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【短編小説】相思相愛チョコレート

それはふわふわと甘ったるく。
以前書いた「不意を食って及び腰」の続きです。

初めての両想いくらい浮かれポンチであれ。

「うーん……どうしよう」

 鳴美は悩んでいた。机の上に散らばるのは図書館から借りてきた菓子作りの本。手元のスマートフォンの画面には『今年のバレンタインデー手作りチョコ10選!』という文字が踊っている。その下にはこれで彼氏の心を掴んじゃおう! などとひと昔前の少女漫画のような文言が続き、妙に羞恥心を煽ってくる。

「いや高校生にもなってこれは浮かれすぎでしょ」

 腕を額の前で組み、鳴美はため息混じりの独り言を落とした。
 カレンダーは既に二月。三年生たちは既に自由登校になっている時期だ。とは言っても受験生でも何でもない鳴美たちには関係のない話ではあるのだが。
 いやそんなことはどうでもいい。それよりも考えなければならないのは迫る十四日のことである。
 鳴美はこの前長く続いた片思いに終止符を打った。何となく結末はわかってはいたのだが、長年温めてきた想いを、他ならぬ想い人自身に手折ってもらうのは中々堪えた。それでも泣いて泣いて前を向こうと決めたのだ。叶わぬ望みを、もしかしたらと幻想を抱き続けるよりもずっと健全だと思ったから。優しい彼ならば振ってくれた後であろうとも、自分との付き合いを断ち切りはしないだろうと、少しだけ打算的な気持ちもあったのだけれど。
 結果は予想通りだった。彼は真っ直ぐ頭を下げて淡いピンクのリボンにハサミを入れた。だが友達付き合いはしてくれるとも誓ってくれた。ここまでは想定内。
 しかしその後が問題だった。振られたと思ったら人生初の彼氏ができた。傍から見れば、お前は何を言っているのだと首をひねるだろう。鳴美自身、友達からそんなエピソードを聞かされば、恋愛小説の読みすぎだと一笑に付したはずだ。が、事実は小説より奇なり。本当に彼氏ができてしまった。しかも幼稚園時代からの幼馴染だ。

「林太郎のことだからべつに去年と同じでも……ううん駄目でしょ鳴美。去年は友達用のチョコだったじゃない。今年は違うんだから。その……彼氏用だし」

 自分の言葉が予想以上に甘さを含んでいて頬に熱が集まる。頭を打ちつけてひんやりした机に熱を移そうとしたが、熱は一向に冷めない。

「もう本当にどうしよう」

 帰宅してからすぐに本を広げたので、かれこれ二時間くらい頭を抱えている。いっそのこと本人に聞いてしまおうか。いや彼のことだから自分が贈るものならば何でもいいとのたまいそうだ。それが冗談でも何でもなく本心からであるので余計にたちが悪い。

「鳴美ーごはんよー。そろそろ降りてらっしゃい」

 母の呼ぶ声がする。正直夕飯を食べている場合ではないのだが、無視をし続ければ母は容赦なく自室に入ってくるだろう。そしてこの惨状を見れば、しばらく生暖かい眼差しで見守られるのが目にみえる。鳴美はひとまずスマホの電源を落とし、本たちをまとめて引き出しに放りこんでから自室の扉を閉めた。


「それでうちにきたと」
「す、すみませんお忙しいのに……」
「あらいいのよ。ちょうど春休みだったし、大学生の長期休みなんて大して忙しくないもの。それにしてもいいわねえ。青春だわ」

 身を縮めて恐縮すれば、にこにこと微笑みが返ってくる。胸あたりまであるライトブラウンと夏空のような碧眼。出迎えてくれた女性は細波さざなみさくらの姉、細波るりである。見た目は妹そっくりでも中身は真逆だ。高校時代はそれこそお母さんとあだ名がつくほど世話焼きな彼女であったが、進学しても母親のように包みこむ柔和な雰囲気は健在のようであった。
 ここは細波家の台所である。結局答えが出せなかった鳴美は伝手を頼って、ちょうど帰省中のるりに泣きついた。同学年の友達でもよかったのだが、彼女は大変おしゃべりだ。特に恋愛ごとが大好物な上、自分たちが付き合うまでの一部始終を知られている。下手に騒がれて本人の耳に入るのは絶対に回避したかった。だが菓子作りが得意で同性、なおかつ鳴美が頼れる程度の相手となれば数はかなり限られる。
 鳴美とるりは正直知り合い程度の仲だが、彼女は分け隔てなく接する性格で、先輩たち経由とはいえ突然の頼みを快諾してくれるほど親切な人間でもあった。

