うわのそら飛行ログ

人生にはやっぱり本が必要だと思う。引退したら本屋をやりたい。大学勤めがけっこう長くなり…

うわのそら飛行ログ

人生にはやっぱり本が必要だと思う。引退したら本屋をやりたい。大学勤めがけっこう長くなりました。早大一文哲学科卒。今日も本を読む、空を見る、何か思う、書く。東京郊外で猫と家族と暮らしてます。

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エンドロールを最後まで

「エンドロールを最後まで観るかどうか」でその人と合う合わないを決めるって話を、時々聞く。 価値観の合う相手がいい ということだと思うけど、合わなかった時に、 味わうことなしに決めちゃうのは、相手も、捨ててしまう価値の可能性も、もったいないんじゃないかと思っている。 私はエンドロールを最後まで観る。けれど、 まわりがざわざわし始めて、スクリーンを横切って出ていくも人いて、 でもみんな最後まで座ってろとは思わない。 ざわめきの中で自分だけ、まだ浸りながら椅子に沈んでいる気分は

    • トンテカントン 星と砂漠と二つの城と 忍者とスパイと王様と大工

      (絵本テキスト) トンテカントン 大きな大きな星空の広がる 広い広い砂漠の真ん中に、 ならんで ふたっつ お城が建つことになった。 東の国の殿さまの ひみつのお城と、 西の国の女王さまの ひみつのお城だ。 東の国の殿さまも 西の国の女王さまも 「いちばんすっごく星空がみえるように、砂漠のまんまん中に 城を建てよ!」 といったので、 砂漠のまんまん中に ならんでふたっつ建つことに なっちゃった。 東の国の忍者と 西の国スパイが 大急ぎでご報告。 「となりあわせでございま

      • 夏至 ニョロニョロの話

        今日は夏至。 夏至と言えば、ニョロニョロが気圧計のところに集まる話が好きだ。 夏至の日、ムーミン谷の近くの離れ小島に、世界中からニョロニョロが集まってくるという。(世界中って?世界中にニョロニョロが?) そこにはニョロニョロが大切にしている「気圧計」が立っている。昔やっていたアニメで、その気圧計のまわりに無数のニョロニョロが集まってぞわぞわしているシーンがあって、自分も一緒にすごくぞわぞわした。 またニョロニョロは、夏至の前の夜、種をまくと地面から生えてくるらしい。 スナ

        • 七十二候・腐草為螢

          町の子なので螢は見たことがなかった。はじめて見た時、絵本に描かれていた螢は、あのぼんやりした雪洞のような暖かい色の螢火は、間違いだと思った。くっきりと輪郭のある明度の高い光。蛍光灯の方が表現として正しいのだと思った。

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        エンドロールを最後まで

          【雑感】世界の終わりと「君たちはどう生きるか」ワンダーランド

          映画『君たちはどう生きるか』のことを聞いて(何も聞いてないが)、思っていたことが繋がって出てきたのでメモしたものです。 宮崎駿はずっと「世界が終わろうとしている時、或いは日常が終わる時、どう生きるか、ということを描いていたと思う。 終わりを止めるために行くのか(ナウシカ)、 目の前にいる一人の人を愛するのか(未来少年コナン、これは映画主題歌の歌詞)。 ”明日世界が滅びようと私はリンゴの木を植える”のか、 愛する家族とともにいようとするのか。 新海誠『天気の子』では「世界

          【雑感】世界の終わりと「君たちはどう生きるか」ワンダーランド

          ガーデンクォーツ・ピクチャーオパール

          ガーデンクォーツとピクチャーオパールというものがあるそうだ。鉱物の種類ではなく、クラックや歪み、インクルージョンなどでできる繊細な線や陰影をそのように見立てて楽しむ趣向のようだ。 秘密の中庭を内包している水晶 はるかな世界図を装填しているオパール 手の中の鉱物の中に庭や世界を観るなんて、詩のような感性表現だと思う。 或いは 魔術のような、古代の哲学のような 或いは密やかに行われる内面の神聖な修復、外界との絆の再生、ある種のセラピーのような。

          ガーデンクォーツ・ピクチャーオパール

          南方郵便機、星に届く

          小さな飛行場が隣り街にあり、毎朝私が家を出るのに合わせてセスナが飛んでいく。サン=テグジュペリや『紅の豚』を思い、飛行機乗りの気分になりながら、駅までの道をすっ飛んで行く。なんと言っても今は五月だ、内田善美の『五月に住む月星』も忘れてはならない。 そんな飛行機な毎日の今週のある日、 調べたいことがあって昔の手帳を開いたら、はらりと、自家焙煎珈琲豆の『南方郵便機』さんの栞が出てきた。 仙川でお店を開いていた頃もらったもの。 サン=テグジュペリが好きで「南方郵便機」も好きな作品

