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謎々『ユリシーズ』その11 遠くの方で鈴が鳴る。――「第11挿話 セイレーン」を読む

Σειρήν


謎々『ユリシーズ』その11

 

遠くの方で鈴が鳴る。

――「第11挿話 セイレーン」を読む


【凡例】

・『ユリシーズ』からの引用は集英社文庫版による。鼎訳・巻数、ページ数で示す。単行本からの引用は、鼎訳・単行本・巻数、ページ数で、柳瀬尚紀訳からの引用は、柳瀬訳・ページ数で示す。また、英語原文はwebサイト『Project Gutenberg(プロジェクト・グーテンベルク)』(Ulysses by James Joyce - Free Ebook (gutenberg.org))によった。

・『新英和中辞典』(研究社・電子版)はwebサイト「weblio」からの引用であり、以下「新英和」と略記し、最終更新日、閲覧日については省略する。一般的な訳語についての語註は「weblio」の見出しから取り、「weblio」と表記する。

・綿貫陽、宮川幸久、須貝猛敏、高松尚弘、マーク・ピーターセン『徹底例解ロイヤル英文法』改定新版・2000年・旺文社からの引用は「ロイヤル」と略記する。

・引用文の傍線(下線)、傍点の類いは何の断りもない場合は引用者によるものである。

 

1.    訳者たちの解説によれば「めしいの少年」が「音叉を取りに来る」(p.186)とありますが、「少年」だったのでしょうか?

2.   バーの女給として二人の女性が登場しますが、この場合の女給とは、日本で言えばキャバレーなどのホステスのような職業なのでしょうか? また、その一人のリディア嬢はその髪の色から「Bronze」/「ブロンズ」(p.187-)と呼ばれていますが、ブロンド(blonde)とは違うのでしょうか? 恐らく、ブロンドが金髪だとすると、ブロンズは濃い焦げ茶色だと思うのですか、そうすると相方のケネディ嬢のゴールドはブロンドではないのか、とも思うのですが、いかがでしょうか? あるいは「話者」はここで、この二人を物質的な何か、金属の名前で呼びたかった何かがあるのでしょうか?

3.   二人の女給の髪型の「小さな(ピナ)塔(クル)の形をした髪」(p.187)とは一体どんな髪型でしょうか?

4.   「Throstle」/「歌つぐみ」(p.188)とは何ですか?

5.   「miss Douce’s wet lips」/「ミス・ドゥースの濡れた唇」(p.192)とありますが、彼女の唇は何故濡れているのでしょうか? ここは単に欲情していると取ってよいのですか?

6.   「He’s killed looking back.」/「彼、振り向いて悩殺されたわよ。」(p.192)とは?

7.   女給たちの対話の合間に差し挟まれる傍白のような言葉が何か所かあると思います。「悲しい気持ちで。」(p.192)、「男。」(p.193)、「ブルーム。」(p.194)、「しかしブルームは?」(p.196)などですが、小説世界を全て熟知している「作者」の視点とは異なり、登場人物たちと同じ地平にいるかと思えば、自由自在にこの世界を移動する視点です。或る意味では無責任に合いの手をいれてくる存在ですが、言うなれば「幽霊」のような存在がこの世界とは無関係に呟く「浮遊する視点」と言ってもいいかも知れません。このような視点が意味するものとは一体何でしょうか?

8.   ミス・ケネディの悲しい気持ち 男に騙されたのですか?(p.192)

9.   「ラウール」(p.193)とは何ですか?

10.         「ブルーなんとか~ラウールのために。」の「語り手」は誰ですか?

11.         「—What is it? loud boots*[1] unmannerly asked.」/「あれは何だい? と声の大きな靴磨きボーイは無遠慮にたずねた。」(p.193)の「it」/「あれ」とは何ですか?

