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【短編小説】恋バナアマンドショコラ

密やかに可愛らしく甘やかに。
ハッピーバレンタイン!とは言っても今回は三人組シリーズに出てくるさくらの後輩優とさくらの姉るりの女子会。

上記の話と地続きの話です。読まなくても読めますが、読んだほうがわかりやすいかもしれません。

 ピンク、ホワイト、レッド、――そして深みのあるブラウン。この時期にしか見られないきらきら輝く恋の菓子。
 自動ドアを抜ければ可愛らしくデコレーションされた文字が大きく踊っていた。そのポップの下には大手菓子メーカーの板チョコだけでなく、球状やら楕円状やら、はたまたコーヒー豆のような形状をした製菓用チョコレートが雑多に山積みだ。傍らにはチョコを流しこむカップまであった。田舎の一介のスーパーながら、なかなか力がはいっている。だからこそ普段は使わないこのスーパーを選んだのだが。
 優は一度大きく深呼吸した。そして決戦に挑む武士のような面持ちで自動ドアのレールをまたいだ。
 小さなメモを握りしめ、迷いない足どりで店内を歩く。やはりというべきか、同世代と思われる少女たちと何度もすれ違った。華やぐ会話は店内に並ぶ菓子たちに負けず甘酸っぱい。
 もっとも彼女たちと違って自分が贈る相手は異性ではないし、そもそも恋情と感謝では方向性も全く異なるが、こめる気持ちの大きさはきっと変わらないはずだ。
(さ、気合い入れていこ)
 心の中で思い切り頬を叩き、優は前を向いた。


 ルビーチョコレート、アーモンド、ラズベリーパウダー、バター、グラニュー糖をかごの中にひょいひょいと入れ、レジ近くの製菓コーナーにあるラッピング袋も忘れない。

「忘れものはないはずだよね。……うん、大丈夫」

 真剣な顔でかごの中を検めた優は小さく頷いて、レジの列へと並んだ。
 重くなったエアバッグを抱えて自動ドアをまたげば、真冬の乾いた風が吹きつける。空は雲一つない晴天だった。贈り相手の瞳によく似た空の色に、優の口元が自然と緩んだ。


 材料はそろった。だが安心するのはまだ早い。むしろここからが本番だ。優は今度こそ思いきり頬を叩いて気合いをいれた。
 オーブンでアーモンドをローストしている間に、グラニュー糖を水に溶かしてシロップを作る。さらさらした砂糖水がどろりと重くなったら、ローストしたアーモンドを投入。砂糖を白くはたいて化粧したアーモンドたちは、熱を加え続けると再びてかりだす。艶やかな肌はどこか色っぽい。こうしてみると、なんだかスキンケアをしているようにもみえてきた。
 大切な人に喜んでもらうために、美しく輝いていく。作り手の想いをのせて香ばしく、甘くなっていく。それはまさに想い人のために花開こうとする少女たちの姿そっくりだった。
 優は祈るように呟いた。

「しっかり美味しくなってね、先輩たちのために」

 キャラメル色に染まったらバターを絡めて、一度冷ます。何事も熱だけで突っ走ってはいけない。少しクールダウンして、落ち着きを取り戻したほうが上手くいくことも多いのだ。
――ほんとうに恋とお菓子づくりは似ている。
 頭に浮かんだ考えに思わず笑みをこぼした。彼氏なんてできたことはないのだけれど。

「っていけない。考えごとしている場合じゃないんだから」

 まだ完成ではない。まだ主役であるチョコレートがでていないのだから。
 湯煎でチョコを溶かす。溶けきったら冷ましたアーモンドと絡めていくのだが、この作業がなかなか重労働だ。なにせ衣を重ね続ければ続けるほど、どんどんヘラが重くなる。体力がない女子ではすぐにばててしまうだろう。
 いつの間にか優の肌はすっかり汗ばんでいた。だが優の瞳はかげるどころか、生き生きと輝いている。
 細い腕が悲鳴を上げた。が、アーモンドたちがピンクの衣を幾重にもまとっていく様は気分が上がる。砂糖とバターで化粧をして、チョコレートの服でよそゆきの格好をして、その工程はデートの準備をする女の子のよう。
 何度も何度もチョコレートを重ねていくうちに濃いピンクは徐々に乾いて、淡いピンクのドレスへと変わった。
 薄紅色のおしゃれ着を着こなしたアーモンドたちに最後の魔法をかける。袋に砂糖とラズベリーパウダーを混ぜた紅をのせてやれば、かわいいピンク色のアマンドショコラの完成だ。
 一番いびつなアーモンドを口に放りこむと、小気味いい音と共にチョコレートの甘さが広がった。ナッツの香ばしさにバターの香りが絡まって、香りに厚みをもたせ、最後にラズベリーの甘酸っぱさが締めくくる。ラズベリーの酸味のおかげで材料のわりに重さもなく、何個でも食べられそうだ。