「それじゃ始めましょうか。鳴美ちゃんはもう作るもの決まっているの?」
「いえ、何も決まってなくて……」

 思わず視線を落とす。せめて何を作るのか決めておけばよかったのに、ここまで頼りきりでは申し訳なさすぎる。

「ああ、いいのいいの。そんなに落ちこまないで。私もまだ材料買ってないし、決めてから一緒にいきましょうか」

 るりの優しさが目に染みる。ぐっと唇をかみしめて鳴美は頷いた。

「ところで鳴美ちゃんは普段料理する?」
「えっ、あ、いやあんまりですね……」

 家には母がいるのでどうしても頼りきりだ。調理実習で困ったことはないが、菓子作りはほとんど初心者に近い。今までやってきたのはそれこそチョコを溶かして型にはめただけのものや、材料を混ぜて焼けばできあがるものだけである。
 だがさすがに昨年までのものよりもう一段階クオリティを上げたい。それを伝えると、るりはにこりと笑った。

「大丈夫よ。基本をしっかり押さえていればお菓子はちゃんと美味しくなるもの。じゃあそうねえ、あんまり手のこんだものを作るよりかはシンプルなものにしましょうか」

 顎に手をあてて少しの間考えていたるりはやがて顔を明るくした。思い当たるものを見つけたらしい。

「じゃあいきましょうか」

 手を差し出される。おずおずと手をつかめばぎゅっと力強く握られた。二人は戦場こと近所のスーパーへと足を向けた。

 近場のスーパーはチョコレートのみならずカラフルなチョコスプレー、チョコペン、銀の珠のようなアラザンまでバレンタイン一色だ。去年まではこれらを見る度に綿菓子のようにふわふわした高揚感が湧き上がったが、今はポップな文字列を見るだけで心臓が奇妙な音をたてる。
 そんな鳴美を知ってか知らずか、るりは真っ直ぐチョコレート売り場に向かいミルクチョコレートを数枚放りこむ。その次は乳製品の陳列棚へ。その足取りに迷いは見られない。おかげであまり心を乱されずに済んだのだけれど。
 必要なものを無事に購入した二人はすぐさま自宅にとんぼ返りした。

「さて鳴美ちゃん」
「はい、なんですかるりさん」

 台所の上には材料に加えてボウルや泡立て器、量りまで用意され既に賑やかだ。腕まくりをしながらるりは宣言した。

「今日はガトーショコラを作ります」
「えっ、ガトーショコラですか」

 混ぜて焼くだけ、の謳い文句が特徴のとある商品からなんちゃってブラウニーは作ったことがあるが、ガトーショコラは初めてだ。
 不安に顔を曇らせる鳴美を励ますようにるりは肩を叩いた。

「大丈夫よ。私何度も作ったことがあるし、本当に難しくないから。それに大事なのは愛情でしょう?」

 片目をつぶって笑いかけてくれたるりは大変心強かった。
 そうだ。隣にお菓子作りの玄人もいるのだから大丈夫。拳を固めた少女の目には確固たる光が宿っていた。


「メレンゲってこのくらいですか」
「それはあとちょっとね。もう少し混ぜたら角がたつから」
「さっくり混ぜるってどうやるんですか!?」
「ああ、私が見本みせてあげるからちょっと貸してもらえる?」
「るりさん! 表面割れちゃいましたけど、ど、どうしましょう」
「粗熱がとれたら目立たなくなるし、最後に粉糖かけるから落ち着いて。だからそんなに落ちこまなくても大丈夫よ」

 ときどきパニックに陥りつつも傍らのベテランのおかげでなんとか人前に出せる見た目のガトーショコラが完成した。粉砂糖で薄化粧した黒いケーキは大人っぽく、背伸びした気分だった。

「あとは飾りつければ完璧ね」
「あの、私分量とか塩と砂糖を間違えたりとかそんなことしてないですよね」

 見た目はなんら問題ない。が、今度は中身の不安が出てきた。恐る恐る目の前の努力の結晶を見やる。戦々恐々とする鳴美にるりは苦笑をこぼした。

「ちゃんと隣で見ていたから安心してちょうだい。なんだったら一つ味見してみる?」

 目の前に差し出されたのは切り分けたときにやや崩れてしまった一切れだ。鼻腔をくすぐるのは甘やかな誘い。るりと不格好な塊を交互に見やる。るりは穏やかに笑みをたたえて待つだけだ。この様子では自分が口にするまで梃子でも動かないだろう。
 鳴美は大きく息を吸って覚悟を決めた。目をつぶって勢いのままかぶりつく。瞬間、濃厚なチョコレートが口いっぱいに広がった。しっとりとしたガトーショコラは口の中でほろほろと崩れ、濃密な甘さの割に重くない。鳴美は思わず目を見開いていた。

