして行くと、ずっと男性側の視点で「女性への恐れ」「自分が男性であることの恐れ」に捕らわれた文化だった。男性的なアイデンティティの有り様に悩み続けるのが西洋思想……いやキリスト教的思想。
 一方、男も女もあっけらかんとしているのが日本。性はもっともっとオープンだったし、そこに神聖さを見ていた。現代のエロ漫画を見ても、西洋ではあれだけ恐れられたサキュバスなんてただの「エロ姉さん」。いまエロ漫画の世界でサキュバスのキャラクターは数千人くらいはいると思われるが、女性が自発的に性を求めても、男性が怯えて女性を弾圧したりしない(西洋は女性が「自発的に主張する」ということを恐れている。特に性にまつわることは。だからこそ西洋文化の中には女性差別がずっと残っていた)。日本人はスルッと受け入れている。むしろこういう考え方のほうが本来の日本的なものであるし、「猥褻」の思想に捕らわれた今の時代からすると進歩的な考えかも知れない。
 「日本は西洋化をしなければならぬ!」と思考の変革を促すために「猥褻罪」なるものが生まれて、私たちはすっかりその「猥褻罪」を基本に物事を考えるようになった。今もって明治期の「西洋コンプレックスの呪い」から抜け出すことができない。でも私たちは日本人だ。西洋人ではない。法律で覆い隠そうとしても「日本人的なるもの」の考え方はどこかでフツフツと噴きあがろうとする。この日本人的なる物こそ、こういう性に神聖さを見出す思想だったかも知れぬ。

 ……と、アメノウズメの裸踊りに関する話を読んでいて、そんなふうに思ったわけさ。

 天照大神は別にアメノウズメがエロダンスを踊っていて、大騒ぎしているのが気になって出てきたのではなく、呪術的なまじないをやっているから引っ張り出されてきたんだ。性に呪術の思想が隠されていた……そこから真面目に物事を考えても良かろう。


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