自己肯定感・自尊感情と承認

自己肯定感や自尊感情と上手に付き合えずにいた私が、これらと向きあって発見した考え方についてまとめてみました。


1. 自己肯定感/自尊感情を他者評価≒承認によって高めてもらう

 人は仕事、家庭内、そして恋人や友人と接して評価してもらう、もしくは愛情表現を受け取り、承認を得ることで自己肯定感や自尊感情を満たしています。これはヒトが群れの生き物である以上必然なことです。しかしながら、他者評価のみによって承認を得て自己肯定感/自尊感情を満たす場合には”評価されない=承認を得ることによって自己肯定感を得ることができない”という現実に直面することがあります。

2. 人には人のスケール

 自分からみた自分と、他者から見た自分は当然異なります。このとき、自分を測る物差し/スケールの単位が異なる場合があります。自分自身はmm基準のスケールで測っているのに対して、他者からは別のスケールを用いられるとき、例えば相手が基準単位にmやkmを採用していることがままあります。すると、他者から得られる承認と、自己評価にギャップが生じます。このとき、思うような承認を得ることが難しくなります。

3. マイナス評価とダメージの”当たり判定”

 仕事や家庭で”怒られ”が発生したときに、自己肯定感や自尊感情が揺れる場面があります。ところが、感情的な”怒り”は別として”指摘”は必ずしも自己肯定感や自尊感情を刺しにきてはいないことも多くあります。あくまでも行動に対する指摘や指導・意見を表意しているだけであり、改善案を考える必要はあれど人格否定の成分は含まれていない=自己肯定感のダメージ判定に触れない と気が付いてから過度に卑屈になることが少なくなりました。

4. 当たり判定の最適化

 自身で身の丈以上に高い目標設定を行ったりプライドを膨らませてしまうと、失敗が生じたときの落差が大きくダメージも大きくなります。私の場合は、プライドは常に高く設定していなけれなならないという思い込みがありました。プライドを実力に見合った大きさに拡大縮小させてよいという概念を持っていませんでした。その結果、些細な失敗であってもプライドに傷が入り、それに連動して自尊感情も損なわれていきました。あるとき「あなたはプライド高いよね」と言われて初めて自分がプライドを高く設定していたこと、そしてそれを不可視化していたことに気付かされました。
 不可視化されていたため、プライドを身の丈に見合う大きさに最適化できていませんでした。不可視化していたものが可視化されてしまったため、それと向きあわずにはいられなくなりました。等身大の自分を見つめ、スケールを当てて大きさを把握して、自己受容を行いました。そしてプライドの大きさを自分に見合ったものに調節しました。

5. 承認の自給自足

 承認供給の軸足を家族や恋人、職場など他者に委ねて寄りかかってしまうと、相手にとって負担が発生することがあります。さらに、相手からはしごを外されてしまった場合の落差が大きくなります。他者のもつスケールに依存して自分の価値を測ろうとすると、2. で述べたようにギャップが発生して疲弊してしまうことがあります。そこで、承認の自給自足を行えばよいと閃きました。
 自分の価値・自分が大切にしているもの/ことの価値をオリジナルのスケールで測り、”他者からどう思われているか”に依存しない自己評価→承認を行うことにより自尊感情を維持する。つまり、他者の評価は参考値として採用するものの、自分がどう感じるかを重視して評価を行い、承認の自給自足サイクルを回して承認と自尊感情の自己満足の世界に入ること。これが可能ならば無敵状態になれるかもしれないと思いました。

まとめ

 自分自身を見つめて認めることができて初めて自己承認が可能になるという説を発見しました。他者評価+自己承認によって自尊感情/承認欲求を満たすことが可能な境地に到達できれば、誰かに寄りかからずに生きていけるのかもしれません。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?