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未来は僕らの手の中

井上尚弥 vsタパレス戦、今終わりましたね。
monster(井上尚弥)の全てを持っている美しいボクシング(まさにsweet science)
に必死に食らいついていく(99%井上尚弥応援会場での)フィリピンのブサイクな男(タパレスに)感動して途中からタパレスも応援してました。
(twitterでもそういう意見みかけた)

それよりもセミファイナルのmonsterトーナメント決勝の「堤vs穴口」にめちゃめちゃ感動しました!!

諦めない(なんて単純な言葉ですが)勝ちたい気持ちが強い方に神風が吹くとはこのことなのかな。なんて思いました。

ボクシングを見ているとふと神の存在を信じたくなります。(どんだけ残酷な世の中になってもね)

スポーツの美しさは本当に言葉にならない時がある。
(特に僕は歴史が長くて競技人口が多いスポーツが好きだ ボクシング、野球etc)

今日までの今まで

今日までの今までと考えれる
「神様がいて、僕の生き方を見て運命を決めている」という世界観を大切にできる。そして自責から解放し挑戦に積極的に恐怖に鈍感に、また人に優しくすることを肯定してくれる。


「ボクシングは世界で最もタフで孤独なスポーツだ。
⇒ Boxing is the toughest and loneliest sport in the world.
と某世界チャンプは言う。」


「ボクシングは女性の次に最も美しいものである。
⇒ Boxing is the most beautiful thing after women.
と某世界チャンプは言う。(てかこれはカネロだけど)」


「ボクシングはジャズのようなものだ。良ければ良いほど、それを評価する人は少なくなる。
⇒ Boxing is like jazz. The better it is, the less people appreciate it.
と某世界チャンプは言う。(てかこれはジョージフォアマンだけど)」


人間の上半身を両拳で殴り合う世界一、シンプルかつディープな競技で
世界一、人間賛歌な競技だと思う。

その中でも「堤vs穴口」に感じた心の強さ。
まさに困難を含めて人生を体現してて感動した。

どんなに他人を羨んでも、僕は僕を辞めることはできない。だから自分の嫌いな所を責めても仕方がない。

他人もそう。
どんなに責めても、その人はその人をやめられません。だからたまには許してあげればいい。

心は全体で一つの構造です。この部分は要らないなんてできません。

「自信」とは自分を解き放つこと」
もう一人の自分は必ずいます。
心の中で自問自答することがあるはずです。
「これって正しいかな?」「これをやらなきゃ」etc

自分を解き放つ

試合中や本番(受験勉強なども含め)では
「この場面ではこう動く、この場面ではこう」「こういうふうに解く」etc
「練習を思いだせ!など」
特にスポーツにおいてはそれはもしかしたら間違っていたのかもしれません。

自信はもう一人の自分に全てを任せてしまうことです。
命令はしない。潜在意識を信頼して体を任せきってしまう。
自分の身体をコントロールしようとしない。

自信とは心の奥深くにある意識の及ばない領域の自分を信じることです。
自分自身に蓄積された経験を元に潜在意識が弾き出した計算の結果を受け入れる覚悟を決める
自分を制約するのではなく、自分を解き放つ。

本能の自動システムがすべてを解決してくれるから、後は見てればいいんです。アスリートの無心ですね。「映画のように自分という物語りを見ている状態です」


試合や本番では自分がやることの結果の全てを受け入れる覚悟を決め、無心になれるか?が潜在能力を解き放つ野生値(現代人が足りてないとされる)
の解放ですね。

もう一度。「神様がいて、僕の生き方を見て運命を決めている」という世界観を大切にしたい。


※バガボンドも同じこと言っているのかもしれないですね。










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