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詩的な表現をしてみたい人へ向けた、詩の書き方講座


始めに

今日は皆さんに偉そうに講釈を垂れて、詩の書き方を教えようと思っています。
文章を書いていてちょっとした詩的表現をしてみたい、そもそも詩を書いてみたい、短歌をやってみたい、作詞がしたいなどといった人には役立つ内容だと思います。

詩の定義

詩的表現が何なのかについては人によって様々な意見があると思います。以下では、シクロフスキーの異化理論に基づいて、詩的であるとはどういうことなのかについて解説します。

異化理論の最も重要な主張は、日常言語と詩を分けるものは異常性である、というものです。これは、日常言語では平易な言葉遣いが求められ、詩的表現には異常な言葉遣いが求められる、ということです。例えば『汚れちまつた悲しみに』という中原中也の有名な詩がありますが、日常言語で『悲しみ』が『汚れる』という言葉遣いをすることはありません。友達と「俺さ〜最近、悲しみが汚れちゃったんだよね〜」「へぇ〜」みたいな会話をすることはまずないと思います。しかし、このような異常性がむしろ詩的表現には必要である、というのが異化理論の主張です。(※異化理論は元々、ザーミウという、意味の理解を前提としない詩を理論付けるために作られたものなので、異常性という、意味とは関係ない形式的な概念を詩の定義に用いています。例えば現代のポピュラー音楽(特にボカロ曲)などでは、意味の理解を前提としないような歌詞が多くなってきている気がします。)

では、異常であれば何でも良いのかというと、そうではないのが詩の難しいところです。仮に異常な言葉遣い全てを詩だと定義したとしても、良い詩というのはその中のほんの一握りです。『汚れちまつた悲しみに』がなぜ凄いのかというと、それは、多くの人が心の奥底で感じている、悲しみが汚れる≒悲しいという感情さえもくたびれる、あるいは無垢なものでなくなる、という感覚を初めて端的に言語化し、人々の前に提示したからだと思います。このように、人が薄っすらと感じてはいるけれど言語化できていなかったものを掬い上げて言語化する詩は優れていると言えるでしょう。つまりは共感の要素です。

詩的表現のテクニック一覧

ここからは、自分の詩作品を引用しながら表現の解説をしていきます。一応権威的なことを書いておくと、私は詩で二回受賞し、ユリイカという全国誌に詩が掲載されたことがあります。

引用は『』で示すことにします。

何となく語感や雰囲気で書く

詩において、何か良く分からないけど語感や雰囲気が良いというのはとても重要な要素です。先述したように、詩において意味が理解できることは必ずしも必要ではありません。


それは、落下してゆく冷たいピアノ
そのとき、傷が、寂しさが
燃え上がる。
わたしは、
透明な枯葉を踏んでどこまでも歩く

『落下していく冷たいピアノ』『透明な枯葉』に特に意味はないです。しかし、雰囲気が良く、詩の世界観にマッチしたので入れました。

コロケーションを無視する

『傷が、寂しさが、燃え上がる。』は、心に受けた傷や寂しさが燃えるような痛みを伴って切実に感じられる、という意味です。これには『汚れちまつた悲しみに』と同様の、共感の要素もあります。
このような表現を作る方法として、コロケーションをあえて無視するというテクニックがあります。コロケーションとは、簡単に言うと言葉と言葉の自然な結びつきのことです。これは例えば、「屁理屈を捏ねる」とは言うけれど「屁理屈を作る」とはあまり言わない、みたいなことです。後者は日本語においてはコロケーションが不自然なので、あまり使われないというわけです。
ここで言うようなコロケーションは各言語にそれぞれ存在します。例えば日本語では濃いコーヒーと言うところを、英語ではstrong coffee(強いコーヒー)と言います。なのでもしかしたら、どこかの言語では、寂しさを切実に感じることを、寂しさが燃え上がる、と表現したりするかもしれません。あえてコロケーションを無視することで表現が詩的になったりします。

矛盾していたり間違っていたり、ありえない表現をあえてする


カーテンが大きく膨らんだ
風を全身で抱いて死ぬみたいに

カーテンは風に吹かれて死ぬものではありません。しかしここでは、カーテンが死ぬという表現を使い、切ない雰囲気を作りました。また、生き物ではないものを生き物のように喩えるというテクニック(私はこれを擬人法の拡張と捉えて擬生物法と呼んでいます。)を使っています。

情報を圧縮する


君はまだ隣で
眠っている
朝日の鱗粉に
まみれて

「空気中のちりや埃が朝日に反射して輝いている中で、君はまだ眠っている」という意味です。「空気中のちりや埃が朝日に反射して輝いている中で」という長い情報を無理矢理短くして「朝日の鱗粉にまみれて」と表現することで、読者が情景の美しさだけに集中できるようにしています。情報を圧縮すると、読者に着目して欲しい部分を絞ることができます。また、単純に文章が短くなるので便利です。歌詞や短歌といった、モーラ数や字数が限られる表現では特に重要です。

