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⑤私の人生の3本柱

こんにちは
とりぷよです。

最近少しずつ春らしくなってきましたね。
花粉症の方、大丈夫ですか?
私は今年は平気みたい。

さて、本日は「私の人生の3本柱」について話したいと思います。
あんまり受験には関係ないけどもね~。
私の考え方とかその辺を詳しくいきたいとおもいまーす。

さて3本柱の1本目は

①したいことをする

これはいかなることも、です。
ダメもとでも勝ち目なくてもとにかくしたいことをする。

なぜか

後悔が残るからです。
私は学生時代にこれで大きな失敗をしました。

ここだけの話、
進路についての後悔は今思い出しても消化がまだできてません。

かつて、私はとてもとても勉強を頑張っていました。
部活はせず、有名な進学塾に通い、寝る間を惜しんで勉強していました。漫画より参考書を読み、音楽を聴かずにリスニングを聞く日々。ある意味少し狂ってたのかも笑

志望校は学区内で一番の進学校。
テストで成績が上がるのだけが唯一の楽しみでした。

しかし、うちは三姉妹、父は安月給。
小さな頃から「進学は公立のみ」が家訓でした。
合格圏内まで成績をあげることができていたのですが、両親は受験に挑戦することを一切許してくれませんでした。

「あなたが失敗したら妹達はどうなるの?」

この言葉が当時の私の心には重くのしかかっていました。

誤解してほしくありませんが、
両親を断罪したいわけではありません。
(対応はよくないとおもいますがね)
ちなみに今は和解してます。今は。

今では両親の気持ちが少しはわかります。
地元でない土地で三人の子どもを親戚に頼らず育てていた両親。
当時の父は超多忙な安月給。

どうにかして子どもを三人とも進学させたい。
その志があったからこそ、今があるのは確かです。
三姉妹とも。

けれど、当時の私は本当に悔しかった。
私の努力を可能性を両親にも信じてほしかった。

生活+子どもの暮らしを思うとなかなかその勇気が持てなかったのかも知れません。

それに
「レベルを下げてもそこで頑張ればいいじゃない。」
とよく言われていました。

うん、理屈はわかるんだけどね、

けどそれって
「自主的に志望校を選んで」
初めて言える言葉じゃね

と今は思ってます。

当時の私は勉強する意味を、楽しさを完全に見失っていましたから。

なんだ。
どれだけ努力しても、
どうなるかはすべて決まってるんだ。

圧倒的無力感です。

毎日こんなことばかり思っていました。
そりゃそーすよー…
学年1位に何度なっても
志望校すら選べないんだものー。

だけど、このときの私に足りなかったのは
「挑戦する勇気」でしょうね。

両親を説得しきる自信がなかった私は、

両親を説得することに挑戦せず、
逃げてしまいました。

そして、
結果的に受験の機会を逃してしまった。

いまでも当時に戻って昔の私に言いたいです。

あんなに頑張ってたんだよ?
自信をもって!!負けないで!
最後まで諦めずに「受けたい」と言い続けよう!と。

この後悔は一生忘れられないでしょう。

だからね

諦めちゃダメなんですよ。
失敗していいんですよ。
失敗すると諦めもつくの。

けど挑戦しなかったら?

あのとき逃げたから…
あのとき諦めたから…エンドレスエンドレス

諦めたらそこで試合終了なんですよ!本当に。
諦めた上に失敗したらどうなるかって?
更に強い後悔が沢山残るんです。

だからね、
挑戦しないということは
失敗することよりも最悪なんですよ。

でも、人間だもの失敗しますよ。みんな。

失敗したけど気づけて良かったの。ホント。
だからもう諦めない。
そして諦めないでって言いたいの。
今悩んでいる誰かにね。

なお、余談ですが、今回の進学については両親ともに応援してくれています。なので大変ありがたいです。

続いて2本目はこちら。

②自分の世界を生きる

これ、結構気づくの遅かったです。
私がこれを深く意識するようになったのは28になった頃でした。

それまでは人のことに頭を悩ましすぎて誰の人生を生きているのかわからない状態になっていました。
特に元夫…
実母…この辺から抜け出すのは本当に大変でした…。
この価値観に出会えたのは、沢山の書籍との出会いがあったからです。