          南方郵便機、星に届く

          ギタリスト

          あるギタリストさんがとても好きだった。 私は音楽について何か言えるほど詳しくないのだけれど、 ふと聞こえてきたギターの音が、好きだな、と思うと彼だったり そういうことが重なって、自分は彼のギターの音がとても好きなのだと知った。琥珀色のサイダーみたいな、透明な中に陰影のある響きだ。光る泡のように立ち、甘くて、少し苦くて、深く響いて沁み渡っていく。 彼は突然いなくなってしまった。 嫌になっちゃった、ギタリストってなんだろう、って、苦い微笑みのような言葉を残して。 いなくなっ

          ノッポさん

          Grasshopperはいつの間にか、風とともにピョーンと飛んで行ってしまった。 ノッポさん、 ノッポさんが私にそうしてくれたように 私も 目の前にいる小さい人に、 賢くて美しい小さい人として 話しかけようと思っています。 それはとても大事なことみたい。小さい人にとって本当に大事なことみたい。 そのことを教えてくれて、私にそうしてくれてありがとう。ノッポさんがそうしてくれたから私は今でも 賢くて美しい小さい人であった自分を思い出せます。 バッタが飛び込んだ丈高い緑の草むらがさ

          一人の夕飯

          すごく久しぶりに一人で家で夕飯を食べた。 好きに食べ食べあと、遠慮なく「残せた」ことが意外に快適だった。 長い間、あと少しをなんとなく残すことができずに、頑張って食べてあとで気持ち悪くなったりしてたけれど 残せば良かったんだ。 もう食べられない自分を認めれば良かったんだ。 何故だか家族の前ではそれを認められなかった。自分は、 美味しそうに食べる妻や 残さず食べるお母さん、 残っても「明日○○にしよう」とすぐさま言える人であると、 無意識に信じていた。だがそうではなかった。

          一度バラを咲かせた庭は二度と荒れ果てることはないんだ

          あちこちのお庭でバラの花盛り。 一度バラを咲かせた庭は二度と荒れ果てることはないんだと、どこかで読んだ。『秘密の花園』だったと思っていたけど、探しても見つからない。 見つからないことが何かこの言葉に似合ってる気もしている。 庭のことだけではなく、バラのことだけでなく、心や人生のことを語った言葉だった。 庭とは バラとは 花びらの重なる色合いや風が揺らす緑、真昼の庭の、静かな光の中で。

          一度バラを咲かせた庭は二度と荒れ果てることはないんだ

          a breath

          一日を始める言葉は「大丈夫、大丈夫」 一日を締める言葉は「気にしない、気にしない」

          配れたカードがどんなカードであっても

          スヌーピーが、「あなた、なんで犬なんかでいられるのか不思議」とルーシーに言われて、「配られたカードで勝負するしかないのさ。それがどんなものであれ」って言ってた。 そうだよねと諦めともに頷く。だがその後で、じわじわと滲み出てきた思い。そう、それが何より面白くてやりがいのあることなんだ。 思い通りのカードが揃っていなくても、ナニコレと思うようなカードばかりでも、 ではどうするか。どんなゲームにしていこうか。 勝負はカードそのものじゃないものね、スヌーピー。配られたカードでなんとか

          配れたカードがどんなカードであっても

          アイスの棒を焚べる。

          我が家ではアイスの棒をなるべくとっておく。 1年分まとめて、GWあたりの天気の良い日に近くの小川のほとりでネイチャーストーブに焚べて、マシュマロや茹でた新じゃがなどいろんなものを炙って食べる。小規模バーベキューだ。 ここ数年で、子どもは大きくなって、親(自分)は年を取って、アイスの消費量がだいぶ減ったようだ。焚べる棒が少ない。 一方で、炙るものはバラエティに富んできて、炙り方も、焦らずじっくり、美味しく焼けるようになった。まだまだ失敗もあって、黒焦げになったりもするけれど。

          アイスの棒を焚べる。

          ナガミヒナゲシと通学路

          この花は私が子供の頃にはなかったと思う。 娘が小学生の時にしきりに実の筋の入った丸い蓋を集めて楽しんでいた。この蓋の筋の下に縦に長くタネの部屋が入っている。それでナガミヒナゲシというらしい。蓋だけ取って、タネは小学生たちの手で無造作にその辺の叢に、植え込みに、捨てられたに違いない。 今ではそこら中の道端に、たくさんの薄朱色のうすい花びらを揺らしている。 多分、小学生の子たちが朝な夕なに通る通学路に沿って広がっていったのではないかと、私は思っている。

          ナガミヒナゲシと通学路

          青嵐

          許せないといつも思うことに自分自身の課題が隠れているのだそうだ。 どうして許せないのか考えてみる。 許そうと努力するのではなく、どうして許せないのかを考える。 ふと、何かに気づいたりする。 気づくと、何も解決していないのに、不思議に解けていったりする。 鬱蒼とした叢を足元にまとわりつく影ばかり見て歩いていたのに、草の上をザッと吹き過ぎる風につられて顔をあげると、 なんだ 私はずっと こんな広い草原の明るさのただ中にいたんだ そんなふうに景色が変わっていったりする。