「これすっごくおいしいです! 今まで作った中で一番かも」
「そう。それならよかったわ。でも鳴美ちゃんの気持ちがたくさん入っているんだもの。おいしくなるのは当然だと思うけどね?」

 暖かな眼差しを向けられて、頬が真っ赤に染まる。矛先を変えようと鳴美は言葉を紡いだ。

「あ、あのっ、るりさんは誰にあげるつもりなんですか?」

 鳴美が帰った後もまだ作る予定の菓子があるのだとるり自身が言っていた。これで彼氏にあげるのなんて言った日には、姉大好きなさくらが後ろに修羅を背負うのだろうが、それはそれとして聞いてみたい。
 るりは目を瞬いた。

「私? そうねえさくらにあげるのは決定事項だけど、あとは知り合いの子や後輩たちにあげて……」

 るりは指折り数えていたが、ちらとこちらに視線を向け、唇に人差し指をあてた。

「あとはね、秘密」

 どきりとする艶やかな笑みであった。初めてみる彼女の女の顔だった。

「ひ、秘密ですか」
「そうよ。女の子は秘密を一つくらいもってなきゃ。ほら鳴美ちゃん、まだラッピングが残っているわ。最後まで気を抜いちゃだめよ」

 背を押されればそれ以上聞くこともできず、鳴美は何種類も用意された袋の中からある一つを手に取った。


「鳴美ー今日はもってきたー?」
「何を?」
「またまたぁ。わかっているんでしょ」

 にやにや笑う友達を無視して鳴美は自身の席についた。校内はどことなく浮立ち、それに比例して風紀をまとめる教師の顔は険しい。この学校では勉学に不要なものの持ちこみが禁止されており、この時期のチョコレートの類もその対象だ。ただし青春真っ只中の学生が素直に守るわけもなく、実質ないに等しいルールだが、それでも毎年数人摘発されるのである。

「まさか鬼の吉センにとられたとかそんなことはないよね」

 先ほどの茶化しから一転、彼女が声をひそめて尋ねてくる。鬼の吉センとは風紀委員会をまとめている教師こと吉田先生のことを指す。彼の持ちこみ検査が一番厳しく、摘発されるのもたいてい彼の検査によるものだ。

「そんなへまするわけないじゃない」
「だよね。よかった」

 彼女はあからさまに安堵の表情を浮かべた。

「じゃあさ、いつ渡すの?」

 鳴美が口を開くより前に予鈴が鳴った。これ幸いと口の端を上げる。

「ほら授業始まるから席に戻れば?」
「もう鳴美ったら! 私、聞き出すまで諦めないからね。次の休み時間覚悟しなよ」

 恐ろしい捨て台詞を残し、彼女は渋々自身の席に戻っていった。


 友達からの怒涛の追求を躱しつつ、世話になった先輩たちや賢治にクッキーを渡していればあっという間に下校時刻。女子率の高い合唱部は、出る話題なんてそれこそ恋愛話ばかりで、浮ついた雰囲気では練習もままならぬとこめかみに青筋をたてた部長により早々に部活は切り上げられてしまった。
 鳴美は近くの公園で待ち人が来るのまでスマホをいじっていた。とはいっても文字は滑るばかりで何も頭にはいってこない。送ったメッセージに既読がついているのを確認したのはもう何度目であろうか。ほうと白い息を吐いて薄闇に灯る街灯を見上げた。あのときとはすっかり立場が逆だ。
 手元にあるのは淡いピンクのギフトボックス。それに真紅のリボンを巻きつけてある。今まで送ってきたのは透明な袋にチョコを一、二個詰めこんでラッピングタイで縛った簡単なものだったので、その差は一目瞭然だ。

「なんかいかにも本命って感じであれかな……」

 林太郎はあまり女が全面に出たものを好まないかもしれない。もっとフラットなデザインにすればよかったかも。手汗がじわじわ滲んでくる。ガトーショコラは重くはないだろうか。初めてで張り切りすぎた? 思考が沈み始めたとき、待ちわびた声が耳朶を打った。

