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俯いていても春は来る

休みの日は昼前に1時間ほど散歩するのが習慣になっている。
散歩を習慣にしてから緩やかではあるが体重は落ちているし、昼に日光を浴びながら体力を使うので夜はぐっすり寝れる。そして散歩中には必ず音楽を聴いていて、音楽を聴く時間が増えたことで新しくて素晴らしい音楽に出会う回数が爆増している。
布団の上で股間に手を突っ込みダラダラしていた実りのない1時間を散歩に充てるだけで、健康かつ豊かな生活が手に入る。その手軽さと実感が、継続力のない僕でも習慣を作り出せるように手伝いをしてくれた。

ついこの間の休みも特に予定が無かったので散歩に出かけた。
決まったルートを通り、そろそろ散歩も大詰めといったところ、毎回通る川沿いの並木道の様子がいつもと違った。
並木道の木々は鮮やかなピンク色の花を咲かせ、その周囲は家族連れやカップルなどで賑わっていた。
完全に忘れていた。その川沿いの道は桜並木が続いていて、近所に住む人たちが多く訪れるお花見スポットだったのだ。
ほぼ満開の桜、天気の良い日曜日。賑わっていないわけがないのに、僕は完全に忘れていた。
お花見に縁がなさすぎて全く考慮していなかった。
いつも通りの散歩だと思っていた。しかし、「桜が咲いている」というイレギュラーが起こっていた。
そんなイレギュラーが起こっている道を突っ切れるかどうか考えたのだが、僕にはできなかった。
「散歩」と言ってはみたものの、景色を楽しみながらぶらりと歩くものではなく、一番の目的は運動なのでおよそ時速6.5kmのペースで歩いている。物件情報でよく見る「駅から徒歩○分」の表記が時速4.8kmで計算されていることを考えるとかなりのハイペースだ。もはや散歩よりジョギングに近いペースなので、当然ながら息を切らして歩いている。
春の陽気の中、花見客で賑わう桜の並木道を息を切らしながら早歩きで突っ切っていく男。その状況のミスマッチ具合とその男に向けられる周囲の視線を想像すると、もうその道を避けるという選択肢しか残っていなかった。
悔しかった。この散歩ルートは所要時間と距離が丁度良くなるように、僕がいろんな道を歩き回ってやっと編み出せたルートだったのだ。そのルートを歩くことは僕にとって大切な習慣だったのに、それを一時的なイレギュラーに邪魔されたのが悔しかった。悪いのはイレギュラーを突っ切る勇気のない僕なのだが、その事実がいちばん悔しかった。

そんな悔しい思いをした数日後、会社の昼休み。
オフィスで昼食を取ってもいいことになっているのだが、入社して間もない僕にとっては居心地の良い場所ではないので、近くのコンビニのイートインでカップ麺を啜った。食べ終えてすぐ外に出て時計を見ると、昼休みは40分以上残っていた。オフィスにはギリギリまで戻りたくないが時間を持て余してしまった。しかも手元にはスマホとイヤホンだけ。こうなるともう散歩で時間を潰すしかなく、近くにある大きな公園に向かうことにした。その公園には何度か訪れたことがあり、敷地こそ広いものの人はまばらでのどかな公園というイメージだった。
しかしいざ公園の入口に着くと、そのイメージとは真逆の光景が広がっていた。平日の昼過ぎとは思えないほど混雑していた。その理由を頭で考えるより先に、「桜まつり」と書かれたのぼりが目に入る。
完全に忘れていた。その公園の敷地内にはたくさんの桜の木が植えられていて、県内屈指のお花見スポットだったのだ。屋台がたくさん出店するような規模であり、散歩ルートの桜並木とは比べ物にならない。
どうやら僕の脳は、自分とは関係ないと判断した情報を一瞬で削除するよう作られているらしい。
花見客で賑わう公園に単身で突撃するのは気が引けるが、他にやることもないし、ここで引き返していては数日前の弱い自分と変わらない。また悔しい思いをするのは嫌だった。僕の心に残されたほんの少しの勇気を振り絞り、花見客に紛れて公園へ足を踏み入れた。
そこには学生の集団、カップル、ママ友グループ、老夫婦、とにかくいろんな人たちがいた。けれど、1人で目的もなくプラプラと歩いている男は僕1人だけだった。
その場にいる全員が桜に夢中で、誰も僕のことは気に留めていないし視界にすら入っていない。自分にそう言い聞かせたのだが、やっぱり居心地が悪くて数分でその公園を出てしまった。
昼休みはまだ30分近く残っていた。僕は会社のある方面に戻りながら、その途中にある別の公園に立ち寄った。もちろん桜の木は生えていないし、ブランコ、滑り台、砂場、それとベンチがいくつかあるだけのベーシックで小さな公園だ。
公園には運良く誰もいなかった。僕はベンチに腰掛け、深く俯く。

悔しかった。
みんなが桜を見上げているのに、僕だけ俯いているのが悔しかった。
桜なんて咲いているのはほんの一瞬だけなのに、それによって自分の行動が阻害されている気がして悔しかった。
そしてまたもや、自分の弱さ故に「桜が咲いている」というイレギュラーに打ち勝てなかった、という事実がいちばん悔しかった。

悔しくて深く俯き、地面を見つめていた。そんな僕の視界の端で、小さくて黒い生き物が動き回っていた。
アリだった。アリが地面を歩いていた。2024年になってから初めてアリと遭遇したのだ。
僕は周りの人より下を向いている時間が長いから、地面の変化には敏感である。
きっとこのアリは地中でじっと耐えて寒い冬を越し、春の訪れと共にやっと地上に出てきたのだ。
辛い時期をただひたすらに耐えて、やっと日の目を浴びることができたのだ。
そんなアリの背景を想うと、さっきまで抱えていた悩みがやけに小さく感じた。きっとそれは、地面を歩くアリよりも遥かに小さい。
アリが僕に春の訪れを知らせてくれた。
みんな頭上の桜を見上げるのに夢中で、地面に訪れた春には気づいていないかもしれない。
「僕だけが春を感じられない」という疎外感は、「僕だけが知っている春がある」という優越感に変わっていた。

RADWIMPSの野田洋次郎が「誰も端っこで泣かないようにと 君は地球を丸くしたんだろう?」と歌うなら、僕は「俯いていても春を感じられるようにと アリは地面を歩いているんだろう?」と歌う。
来年もきっと、地面を歩くアリで春の訪れを感じるだろう。
次の春がやってくるのが楽しみになった。
誤ってアリを踏んでしまわないように、地面に注意して会社に戻る。
その足取りは、いつもより軽かった。

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