12.         「A haughty*[2] bronze replied:」/「傲慢なブロンズが答えた。」(鼎訳p.193)/「傲慢な青銅(ブロンズ)が応じた。」(柳瀬訳p.438)とありますが、「生意気な態度」を取った靴磨きの少年に対するブロンズの口の利き方が「横柄」ということでしょうか? しかし、「ミセス・ド・マーシーに言いつけるわよ。」ぐらいで「傲慢」というのはいささか語感がズレる気がします。それとも、何かミス・ドゥースの心根の奥に傲慢さが潜んでいるということでしょうか?

13.         「They pawed their blouses, both of black satin, two and nine a yard, waiting for their teas to draw, and two and seven.」/「彼女らは自分のブラウスをいじり、どちらも黒の繻子で、一方は一ヤード*[3]二シリング*[4]九ペンス、お茶が出るのを待った、そしてもう一方は二シリング七ペンス。」(p.194)とありますが、「一ヤード二シリング九ペンス」とか「二シリング七ペンス」というのは、彼女たちが着ているブラウスの繻子の生地の単位当たりの値段のことでしょうか? 仮にそうだとするとこれは高価なのでしょうか? それとも安物を着ているということでしょうか?

14.         「—Don’t let me think of him or I’ll expire*[5]. The hideous*[6] old wretch*[7]!」/「――あの男のことを思い出させないで。あたし、死んでもいやよ。いやらしいあんな老いぼれ!」(p.196)とありますが、一体ミス・ケネディに何があったのでしょうか? ボイドの店の爺さんに結婚でも迫られたのでしょうか?

15.         「She sipped*[8] distastefully her brew*[9], hot tea, a sip, sipped, sweet tea.」/「彼女は自分の入れたお茶、熱いお茶をまずそうにすすった。一すすり、おいしいお茶をすすった。」(p.196)とありますが、「まずい」のか「おいしい」のか、どっちなんだい? と言いたいところですが、本来「おいしい」お茶を「ボイドの爺さん」のことを思い出させられたために、照れ隠し? のためか、あるいは本当に不快だったためかで、結果的に「まずそうに」すすっているということでしょうか?

16.         「Again Kennygiggles*[10], stooping*[11](……)」/「もういちどケニーはくすくす、前かがみになって、(下略)」(鼎p.198)/「またしてもケニィくっくっ笑いが、前のめりになり、(下略)」(柳瀬p.441)の「ケニー/ケニィ」とは誰ですか? ケネディー嬢のことですか?

17.         「—O saints above! miss Douce said, sighed above her jumping rose. I wished I hadn’t laughed so much. I feel all wet.」/「まあ、大変! とミス・ドゥースは言い、自分の胸の上で踊りはねている薔薇の花を見おろして吐息をついた。こんなに笑うんじゃなかったわ。汗びっしょり。」(p.199)と、ありますが、老人と結婚することがどうして、そんなにおかしいのでしょうか? さらにここの末尾にある「I feel all wet.」/「汗びっしょり。」/「もう濡れちゃいそう。」(柳瀬p.441)は訳註に「オーガニズムに近い笑い(K*[12])」(p.558)とあるように性的な仄めかし、というよりも、それを受けたミス・ケネディの「You horrid*[13] thing!」/「いやな人ねえ!」(p.199)/「やらしい人!」(柳瀬p.441)という台詞の意味を考えれば、仄めかしどころかかなり露骨にセクシャルな意味で言っていた、あるいは受け取られかねない表現だったと思われます。その意味では、「もう濡れちゃいそう!」という表現が妥当かどうかは措くとしても、柳瀬訳のように解釈するのが方向としては正しいかなとは思います。「もう濡れちゃいそう!」については、どちらとも取れるように「あたし、もうベトベトだわ!」ぐらいかなとは思いますが。いずれにしても、ここに至るまでに、複数の個所で彼女(たち)の笑いが性的な解釈を許すものになっています。「Ah, panting*[14], sighing, sighing, ah, fordone*[15], their mirth*[16] died down*[17].」/「ああ、あえぎ、吐息をついて。吐息をついて、ああ、疲れ果て、彼女らの浮れ方は静まった。」(鼎p.198)。あるいは、「All flushed (O!), panting, sweating (O!), all breathless.」/「顔をほてらせ(まあ!)、あえぎ、汗をかき(まあ!)、息もたえだえに。」(鼎p.199)。さて、問題は、単に老人から求婚されて、その容姿を嘲笑うという状況というだけで、何故に彼女たちはあたかも性的なエクスタシーにも達したかのように読めるのでしょうか? 言うなれば、性的慾望に囚われた視線で見ればどんなに清純なものでもそのように見えてしまうのではないでしょうか? つまり、この場面では、男性客はいませんが、彼女たち(あるいは女性たち)と接する男性は全て(少なくとも、この挿話に登場する)性的慾望に侵されていて、見るもの全て、黄金ならぬエロスの発情装置に変えてしまうのでしょうか? 恐らくそれらの男性登場人物たちの視線と欲望が、ここでは語り手にも伝染しているのではないかと思いますがいかがでしょうか? 