「鳴美!」

 息を切らして林太郎はこちらに駆け寄ってきた。

「悪い、待たせた。なるべく早くきたつもりだったんだが」
「ううん、そんなに待ってないよ」
「けどな……」

 未だに申し訳なさが拭えない林太郎に指を突きつける。

「はい反省会はおしまい! 本当にいつまでもうじうじ引きずるんだから」「ご、ごめん」

 林太郎はしょぼくれた犬のように項垂れる。代わりに鳴美はすっかりいつもの調子を取り戻していた。
 思えば引っこみ思案な彼の手を引っ張ってきたのは自分のほうなのだ。ここは姉貴分らしく自分がリードしてやらねば。

「で、話って?」
「はい、これ」

 後ろに隠していた箱を押しつける。涼やかな目が大きく見開かれた。

「これって……」
「いやほら、今日は例の日でしょ? ほら私一応彼女だし、ちゃんとしたものあげたいなって思って。あっ、味は保証するわ。なんたってるりさん監修だもの。も、もちろん気に入らなかったら捨てていいし」

 先ほどの落ち着きはどこへやら。渡す段階になった途端、心臓は飛び上がり、知らず知らずのうちに早口でまくしたててしまう。

「鳴美」

 もはや何を言っているのかわからなくなり始めたとき、林太郎が静かに口を開いた。名前を呼ばれただけだというのに、舌が固まる。

「開けてもいいか?」

 鳴美はぎこちなく頷いた。リボンをほどいて蓋を開ければ、レースの台座の上に鎮座する三角のケーキが三切れ。

「これを俺に?」
「それ以外何があるっていうのよ。言っとくけど、賢治や先輩たちのはスーパーのクッキーだから。りん以外は誰ももらってないわよ」
「……そうか」

 ふわりと林太郎が破顔した。喜びだけを煮詰めたような笑みだった。体温が今までの比ではないほど跳ね上がる。

「ありがとう。大事に食べる」
「そ、そう? じゃあホワイトデー期待しとくわ」

 そっぽを向いてぶっきらぼうに返す。全く可愛げのない返事に内心後悔したが、林太郎は特に気にしていないようだった。

「ああ、頑張るな。ところで鳴美」
「何よ」

 既に出口に足を向けていた鳴美が立ち止まる。

「俺もひとつ渡したいものがあるんだ」
「え?」

 頼りない街灯の灯りでも林太郎の顔が赤いのがわかる。

「いらないなら捨ててくれていいから」

 差し出されたのは可愛らしい桃色のリボンでまとめられた桜色の袋。

「開けていい?」

 林太郎がこくりと頷く。しゅるりとリボンを引いて中身を覗きこむと、今週末あたりにでも買いにいこうと思っていたハンドクリームが入っていた。

「これ、買おうと思っていたやつじゃない! ありがとう」
「前に切らしたってぼやいていただろ」

 そうだっただろうか。本人すら覚えていないことをよく覚えていたものだ。

「にしてもなんでバレンタインなのにりんが用意してるのよ」
「ああ、それは……」

 ばつが悪そうに頬をかく。途端に視線が交わらなくなった。それでもじいと見つめ続けているとついに観念した林太郎がぼそぼそと白状した。

「森田先輩が、その、チョコもらう自信がないんだったら、逆にあげればいいじゃんって勧めてくれたから……。ただ菓子作りの経験がない俺じゃチョコあげるのは無理だなって思ってこれにした」

 森田先輩曰く、発祥の地では男性から女性に贈るのが普通らしい。さらに言えば別にチョコレートと決まっているわけではなく、メッセージカードや花でもいいそう。
 しかし待ってほしい。そもそも森田先輩は鳴美がチョコレートを贈ることを知っている。なぜならるりの口利きに一役買ったのは森田先輩と玉川先輩だからだ。
 つまりここからはじき出される答えは一つ。完全にからかわれた。背後にとてもいい笑顔でピースサインを送る森田先輩がみえた気がして、鳴美は地団駄を踏んだ。

「……ああ、それは完全に遊ばれたな」
「そうでしょ! たしかにるりさんと繋げてくれたのはありがたいけど! でも、でもよ。これじゃ私一人浮かれてバカみたいじゃない」
「いや一人じゃなくないか? 俺もだし」

 ぼそりと呟かれた一言に再び体温が急上昇する。思い返してみればバレンタインデーに二人でプレゼントを送りあうなんて相当恥ずかしいことをしているのではないだろうか。

「……帰ろっか」
「そうだな」

 どちらともなく歩き出そうとしたその瞬間だった。彷徨っていた右手を暖かなものが包む。重なっているのは林太郎の左手。はっと顔を上げたが視線は絡まない。ただ重ねられた手はそのままに二人は静かな公園を後にした。 
 暦の上では春とはいえ、二月はまだ真冬。寒風が撫でていくも身体は火照ったように暑かった。

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