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#030_吉本ばなな『ハネムーン』


✴内容紹介

 まなかと裕志は家が隣同士の幼なじみ。18歳で結婚した2人は心に傷を抱えながらも、この世界で生きていくために「ハネムーン」に向かう。

✴感想

 吉本ばなならしく、「死」の香りの強い小説だなあ、と感じた。でも同時に「生」の力強さがある。静かで大きなエネルギーに満ちた再生と癒やしの物語だと思った。私は吉本ばななが描く自然の豊かさや大きさ、きらきらと輝く景色が大好きで、この物語にもたくさんそれが出てきて嬉しかった。
 登場人物に関して言うと、どちらかというと主人公の「まなか」よりも幼なじみの「裕志」に暗く重い過去や苦しみがある。「まなか」はそういうどろどろとしたものを抱える人のそばで生きる痛みを抱える存在として描かれているように感じた。

✴印象に残ったところ

・美しくそびえたつ富士山の描写

富士山は、闇にそびえたち、呼吸をしている生き物のように見えた。ふもとまですうっと流れるような長い線を描いたその美しい形で、月明かりに青白く照らされて光っていた。昼間見るよりもずっとなまめかしく、触ることができるくらいなめらかに見えた。ふもとの町明かりがごちゃごちゃとその裾を彩り、空には月や明るい星があった。絵のような景色だった。そこだけ空間の質が違うように見えた。もっと澄んだ、触ったら切れてしまいそうな素材でその空間ができていて、私たちが住んでいる世界よりも一段上の世界の景色だと思いたくなるような眺めだった。

吉本ばなな『ハネムーン』2000年,中公文庫 p.77

 まなかと裕志が初めて2人で旅行に行ったときのシーン。感想にも書いたが、私は吉本ばななの描くきらきらと輝く景色がとても好きだ。このシーンもものすごく美しくて、尊いものを主人公たちが見ているんだな、ということが分かった。闇の中の生き物のような富士山と、地上と夜空のきらめき。大きくて美しいものを目の前にしたときに湧き上る、包み込まれるような感覚。ずっとそこにいたくなるような気持ち。吉本ばななの小説は「癒やし」という言葉とともに紹介されることが多いように思うが、ストーリーだけではなく、こういう描写にもその要素がちりばめられているのだろう。

・許して、許される関係の主人公たち

それに、もしかしたら私たちが育ててきたものは思っていたよりも偉大なものだったのかもしれないと、思った。互いに全てを知り合おうとする気も起こらないうちから、ちょっとしたことを寝る前に話し合えたり、たいていの欠点をなあなあではありながらも愛情をもって許し合える人がいたことで、私と裕志には自分以外のものになろうという憧れのようなものが一度も芽生えなかった。TVも雑誌もラジオも友達も、変わりなさい、変わりなさい、もっとよく変わりなさい、と言っているのに。

同上 p.160

 「欠点をなあなあではありながらも愛情をもって許し合える人」がいることは、おそらく多くの人にとっての憧れだろうなと思う。映画やドラマ、小説などで「感動作」とされるのはそういう絆で結ばれている人たちの話であることが多いから。
 私の話になるが、私にはのび太とドラえもんの関係にものすごく憧れた時期があった。「ひみつ道具を持っていなくてもいいから、ドラえもんがそばにいてくれないかな」と胸がぎゅっと苦しくなるくらいに思ったこともあった。今はそこまで切実にそう思うことはなくなったけど、あの頃の自分は「愛情をもって許し合える人」にそばにいてほしかったんだろう。そして今でも吉本ばななの小説に出てくる登場人物たちのこういう結びつきに憧れて、私は定期的に彼女の本を読むのかもしれない。

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