なかでも特にコビー博士の『七つの習慣』の「パラダイム」という考えに大変感銘を受けました。

『パラダイム』…
誰しも、自分は物事をあるがままに、客観的に見ていると思いがちである。
だが実際はそうではない。
私たちは、世界をあるがままに見ているのではなく、私たちのあるがままの世界を見ているのであり、自分自身が条件づけされた状態で世界を見ているのである。
何を見たか説明するとき、私たちが説明するのは、煎じ詰めれば自分自身のこと、自分のものの見方、自分のパラダイムなのである。
(p22引用)

皆、自分の世界で生きてるんですよ。
あたりまえだけど。

恋人であろーと、
家族であろーと、
親友であろーと、
ね。

自分の世界を大切にしないといけないんです。
誰かの世界も大切だけど、まずは自分。
人のことや変わらないことに悩みすぎてるときはこれを思い出して自分の世界を生きようって決めています。

まだ、たまに引きずられるけどね。
なかには糞ムカつく奴もいます。本当に。
だけれど、それも生きてる世界が違うのかと思うとすんっと楽になることも増えました。
理解できなくて当たり前。
ワケわかんなくて当たり前。
だって生きてる世界が違うんだもの。

更にアドラーは言います。
『人は自分の力で課題を克服することができるのだ』と。

「ほっといたらヤバイんやないかな、あの人…。」
と心配することはできても、そのヤバいあの人の問題を克服できるのはあの人だけなんです。
できることは応援すること、
相談に乗ることくらい。

それは冷たいんやなくて

「世界が違うから」

人と自分の課題を分けて、身も心も軽く、
自分の世界を楽しく生きていきたいものです。
そして、

自分の世界を大切にできない人が、
誰かの世界を大切にできるでしょうか。

そう、
無理だよね。

そもそもね、
まずは自分を大切にして
『大切にする方法』
というのを知るんだと思うよ。

だから、まずは自分の世界に生きること。
そしたら意外と優しくなれるの。かも。

そして、最後はこちら。

③感謝はギフト

最後はこれ。これしかない。

我が家の玄関には、過去の友人にワザワザ描いてもらったこんな書までかけてます。

これね、ギャグみたいだけど効き目あります。
どんなに怒ってても「あ、感謝しなきゃ」となります。(単純)

私が、よく感謝するのは、

・私がここにいること
・ちゃんと大人になれたこと
・毎日暮らせてること
・好きな仕事をしてること
・暮らせる家があること
・無事に産めたこと
・そもそも妊娠できたこと
・娘と会えたこと
・娘が私のもとで育っていること
・進学を志せていること

当たり前にみえるけど、
当たり前なことは何一つないんだよね。
全て『有難い』ことなんですよね。本当に。
みんなみんな、私がもらったギフトなの。

まぁ、人間ですからもちろん欲はありますよ。
(5兆円ほしいとか)

けど、上見たってきりがない。
(5兆円とか)

多分ね、
幸せへの近道は今を楽しみ、感謝することなのかなぁって思います。ババ臭いけど。(5兆円…)←

私は娘を産んでから、こう感じることは増えました。
理由付けは嫌いだけど娘はこれを教えるために私のもとにきたのかなぁって思うこともあります。
感謝はいくらしても無料だしね♥️コスパよし。

「ありがとう」ってなんだか言うだけでも幸せになれるし、言われて嫌な気もしない特な言葉でもありますよね。
だからどんどんプレゼントする気持ちで言うのがきっといい。
うまく生きてく潤滑油にもなるんじゃないかな。なんて。

さてさて、ながながとあれこれ偉そうに語りましたが、私の人生の柱は以上の3点

①したいことをする
②自分の世界を生きる
③感謝はギフト

これからもこの「人生の3本柱」を核として、
色んな瞬間を大切にしていきたいなって思います。

最後に夢を叶えるウォルト・ディズニー氏の名言を

『私が人生の中で経験した全ての逆境、
全ての悩みや障害が私を強くしてきたんだ。』

All the adversity I’ve had in my life, all my troubles and obstacles, have strengthened me.

転んでもただでは起きねぇぞってね♥️
失敗してからが本番やでー。

てかこないだおんなじ名言紹介してたけど、それもありなのw
好きな言葉は度々登場しますのでwてへ←言い訳

では、またね。

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