「うん、完ぺき。先輩たち喜んでくれるといいなあ」

 優は目を細めて、ラッピングの袋を手にとった。


 ピンポーンとチャイムを鳴らせば、家の中から返事が返ってくる。足音が近づいてきたと思ったそのとき、扉が開いて想像通りの人物が顔を出した。

「あら、優ちゃんじゃない。いらっしゃい。ごめんね、さくらは今出かけているのだけれど」

 現れたのはさくらの姉、細波さざなみるりだ。申し訳なさそうに眉を下げられて、優は慌てて首を振った。

「あ、いえ、これを届けにきただけなので大丈夫ですよ、るりさん」
「でも優ちゃんのことだから事前に連絡をいれて来たんでしょう? まったくあの子ったら、ごんくんや龍くんと盛り上がるのもいいけど、かわいい後輩の約束をすっぽかすのはいけないわね」

 青空色の瞳が陰り、嵐が近づく気配がした。うねりのあるライトブラウンの髪が揺れてるりの顔に影をつくる。
 これは本気で頭にきたときの顔だ。自分が怒られるわけでもないのに、背筋に冷たいものが走った。

「あ、あのほんとうに大丈夫なんです。気にしないでください。それに私、るりさんと会えて嬉しいです。ほら、さくら先輩とは学校で会えますけど、るりさんとはもう気楽に会えないじゃないですか」
「そう? まあそれなら優ちゃんに免じて軽く叱るくらいにしておくわ」
「そ、そうしてください」

 さくらは誰に対して我が道を貫く少女であるが、姉のるりだけには唯一頭が上がらない。るりが普段柔らかな態度だけに、怒るときの鬼のような形相は見ただけで思わず涙目になってしまう。さくらは泣き出しはしないだろうが、せっかくの貴重な一日を説教で潰してもらいたくはなかった。

「そうだ優ちゃん、時間あるんだったら家あがっていって。私も渡したいものがあるのよ」
「え、いいんですか?」
「いいの、いいの。ほらどうぞ」

 言葉に甘え、手招かれるままに優は細波家の敷居をまたいだ。


 部屋の中はチョコレートの甘い香りで満たされていた。

「あ、あのるりさん、バレンタインなのでこれどうぞ」

 カバンの中から袋を二つ取り出す。片方は青、もう片方はピンクのリボンで留められ、その下に「For You」と書かれた小さなメッセージカードが揺れていた。

「あら、アマンドショコラ? しかもかわいいピンク色ね。ありがとう」

 るりはにっこり笑って袋を受けとった。

「すみません、ほんとうはピンクと青でつくりたかったんですけど、青の着色料が見当たらなくて」
「いいのよ。桜の花びらみたいで私この色好きよ。何よりアマンドショコラって手間かかるでしょう。嬉しいわ。優ちゃんの心がこもっているのが感じられるもの」

 るりは微笑んだ。その碧眼に映る自分の顔は真っ赤だ。
 たしかにさくらの名をイメージして選んだ色だが、それ以上の褒め言葉をかけられて頬の熱がおさまらない。

「ああ、そういえば私のを渡していなかったわね。はいハッピーバレンタイン。私とさくらの連名で悪いけど」

 手渡されたのはリボンの飾りがついた紙袋。口はシールでとめてあり、はがさなければ中のものを確かめることはできない。

「ありがとうございます。あの、ここで開けても大丈夫ですか?」
「もちろん。もう優ちゃんのだから」

 シールを丁寧にはがし、中を覗きこんだ優はあっと声を上げた。

「わ、マドレーヌですか」

 中に入っていたのは貝殻型の洋菓子。黄金色とチョコ色のものがそれぞれ二個ずつ入っている。

「そう。いつもクッキーじゃ代わり映えしないでしょ?」
「そうですか? 私、るりさんのクッキー好きですけどね」

 るりは菓子作りが得意だが、その中でもクッキーは得意中の得意だった。特に焼きたてのクッキーはさくさくとした軽やかな食感と優しい甘さが舌の上でほどけて、頬がとろけそうなほどだ。彼女が上京するまでは何度もご相伴に預かったことがあるが、クッキーが用意されているときはいつも心の中でガッツポーズをきめていた。