18.         「Nannetti」(p.584)/「ナネッティ」(鼎p.199)とは誰ですか?

19.         「At four, she said.」(p.584)/「四時に、と彼女は言った。」(鼎p.200)とありますが、モリーがボイランの来訪の時刻をブルームに言ったということでしょうか? それは、いつ? どのように? そして、何故? そんなことを言う筈がないとすると、いかにしてブルームはそれを知ることができたのでしょうか?

20.         ブロンズ、すなわちミス・ドゥースが海水浴(?)に行き、「一日じゅう海岸に寝ころんで」「この肌の色をごらんになって」(p.200)と自慢げに語っているにも関わらず、「語り手」は「Bronze whiteness.」(p.584)/「ブロンズの白さ。」(p.201)と呟きます。これはどういうことでしょうか? 時代状況が違うので、簡単には言えませんが、しばしば見かけるように、日焼けしていない「白い」箇所をちらりと見せて、「この肌の色をごらんになって」と言っていると考えれば、その次のディーダラス父の、「That was exceedingly*[18] naughty*[19] of you」(p.585)/「ずいぶん悪さをしたわけじゃないか」(鼎p.201)/「そりゃまた随分はしたない」(柳瀬p.442)というのも理解できます。

21.         ディーダラス父がミス・デュースを揶揄う「Mr Dedalus told her and pressed*[20] her hand indulgently*[21].」(p.586)の解釈もいささか頭を捻るところです。鼎訳では「――ずいぶん悪さをしたわけじゃないか、とミスタ・ディーダラスは言って、彼女の手を優しく握りしめた。」(p.201)となっており、これはこれでほぼ原文通りかなとも思わぬでもないですが、いくらバーだからと言って、突然脈絡もなくバーメイドの「手を」「握りしめ」るだろうか、とも思います。しかしながら柳瀬訳では、同じ箇所を「――そりゃまた随分はしたない、と、デッダラス氏は言い、甘やかす調子でぽんと彼女の手を叩いた。」(p.442)と、なっており、ディーダラス父がミス・ドゥースにご執心、というよりも単に揶揄っているだけなのだ、と解釈すれば、こちらの方が整合性が取れる気がします。ただ、「叩く」というのは強過ぎないでしょうか。「(父親、あるいは親戚の伯父なんかが、奔放な娘の「naughty」な振る舞いに対して)甘やかすかようにギュッと彼女の手を押した。」(試訳)となって、「単純な男たちを誘惑したんだろ。」(柳瀬訳p.442)と続くのだと思いますが、いかがでしょうか。

22.         ボイランの乗る馬車の走行音(だけではないですが)「Jingle.」を鼎訳では、そのまま「ジングル」としていますが、これはいかがなものでしょうか? かと言って、柳瀬訳のように「チンジャラ、チンジャラ」もあり得ないと思います。これだとパチンコの擬音になってしまいます。つまり、これは金属音、馬車の走行に伴う鈴の音ですから、「チリン、チリン」とか「シャンシャン、シャンシャン」ではないかと思いますがいかがでしょうか?