ありえないぐらい誇張する


闇のなか
全ての病気が怖い
全ての薬を飲みたい

ラブホって病気と死の香りがする
窓には板が打ち付けてある
きっともう逃げられない

人間の病や死や現実への恐怖を、『全ての薬を飲みたい』と誇張しています。

一見関係ない概念を結びつける

性と死という一見関係ないけれど、誰しもが何となく感じている関係性を言語化して、『ラブホって病気と死の香りがする』と表現しています。共感の要素も含まれます。

現実の解像度を上げ、普通は着目しない点に着目する

『くらやみをよくみようとしてあかりをつけたら、くらやみはきえてしまったの』

”暗闇”そのものをよく見ようとして明かりを点けたら(通常ものをよく見ようとするとき、人は明かりを点ける)、暗闇が消えてしまった、という意味です。明かりを点けたら明るくなるのは自明なことですが、普段そこに着目することはありません。この表現では、あえてそこに着目してみました。


わたしには、知らないことだらけ
好きな人に触れることが、なぜ犯罪なのか

例えば学校や職場などで、ほとんど話したこともない片思いの相手の身体に触れたら、犯罪になる可能性が高いです。これは自明なことですが、あえてそこに着目してみました。また同時に、この主体の好きな相手が、ほとんど話したこともない片思いの相手であるという情報を圧縮して伝えています。これには先述の「情報を圧縮する」というテクニックも使われています。

比喩を一周させる


分かりあいたいと思ったその時の
きらきら白色の光が
眩しすぎて目を閉じてしまうから
分かりあえないままだった、ずっと

この歌詞は、分かりあいというテーマから比喩を連続させて、一周して元の分かりあいというテーマに戻っています。詳しく解説すると、分かりあいたいという気持ち→素晴らしいもの、明るいもの→光→眩しい→目を閉じる(≒相手のことから目を逸らす、みたいなニュアンス)→分かりあえない、といった具合に(引用した歌詞の上では一部を省略していますが)比喩を連続させて戻っています。


わたしの血はたぶん音楽だから、切りつけてそれを流す
そうしてできた血溜りには、逆さまの世界が映っている
その逆さまの世界のなかで、叫んでいる人がいる
燃えている街がある
飛ぶ鳥がいる
昼の港がある
船が出ていく
いくな!
わたしを置いて、どこにも

目を覚ますと窓がある
カーテンが、光が、揺れている
血溜まりの向こうから歌声がする
「この音楽を聴いてくれた人全員を愛します♪」
聞いたことのある声だ
「もう何も教えてあげられないけれど、全て忘れさせてあげます♪」
ああ、これって

応用編です。めちゃくちゃ長いですが、血と音楽から始まって血と音楽に戻ってきます。

主体の動作ではないことを主体の動作であるように書く


また影に顔隠して
笑っているの?泣いているの?

影で顔が隠れることは主体の動作ではないですが、あえて主体がそうしているように表現しています。そうすることで顔が影に隠れているという視覚的な情景と、主体が表情を隠そうとしていることの両方を短い文章で伝えています。情報を圧縮したいときに使えるテクニックです。

視覚的に訴える


逆さまの夕空の向こうで
紙飛行機の死骸がはらはら降る

ビリビリに裂かれたたくさんの紙飛行機が夕焼け空から落ちてくるという情景を表現しています。視覚的に訴える情景はときに感情を強く動かします。

あえて明示しない

『強そうな彼も大事に持っている寂しいときに光らせる板』

短歌作品です。人はスマホを大事に持っていて、寂しいときにそれを使う、という意味です。あえてスマホという言葉を使わず、読者に一瞬考えさせることで記憶に残ることを意図しています。

絶対にないような場面をあえて想定する

『唐突に彼女がシーと言ったので海か静かか一瞬迷う』

短歌作品です。普通日本語で「シー」と言ったら「静かに」の意味であり、英語の「sea」と迷うことはありませんが、あえてそういう場面を想定して表現することで、ユーモラスな印象を狙っています。

偽の因果関係をでっち上げる

『終わったらゴミ箱に行く精液の霊が祟って腰痛になる』

短歌作品です。セックスで腰を使いすぎて腰痛になるという本来の因果関係ではなく、ゴミ箱に捨てられた精液の霊が祟って腰痛になるという偽の因果関係を作り、ユーモラスな印象を狙っています。

屁理屈を捏ねる

『初めから墓だったのね人々は彼らの骨をその身に埋めて』

この短歌では、骨が埋まっている場所=墓、かつ人の身体の中には骨が埋まっている、→人々は墓である、という屁理屈を捏ねています。屁理屈を捏ねることは、ときに新しい視点の提示になりえます。言ってしまえば詩そのものが屁理屈チキンレースみたいなものです。

唐突に真逆の印象のものを出してびっくりさせる

『雨の中ややブランコの揺れていて、優しくて優しくて、鉄鎖』

この短歌では、優しい情景から唐突に鉄の鎖に視点が切り替わります。びっくりさせたいときにおすすめですが、字面でのインパクトが強いので、歌詞などには使いにくかもしれません。

終わりに

以上、私が詩で使っているテクニック一覧でした。実はまだ色々あるのですが、使う場面が多いものだけをここに書きました。
最後に、ここまで読んでくれてありがとうございました。

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