「まあそれは家で食べてちょうだい。今日はお詫びも兼ねて食べてもらいたいものがあるの」
「えっいいですよ、そんな!」

 ぎょっと声を上げたが、既にるりは席を立った後だった。

「いいの、いいの遠慮しないで。お詫びって言っても鳴美ちゃんと作ったものの残りだから」
「え、鳴美ちゃん……ですか?」

 るりから飛び出した名前に優は瞬いた。

「ええ、そうよ。どうかしたの?」

 残り物と言いながらも、きれいに切り分けられたガトーショコラが皿にのってやってきた。断面はダークブラウンのチョコレートがぎっしり詰まり、上には粉砂糖をはたいている。品のよい花柄の皿に盛られたことも相まってか、淑女のような上品な佇まいだ。

「お湯沸かしているから紅茶はちょっと待ってもらえる?」
「あ、それはもちろんお構いなく……じゃなくて、これ鳴美ちゃんと作ったんですか?」
「そうよ」

 再び台所に戻り、茶葉の準備をしながらるりは首肯した。

「珍しいですね。鳴美ちゃんとるりさんってあんまり、その……一緒にいるイメージがなかったので」

 鳴美は優と同学年の少女だ。あいにく別クラスで、彼女との接点はほとんどないのだが、彼女の友人が同じ部活にいるため顔と名前は一致していた。だが記憶をたぐってみても彼女とるりが会話しているところは数える程度しかない。

「そうね。優ちゃんと比べたらあんまり喋ったことなかったわね」
「ですよね。なんでいきなりガトーショコラを作ることになったんですか?」

 そのときやかんの甲高い音が空気を切り裂いた。ちょっと待ってね、とるりは一旦会話を切り上げて茶の準備に入った。少しの間、カチャカチャと茶器の擦れる音だけが響いた。

「そう、それでなんだっけ、なんで鳴美ちゃんと菓子作りすることになったかだっけ?」

 花のような芳香が鼻腔をくすぐる。白いカップに透明感のある赤みがかった液体はよく映えた。

「うーん……総ちゃんと迅ちゃんに頼まれたからかしらね。ほら、あの子たち後輩のこと結構かわいがっているから」
「なるほど。あの人たちの頼み事だったんですね」

 すとんと腑に落ちた。
 玉川総助と森田迅介。一つ上の剣道部名コンビはさくらと同年代なだけあって、鳴美と比べればるりとの接点も多かった。あの二人は意外と面倒見がいい。彼らが頭を下げたのならば、るりが鳴美に協力するのも頷ける。

「それにね」

 ふいにるりは笑みを浮かべた。今まで見たことのない艶のある笑みに、どきりと体が固まる。

「かわいい恋は応援したくなるでしょう? それが知り合いならなおさら」

 ウインクを一つしてるりは紅茶に口をつけた。しかし先ほどの笑みが脳裏に焼きついて、優は暫くの間ほうけたようにるりの顔を見つめていた。

「優ちゃんどうしたの? 紅茶冷めちゃうわよ」
「あ、すみません。いただきます」

 慌てて紅茶に口をつけた。漂っていた芳香が口内に広がって、ようやく体にかかった妙な緊張が解けた気がした。
 ついでにガトーショコラにも手を伸ばす。ずっしりとしたガトーショコラは、濃厚なチョコレートの甘さをふりまきながらほろほろと崩れた。チョコレートの風味はしっかりと感じられるのに重く感じないのは流石の腕前だ。
 ほうと感嘆の息を吐いた優は、ふと前々から思っていた疑問を口にした。

