神を疎(うと)んじ離れた国の今を見て



以前よりかなり大きくて高画質のテレビをつけると


お笑い芸人どもが

「俺は馬鹿だ」

「いや俺の方が馬鹿だ」

「いやいや俺の方が・・・」

と相も変わらずやっている。

それを見て視聴者たちは、自分より馬鹿がいるものだと安心するのだろうか。

しかし、大抵は笑われているやつらの方が収入が高い。


政治家どもは

国民に気づかれずに如何に金を巻き上げるか余念がない。

最近の国民は政治に関心がなくなりやりたい放題で喜んでいる。

多数の国民はそのおこぼれにあずかろうと、こそこそと嗅ぎまわることには熱心で

少しのうす汚れた分け前を手に入れるとしっぽを振ってはしゃいでいる

世も末だ。


老若男女それぞれが、人が死ぬフィクションのドラマや漫画に釘付けになっている。

最近では、現実世界がそのフィクションにけがされ、それよりも酷い犯罪が起こっている。

いい加減に何が原因か気づけばいいのだが、頭が回らないらしい。

まさに娯楽ではなく誤楽である。

彼らはまだ解っていない

もう今では、神の傘のある場所をすっかり離れてしまったことを

早くそのことを認識し

悔い改め

上にあげたような悪いものは断固拒否して

善なる行いをもとめなくてはならない。

良いものを見て、聞いて、話さなくてはならない

そうすれば、太陽の光のように

等しく恩恵が得られる

神の傘のある場所に又受け入れられるだろう


しかし、すでに残された時間はあまりない

神はこの有様をみて

神の傘のある場所をはるか彼方へ移そうとしている

もう、そうなってからではいくらそれを

懐かしがって求めても

そこに行くことはできない


その後100年も経てば

神の傘を知る者はいなくなり

荒廃した大地に

無くなった海を求めて

船をかついでさすらう

ボートピープル

のような哀れな人々が残される

あたかも祭りで神輿を担ぐかのような



2018年7月10日に mixiにアップしたものを、そのまま転載しております。

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