23.         「But a long threatening*[22] comes at last, they say.」(p.586)/「でも、長きにわたる前兆あればついに叶う、と言うからな。」(鼎p.202)/「しかし、長き症候は裏切らずというこらな。」(柳瀬p.443)、というような諺があるのでしょうか? 恐らく、ディーダラス父の立場で言えば、自身の健康のことを気にしている柳瀬訳になるのでしょうが、ブルームの立場をも兼ね備える「語り手」(「浮遊する視点」)の視点に立てば、ずっと或ることを恐れ続けると、それは現実化してしまう、――つまり、ボイランがモリーを訪れる、というような意味とも取れると思います。そうすると、「threatening」のマイナスの意味を考えると鼎訳の「前兆」、「叶う」というのは曖昧過ぎる気がします。「でも、長きにわたる恐れ(恐怖、畏怖)、ついに汝を訪(おとな)う、と言うからな。」(試訳)というぐらいでいかがでしょうか?

24.         「None nought*[23] said nothing. Yes.」(p.586)の「nought」は副詞ですか? つまり、「誰も何も言わない、ということは全くなかった」=「誰も全く何も言わなかった」ということでしょうか?

〈未完〉

 

6679字(17枚)

 

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20220716 0120



*[1] (ホテルの)靴磨き

*[2] 傲慢(ごうまん)な、横柄な(weblio).

*[3] 0.9144 m(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』).

*[4] 1ポンド = 20シリング = 240ペンス(1シリング = 12ペンス)(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』).

*[5] 満了する、終了する、なくなる、息を吐く、死ぬ(weblio).

*[6] ひどく醜い、見るも恐ろしい、ぞっとする、いまわしい、憎むべき(weblio).

*[7] 哀れな人、みじめな人、恥知らず、嫌われ者(weblio).

*[8] sip (…を)少しずつ飲む(weblio).

*[9] (いれられた)茶,コーヒー./ the first brew of a pot of tea 茶の出ばな.(新英和)。

*[10] giggle くすくす笑う(weblio).

*[11] stoop かがむ、こごむ、前かがみになる、猫背である、腰が曲がっている、身を落とす、身を落としてする、急降下して襲いかかる(weblio).

*[12] Declan Kiberd, ’Notes’ to Ulysses:Annoyated Student’s Edition.Penguin Books,1992.

*[13] 恐ろしい、いまわしい、実にひどい、ほんとにいやな、(…に)不親切で、つらくあたって(weblio).

*[14] pant あえぐ、息切れする、あえぎながら走る、息を切らして走る、蒸気を吐く、激しく動悸(どうき)する、(…を)熱望する(weblio). →pants パンツ →hot pants《複数形》 ホットパンツ 《短くてぴったりした女性用ショートパンツ》./性的な興奮状態(新英和)。

*[15] fordo 《古》殺す;破壊する;取り消す;廃止する;元通りにする;疲弊する(weblio).

*[16] 笑いさざめき、歓喜、陽気(weblio).

*[17] die down 次第に消える、静まる、消えそうになる、下火になる(weblio).

*[18] 非常に、きわめて(weblio).

*[19] いたずら(好き)な、わんぱくな、言うことをきかない、いたずらで、わんぱくで、きわどい、みだらな、わいせつな(weblio).

*[20] 押す、押して平らにする、プレスする、アイロンをかける、押して (…に)する、(…を)(…に)押しつける、(…を)(…に)押し込む、(人込みの中などを)押し進む、握りしめる、抱き寄せる(weblio).

*[21] 甘やかして;寛大に(Eゲイト英和辞典)。

*[22] 脅す、脅迫する、険悪な、荒れ模様の(weblio).

*[23] ゼロ、零、無(weblio). /副詞 To no extent; in no way; not at all.(Wiktionary英語版)。


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