「そういえばるり先輩はいい人いないんですか?」
「いい人?」

 空とぼけるるりに、優は身を乗り出した。

「だってもう彼氏がいてもぜんぜんおかしくない年じゃないですか。というよりるりさんの性格ならできてないほうがおかしいですよ」

 高校生まではそれこそその面倒見の良さゆえに母親だのオカンだの揶揄されてきた彼女だったが、裏を返せば包容力のある女性ということだ。
 優は改めて目の前の彼女を熟視する。
 祖母譲りの明るいライトブラウンの髪に、夏空のように澄んだ碧眼。客観的にみても魅力ある容姿をしている。性格は言わずもがなだ。むしろ今まで色よい噂一つ聞かなかった状態のほうがおかしい。
 恐らくるりが長らく恋愛に興味を持たなかった理由の一つにはさくらの存在があるだろう。姉大好きなさくらはるりが誰かと付き合うとなれば、大騒ぎするのが目に見えている。なんだかんだ言ってるりもさくらに甘いので、妹以上に誰かを優先するイメージが浮かばないのもそれに拍車をかけた。
 だがそのさくらも小さい頃ほどはべったりしていないし、大学に行ってしまえば彼女は関係ない。田舎の閉じた世界とは比べ物にならない、思想も背景も違う開かれた世界なら、るりの魅力に気づく人が何人も出てくるはずだ。
 都会のビル群を背景にるりと見知らぬ男が腕を絡めている後ろ姿を想像する。うん、似合うな。想像以上にしっくりきてしまって、一人で勝手に体温が上がった。

「いやまだいないわよ」

 るりは苦笑して紅茶を一口飲んだ。そのときちらりと一瞬脇の紙袋に目をやった。椅子にかけらた大きな袋の中には恐らくこれから配るであろう菓子たちが詰めこまれている。口からは英字の入ったおしゃれなラッピング袋がのぞいている。その中に紛れて真紅の箱が一つ。皺一つない金のリボンも巻かれて、明らかに力の入り方が違う。
――まさか。まさかね。
 心臓が大きく跳ねて、血液が一気に回り出す。いやどう見てもあの包み方は知り合い用ではない。自分のものは紙袋に入っていたとはいえ、それは元々親しい仲であったことと、さくらに振り回された詫びも兼ねているからだろう。ただの友情で納めるにはあまりにも甘さが滲み出ていた。
 思い返せば先ほどの視線も思わせぶりな色を含んでいなかったか。艶のある笑みも見せるようになって、一段と雰囲気が大人びた気もする。

「……もしかして本命います?」
「……どうかしらね」

 るりは微笑みを崩さなかったが、答えるまでに間があいた。極めつきは僅かに視線が逸れて頬に赤みがさしたこと。これは黒だ。
 確信した瞬間、優は椅子を蹴る勢いで立ち上がっていた。

「ええー!? え、だれだれ誰ですか? 大学の人? いやでもそれだったら今日渡せないもんね。……まさか私も知っている人? ね、るりさん、さくら先輩には言わないんで教えてくださいよ!」
「うーんでもねえ……どうしようかな」
「お願いします! 一生のお願いです!」

 手を合わせて頼みこむ。この機を逃せば次がいつになるかわかったものではない。ずいと顔を寄せれば、ぬけるような青空が大きく揺れ動いた。
 これはこのまま押せばいけるのでは?
 そのときピロンと軽やかな着信音がした。出所は前方からだ。さくらからか? ――それとも本命から?
 その思考に至った瞬間、優は叫びだしそうになった。間一髪、手で押さえたため醜態をさらすことはなかったが、脳内は黄色い悲鳴でいっぱいだ。

「るりさん、誰から――」

 ピロン。また通知音が響く。しかし今度はかなり近い。というより自分のポケットの中からだ。るりに一言断る代わりに目線を送ってからスマホを取り出す。送り主はさくらだった。遅れたことを詫びる旨と今から帰宅するが会えるかどうか尋ねる疑問形で締めくくられていた。
 顔を上げると、るりと目が合う。瞬間、送り主は同一人物だと理解した。るりが苦笑いして肩をすくめた。

「さくらようやく帰るそうよ。たぶん五分もかからないうちに帰ってくると思うから、もう少しここでおしゃべりしていけばどうかしら」

 お茶の替えをすると言って、るりが立ち上がる。

「え、るりさん、さっきの話は……」
「さくらが帰ってきちゃうからまた今度ね」

 そう言ってるりは唇に人差し指をあてた。まるで幼子を宥めるかのような笑みだった。

「ちょっとるりさん、それはあんまりですよう」

 がっくり肩を落としたが、さくらが帰宅してしまえば台風のような彼女のことだ。きっと聞き出すどころの話ではなくなってしまう。かと言って今から根掘り葉掘り聞き出すには時間が足りなすぎた。

「まあ上手くいったらちゃんと教えてあげるから」
「絶対ですよ! 絶対ですからね!」

 じきに玄関が勢いよく開かれて、突風とともにさくらが飛びこんでくるだろう。そして彼女の幼馴染たちのリアクションを面白おかしく語るのだ。(まあ、それでもいっか)
 逃げられてしまったが、仕方がない。言質はとったので後日結果を聞かせてもらおう。
 優は口元を緩めて、再び目の前の塊にフォークを差しこむ。口の中で崩れたチョコレートはやっぱり甘かった。

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